ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
かしこい生き方 教育工学研究者 中原淳さん 教育の効果を高める未来の教室をITで作っていきたいのです
大学で生まれた知を広く公開していくミッション

−−

東京大学では、実際に東大で行われている講義や講義資料を「UT Open Course Ware」というウェブサイトで無償で公開しています。最近では、ポッドキャストでも、例えばノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊教授や小宮山弘総長などが行った講義内容を配信されていますね。このニュースを知った時には、本当に驚きました。東大の学生でもないのに、東大で行われている授業を受けられる、しかもお金を払うわけでも無く、登録をする必要もありません。こんな「太っ腹」な取り組みを始めようと思われたのはなぜでしょう。

中原

大学の法人化やこれからの教育環境を考えた時に、教育というものに全学で体系的に取り組まなくてはならないという意識が大学に生まれてきたことが一つのきっかけです。 大学というところには3つのミッションがあります。教育と研究、それに社会貢献です。特に国立大学は税金で支えられていますから、納税者の方々に対して大学で生まれた知を公開していくことも大学の一つのミッションだと思うのです。ところが、日本ではこれまでそうした取り組みがあまり行われていませんでした。少なくとも、ITを先進的に活用しながら大学の中で生まれた知を積極的に外に出していくことは多くありません。そこで東大がリーディング・ユニバーシティとして「UT Open Course Ware」(以下、UT OCW)というプロジェクトを立ち上げ、先頭を切ろうということになりました。
同時に、ITを活用して東大の教育環境をリ・デザインしよう、改善しようというプロジェクトでもあります。全学を挙げて、こうした教育プロジェクトを推進するのは開学以来始めてのことであり、大きな試みです。
学内の授業を公開しているプロジェクトには、UT OCWの他に「TODAI.TV」というサイトもあり、こちらは、ターゲットが学内、つまり東大の大学院の学生向けに発信しているものです。大学院は、多様な学生がいて、基礎学力もばらばら。でも大学院ではそうした基礎を当然分かったものとして講義が進んでいく。そこでそれをサポートするために開発したものです。まだまだ開発途中ではありますが、今後、どんどん基礎授業を増やしていこうと思っています。

 
−−

「TODAI.TV」も一般に公開されていますね。

 

中原

東大の学生だけでなく、知りたい人もいるだろうと。

−−

すごく知りたいですね(笑)。東大で行われた授業にそのまま触れることができるわけですから。

中原

確かに、UT OCWにしてもTODAI.TVにしても、公開されている講義は、良いリソースになると思います。こうして東大でどのような授業が行われているのかを外に対して公開していくのは非常に重要だと考えています。

−−

ただ、これだけのコンテンツを公開するまでには、いろいろと大変だったのではありませんか。例えば先生方から同意を得るのにもご苦労があったかと思うのですが…。

中原

多々あります。授業というのは、ジョークを言ったり政治の話をしたりして、色々なエピソードを織り交ぜ、学生を魅了しながら出来ているものなのですが、インターネットで不特定多数の人が見られる場所に公開するとなると、発言に慎重になりますよね。公開している講義は、基本的にほとんど編集していないものです。ですから、正直辛いだろうと思います。
もう一つ、先生方から言われるのが、資料や提示する教材の著作権の問題です。実際、公開するにあたっては、学生達が著作権の処理を全てしているのですが、処理だけで2、3ヶ月要するのも珍しくありません。それでも、やはり先生方には懸念として残るのでしょう。一方で、公開することで、資料をより良くしようとか、うまく話そうとか、先生方の教え方の向上に繋がっている部分もあると思います。

−−

これら一連のプロジェクトを通じて授業や資料を公開することへの反響はかなり大きいと伺いましたが、実際、どのような反応がありますか?

中原

ポッドキャストなどは、実際に見たり聴いたりした方のコメントが全部出ますが、海外、特に発展途上国からは、公開したパワーポイントの資料を授業に使ったり、講義の内容を参考にして授業を作った、という反応がありますね。このプロジェクトには「世界の大学」として、未来の教育の在り方や社会貢献の在り方を提案していこうという目的もありますから、こうした反響があるのは嬉しいことです。 また広く一般の方に「学問ってこんな世界なんだ。東大に来たらこんなことを学べるんだ」というアウトラインを見せるため、学術色の濃い授業を公開しているのですが、今年の4月からはポッドキャストでの配信を始めました。高校生や社会人などの若者層にも一層アプローチするためです。有り難いことに予想以上に反応があって、サーバの強化を本気で考えなくては追いつかなくなってきました。

 

−−

ITと教育というと、いわゆるeラーニングが浮かびますが、例えば、授業とは「生」で体験してこそ意味を持つという声や、逆に授業と同じものを公開するならば、講義に出なくても良いんじゃないかという極端な声が出ませんか。

中原

実際の授業で学習するのと、こういったネットで学ぶのとどちらが辛いかというと、ネットの方が圧倒的に辛いでしょうね。一人で、何の拘束もなく続けるというのは、実際、簡単なことではありません。ネットでの講義は、サプリメントのようなものなんです。あるいは、授業を理解できなかった時の補助手段やテストの前の復習に活用するもの。対面授業を補完する形でネットがあるわけで、対面授業の役割を全部ネットで果たそうとは思っていません。学生もそのように目的を分けて利用しています。

