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かしこい生き方 書道家 武田双雲さん
シンプルな線の集合体にある無限の組み合わせ

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日本人ならば少なからず一度は書道の経験があると思いますが、今では、書道に限らず文字を書く機会そのものが減っています。その中で、武田さんを通して書道に魅力を感じる方が増えていますが、武田さんにとって、書とは、文字を書く行為とは、どんなものなのでしょうか。

武田

思いを伝えるための自己表現のツールだと感じています。人間は言葉によってコミュニケーションをとっているわけですが、この根源的な「伝えたい」という思いを表すために、「話す」以外で強力な自己表現のツールとなり得るのが「書く」ということでしょう。だからこそ、文字を書く行為は、何千年も前から存在してきました。後生に残したい、多くの人に伝えたい、違う民族の人に伝えたいという思いが、言葉を更に具現化して「文字」というものに変化させていったわけです。その「文字」に、もっと美しくありたいという美意識が加わって「書道」へと繋がってきた。それが時代とともに、文字を書く行為そのものも変化してきました。僕にとっては、メールなども自分の言葉を大量に生産したい、大量に伝えたい、という思いが発展させたツールだと思いますし、文字の文化にとっては自然な成り行きだと思います。
ただそこで、「手で書く」というのが、現代人には新鮮なものに映るのではないでしょうか。昔は、筆で書くことが当たり前だったけれど、今では「筆文字」や「手書き文字」などと言う言葉があるくらいです。しかし、僕はこれも自然なことだと思うんです。湿潤地帯に住んでいたら水の有り難さは感じにくいけれど、砂漠地帯だと水の大切さが分かるのと同じようなもので、手で文字を書くということに対してカラカラだった現代人に、それがすっと沁み込んでいったのではないかと。
更に筆の魅力と言えば、それは「三次元」にあると思います。鉛筆やペンで文字を書く時には、あまり筆圧を意識しませんが、筆にはZ軸が存在している。強く押せば筆先が開くし、力を緩めると筆先が閉じる、それを利用して、筆の線質が決まってくるのです。その三次元の中に、深い曖昧な世界、微細な変化だけで線を織りなしていく世界があるんです。その結果、書いた文字に対して「きれい」「きれいじゃない」といった感想も生まれてくる。非常にシンプルな線の集合体なのに、無限の組み合わせもある。その難しさが魅力だと思いますね。

 

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書道教室を開催されていますが、そうした書の魅力に引かれて来られる方が多いのでしょうか。

武田

僕の字を見て「こういう字を書きたい」と思って来る方、あるいは「書」を通じて自己表現をしたい方が多いようです。
自分が通いたいなと思えるような教室にしたいので、例えば「下手文字大会」といって、ひらがなの「た」をどれだけ下手に書けるかとか、「悲しい」という文字を、誰が一番悲しそうに書けるかなんて競ってみたりします(笑)。4人1組で、一画ずつ書いて、最後にみんなで投票するんです。どれも答えはありませんから、なぜそれが一番下手なのか、悲しそうなのかを、皆で毎回議論して決めるんです。

   

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ずいぶん型破りな教室ですね(笑)。それはどんな目的があるのでしょうか。

武田

皆さん、初めは「あれ?」と思うようです。筆の持ち方もあまり教えませんし(笑)。逆に「なぜ両手で筆を持ってはいけないのでしょう」「なぜその持ち方だと思うのですか」と生徒さんに質問するんです。そうやって自分自身で、あるいは皆で議論しながら考えて答えを探っていく。他にも毎月テーマを設けて、それに対する答えを書にしてもらっています。例えば「お金とは」「芸術とは」とテーマを与える。文字数も書き方も自由です。
人間というのは多様だということを、こうしたゲームや議論、つまり書道を通じて分かってもらいたいんです。もちろん上手い人も下手な人もいるけれど、そうしたことも含めて、皆と違うことを認め合い、お互いに高め合い、補っていく、競争するのでもなく、けなし合うのでもなくてね。そうしたことを通じて、書道が自己表現のツールとしてしっかり根付いていっているように感じます。

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武田さんの教室では、少なくとも自由な気持ちで書を書くことが大切なようですね。

武田

ええ。一方で「自由に書く」ということは、「基本に立ち戻る」きっかけでもあるんです。基本が大切なのは当然のこと。しかしだからといって「基本を学んでください」と押しつけたくないんです。僕は、自然に基本に立ち戻れる環境を作りたいのですが、それには「自由に書いてください」と言うのが一番良いんです。自由に書いていると、すぐに壁にぶつかって基本が欲しくなるものなんですね。そうやって基本の大切さに自然に気づく。これは書道だけでなくて、カメラや陶芸などでも同じでしょうね。「なぜこうなるのだろう」「どうしたら、もっと良くなるのだろう」と、悩んでいるうちに、基本に戻っていくんです。書道はルールがたくさんありますが、それが面白さの理由でもあります。

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ルールがあるから面白い。

武田

そう。ルールがなかったら、楽しくないと思いますよ。好き勝手ほど、つまらないものはないでしょうね。人間って誰しも「好き勝手していいよ」と言われたら、何をやって良いのか分からないから「頼むから縛ってくれ!」と言い出すでしょうね。だからこそ、ルールを求めるようになる。僕にとっての「自由」とは、規則を遊べること。好き勝手なのが自由なのではなくて、ルールを遊べるくらいルールをマスターした人が、最大の自由者だと思いますね。

