森澤 |
この町では、何かをする時にはとにかく「町の外」の専門家に必ず入ってもらうということをずいぶん前から、徹底して続けてきていました。結果「一流の田舎町」へと生まれ変わっていったのです。教育改革を行う時もそうです。大学の教授にアドバイザーとして入ってもらい、学校建築や授業の組み立て方について相談したり、また当時は制度化されていなかったAET(Assistant
English Teaching)も、独自に取り入れて実践してきました。この取り組みをきっかけに、アメリカのライスレイクという町と姉妹都市として提携したのですが、名目だけでなく、相互に活発に行き来し合う、実のある国際交流を続けています。
また町の景観づくりにも積極的です。町の大工さんを中心に「住宅研究会」という会を立ち上げて「この町らしい」景観をつくるべく研究をしています。それによって、たとえば町のメインストリートでは、商店の看板を景観に溶け込むものにする、壁の色は町の公共建築よりも派手にしない、瓦はできるだけグレーを使用する、中心市街地の建物はなるべく和風のつくりにする等々のコンセンサスを得ていました。強制力のない申し合わせにしか過ぎないのですが、これを町の皆が実行していくんです。更に、都市計画の専門家や照明デザイナーなど外の知恵を得て、車線と同じ幅の歩道を確保したり、信号ポールや街灯のデザインを揃えたりといったことも行われました。 |
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住宅研究会だけでなく「研究会」と名の付くものがたくさんあり、それらが、かなり活発に機能しているようですね。 |
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森澤 |
中心市街地の再開発の場合は、景観に関しての先進地をあちこち見学していました。自分自身が良いものを見ることで「どういう町が素敵なのか」を理解していきました。また、景観に寄与するような素晴らしい建物には、建築の専門家も加わった選考委員会を組織して、賞を与えています。そうやって専門家の説明や意見に耳を傾けているうちに、どういう建物が素晴らしいのかを自然に会得していく。また景観条例を設けたりと、町の景観を美しくしていく何重もの仕掛けがあって、それが上手にかみあった結果、あのような美しい街並みが生まれたんです。 |
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町で福祉会館を建設する時には、住民や保健福祉担当職員の要望を積極的に取り入れ、それが結果的には、ユニバーサルデザインとなっていた、というお話がありましたね。
面白いのは、取り組み方が一般と逆というか、普通は「ユニバーサルデザイン」という概念があって、それを取り込もうとすることが多いかと思うのですが…。 |
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森澤 |
そうなんです。町の人達は、自分達のやっていることが、どういう言葉で括られるかには、あまり興味がないんです。でも、誰にでも使いやすいトイレや、スロープなど、自分達の欲しいものを積極的に設計者に出していった。何度も設計変更になるので設計者が根を上げたほどです。そうして作っていったら、ユニバーサルデザインになったという点が興味深いですね。 |
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特徴的なこれらの取り組みも、参事という立場にいたからこそ見えてきたものなのですか? |
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森澤 |
行政については、まったくの素人でしたから、最初のうちは、何をするか分からなくて…。では、なぜ町長が私という素人を参事にしたか。町長は最初に「町民生活部門というのは、町の人たちがたくさん来るところだ。その町民の視線で、ものごとを考えてほしい」と言いました。またデザインを生業としてきたのだから、そういうものの見方をしてほしいと。だから、できるだけ多くの人と顔見知りになろうと、自分から積極的に声をかけ、様々な会合や集まりにも、進んで参加しました。それで、見えてきたのです。 |
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町民の方の気持ちを感じつつ、それをすくい取って行政側に伝えていくパイプの役目ですね。町の外から来た、しがらみのない人物であることが、非常に有効だったのではないでしょうか。 |
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森澤 |
そうですね。外の目の手法は、ここでも生きているわけです。それに私は行政経験ゼロの人間。一方、役場の職員の多くは、民間企業で仕事をした経験がない。だからこそ、そうありたいとは考えていました。
参事という立場から見えてきたことは、「一流の田舎町」を目指したさまざまな取り組みは、住民と行政とが手を取り合わないとできないということです。先ほどお話したような、研究会や委員会についても、確かに個々のグループの活動は活発だけれども、メンバーだけだとその枠の中で終わってしまう。そこに行政が全体を見る役目として力を発揮できるでしょう。
印象的だったのが、私が書いた本を読んだ85歳のおじいさんが「俺は85年間、この町に住んでいる。この人は4年しか住んでいないのに、俺の知らないことをいっぱい知っている」と言ったことです。「よそ者」の私からは良く見えることが、そこにずっと住んでいると分からない。「田舎は空気がおいしい」と言ったって、そこにずっと住んでいる人は分からないでしょう?
つまり「よそ者」である私は、 比較できる対象を持っているんですね。東京や現在住んでいる埼玉の町と比べることが出来たんです。一方、田舎にずっと住んでいる人には、どのくらい自分たちのところが素敵なのかを計る物差しがない。立派な活動をしていながら、その意識もない。更に田舎暮らしはつまらないという気持ちも、みんなどこかに持っている。この町の小学生たちが「未来の町」をテーマに絵を描いたことがあるのですが、どの絵も皆、高架駅と高層ビルを描いているんです。新幹線が止まっていて、その上にヘリコプターが飛んでいる絵。テレビの影響もあるのでしょうし、子供は都会に憧れている…それはある程度、自然なことです。でも、僕らが「すごく良いところだ」と思うところに住んでいながら、それを感じられないというのももったいないことです。都会的なものだけが、決して未来ではない。そのためにも、外の目が必要だと思うのです。 |
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「よそ者」だからこそ、できることがあるということですね。 |
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森澤 |
そうです。もうすぐお盆を迎えますから、田舎に帰省する方も多いかと思います。そういう、日頃、都会で過ごしていて盆暮れには田舎に帰るという方は、比較するための「物差し」を持っています。その「物差し」で、町や村にある良さを感じるとることができるはずです。それを、田舎に帰る度に声に出して言ってください。そうすることで故郷の人たちは、都会にはなくて自分たちの町にはある良さを、改めて知ることができるんです。
私たちは、自分の故郷やあるいは住んでいる町でもそうですが、都会と同じようなものを作ろうとするのではなく、その町のことを理解するところから、暮らしやすい町ができるのではないか、と思います。 |