−−

では、いわゆるITは、学びたいという人のためにどんなところまでサポートでき ている状態なのでしょうか。

   

中原

東大でも、大学院学際情報学府では、オンラインの学習だけで単位が修得出来ます。大学院生が対象ですが、履修登録をして、講義を聴いたり課題をこなしたりして、正式な単位が取得できます。大学院ですから、働きながら、仕事の合間に一つの講義を30分ずつ見たりしながら学んでいる方もいますよ。 でも、やはりこのキャンパスで学ぶのが基本です。それは僕らがいくら教育の情報化に携わっていても、変わりません。直に場を共有するというのは、大切なことです。大学という環境に触れることは、また違った意味を持ちますから。
それに教育の現場にITを生かそうというのは、eラーニングだけではありません。対面教育の場でもITによって、教育効果の高い手法が見えてきているのです。先進教育環境という研究では、未来の教室をITで作ろうというプロジェクトを進めています。
例えば、大学の講義というと階段状の大教室で行われる一斉授業を思い浮かべますが、この講義形態だと聴いたことの80%くらいを忘れてしまうという調査結果があるんです。実際、ある講義について12ヶ月後に再生テストをしたところ、45%の学生が講義内容はもちろん、教授のジョークに至るまで何一つ聞いたことを覚えていないという結果が出たんです。

−−

そんなに忘れますか! それではせっかくの充実した授業も意味がありませんね。

中原

そうなんです。そこで教育方法を見直そうという動きが当然出ています。これはマサチューセッツ工科大学の例ですが、まず教室には9名ずつ座れる丸テーブルを12個配置して、グループ学習を中心とした講義に変えました。物理の講義を例にすると、講義の冒頭に、先生が15分だけその日学ぶことをレクチャーする。その後、学生は自分達の手を動かして実験をする。その結果を持ち寄って、グループで検討し、更に結果を発表する。発表した結果をシミュレーションで見直し、最後に携帯電話のような端末を使って、確認テストを行う。生徒全員の答えがすぐに集計されるので、先生は生徒の理解度をすぐに確認できる仕組みです。理解度が足りないと思われたところは、もう一度説明する。こうした授業をした結果、全ての生徒、特に学力のある生徒でも理解度が更に上がるという結果が出ました。 このように、いわゆるeラーニングではなく、教室の中に様々なITを取り入れていくことで教育環境を変えていこうと考えています。対面授業をより効果的にするITの使い方ですね。今まで、ワンウェイで、生徒が一人で学んでいたものを、共同学習という形にしていくと言う意味でのITの使い方があるのです。

−−

そうしたITと教育をつなぐものなのが「教育工学」なのですね。

中原

僕は主にITを活用して、教育環境を考えていくことに興味を持っていますが、それだけではなく、例えば授業の進め方や、板書の文字の適切な大きさなんてものを研究している方もいます。要するに「教える」「学ぶ」に付随する技術を研究するのが、教育工学です。 工学の人はいろいろな技術を作れますが、その生み出された技術が、教育にとって本当に効果があるかどうかは未知数です。そこで僕らのように、工学のことも、教育のことも分かる人間が間に立って、両者をつながなければいけない。テクノロジーというのは、開発された段階では、ものすごくトゲトゲな感じ、と言ったらいいのでしょうか、先進的だから色々尖ったところがあって、ちょっと使いにくいのです。それを誰がユーザーかを見極めて、その人のことをもよく分かった上で、使いやすいように丸くしてあげるのが、僕らの役目です。このように、IT始め、先端の技術と様々な分野とを橋渡しするという役割は今後ますます大きくなって行くと思います。

ITが実現する「理解が高まる授業」
中原 淳(なかはら・じゅん)
1975年北海道生まれ。東京大学大学総合教育研究センター 助教授。東京大学大学院学際情報学府助教授(兼任)。東京大学教育学部、大阪大学大学院 人間科学研究科を経て、文部科学省メディア教育開発センター 助手、マサチューセッツ工科大学客員研究員、2005年より東京大学大学総合教育研究センター講師、06年より現職。科学教育、英語教育など各種の教材、教育ソフトウェア、カリキュラム、ワークショップを数多く開発・評価。東京大学全学の「教育の情報化」を推進するTREEプロジェクトのディレクターとして、「UT OCW」「TODAI.TV」を開発。社会貢献として、NPO法人 Educe Technologies 副代表理事。共編著・共著に『社会人大学院へ行こう』(日本放送出版協会)、『大学eラーニングの経営戦略?成功の条件』(東京電機大学出版局)『ここからはじまる人材育成?ワークプレイスラーニング・デザイン入門』(中央経済社)ほか。日本教育工学会論文賞、奨励賞など複数受賞。
 
●取材後記
東大の講義が、ほとんど編集のない状態で公開されるというのは、本当に画期的なことだと、興奮気味にお邪魔した。だがよくお話を伺うと、ポッドキャストでのコンテンツの配信など注目を浴びる話題の陰に、授業を公開するための交渉を各教授と行ったり、著作権の確認を取ったりとスタッフのアナログな作業によって成立した部分が多いことが良く分かる。「学問に王道なし、コンテンツにも王道なし」と、編集部に帰ったのだった。
構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]