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そのためにも基本やルールやとても大切なことですが、だからこそ、さまざまな取り組みを日々模索されているのですね。そうして自然に書の楽しさやルールを体にしみ込ませていくことで、書をより確固たるコミュニケーションのツールとして活用できるようになりますね。

書を書いている瞬間、どのようなことを考えているのでしょうか。

武田

自分で思っていた以上に集中しているんです。先日、滝の前で幅3メートルの書を書きました。気温はマイナス2度、しかも裸足。でも書いている時には、何も感じないんですよ。途中で墨継ぎをしようとしたら、突然、流れ落ちる滝の轟音が耳に飛び込んできて「あれ、何でこんなにうるさいの?すごく寒いよね?!」って初めて気づいた程です。書を書いている時はの集中力って僕がプロだからではなくて、皆に共通することなんです。書道だけではなく、油絵や写真でもそうでしょうが、この集中している時間は自分との対話の時間でもあります。メール、携帯、テレビ、さまざまなメディアを通して、常に社会と繋がっている状態から自分を切り離して、雑念を取り払って自分自身と対話をできる時間というのは、現代社会においては、非常に大切な時間でしょう。
ただ「集中する」というのは、「無」になるということではありません。揺らいでいるものを、何か一点に一気にすっと集めることです。例えば、今こうして話していても、お腹が減ったなとか、明日の教室ではどんな話をしようか、とか同時に考えられるのが人間ですが、そうした雑念を取り払って一点に思いを集めた状態が集中なんです。そういう要素が書道にはあると感じますね。

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あえて、うまく書くコツを教えていただけるとしたら、どのようなことがありますか。

武田

さんずいには三水(さんずい)の、しんにょうには之繞(しんにょう)のコツというように、無限にありますよ。三水の一画目を書くだけでも、色々な理論があって、それだけで2時間は授業ができますね(笑)。筆という三次元の構造を持ったものが織りなすイメージ、リズムにのって書いてみるということや、フォロースイングも大切ですし…スポーツに例えると分かりやすいかもしれませんね。ゴルフやテニス、野球など自然な動きの後に、自然なフォロースルーがついてきますよね。書道も同じです。
ただその中でも、まずは力を抜くことでしょう。皆さん筆を持った瞬間に無意識に力んでしまうんですが、本来は筆が落ちるか落ちないか位の力で十分なんです。そして深呼吸をしてリラックスしてから書くこと。まずは丸から書くと良いでしょうね。鼻歌なんかを歌いながら書けるくらいリラックスして、力を抜いて書いていく。スキーも力んだら、うまくカーブを曲がれないのと同じで、書道は非常に複雑な身体の動きを伴ったものですから。
先日脳の動きについて、ある実験が行われました。パソコンで文字を打っている時よりも、鉛筆で書いた時の方が、数倍脳が活発に活動しているのですが、更に鉛筆の数倍以上も、毛筆で書いている時は脳全体が活発に活動しているんです。脳には五感を司る機能を始め、色々な機能がありますが、毛筆で書いている時は、それをフル回転させているんですね。紙と毛筆との摩擦や墨の匂いなど、僕らが思っている以上に、たくさんのことを、書を書くという行為を通して感じているのでしょう。

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ただ楽しいだけではなくて、科学的な面白さもあるわけですね。

武田

ええ。知れば知るほど楽しいですね。書の楽しさは、無限にありますから。難しさが楽しいし、同じ線が二度と書けないことが楽しいし、そこに文字があること自体が面白い。書き順などのルールを破ることも、そのルーツをたどることも面白い。文字として認識できる臨界線を行き来するのも楽しい。書道ならではの楽しさと言われると、たくさんあって難しいですね。だからこそ、書道という深い世界を日々探検している状態とも言えるかもしれません。

揺らがずに一点に一気に集める自分と対話する時間
武田双雲(たけだ・そううん)
1975年熊本市生まれ。東京理科大学工学部卒。3歳の頃から書家である母、武田双葉に師事。ミュージシャンとのコラボレーションパフォーマンス書道や斬新な個展など、独自の活動を展開し、書のファンを広げた。2003年中国上海美術館より「龍華翠褒賞」を授与、イタリアフィレンツェにてコスタンツァ・メディチ家芸術褒章を受章するなど、海外での評価も高い。著書に『たのしか』(ダイヤモンド社)、『「書」を書く愉しみ』(光文社新書)『書愉道』(池田書店)など。公式サイト:http://www.souun.net
 
●取材後記
「もともと理系なもので」とおっしゃる武田さん。「分子レベルでは…」「脳の細胞が…」等々、文系の極にありそうな書家の口から出てくるとは思えない、「理系」の言葉がたくさん飛び出す。感覚的に書の面白さをとらえつつ、それを理論的に解き明かそうという姿勢が、今の私たちに共鳴するのかもしれない。じっと座って書道という既成の概念を裏切る、楽しい書の取材となった。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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