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先生が提唱されている「ネイチャー・テクノロジー」とはどういったものなのか、またその研究をし始めたのは、どんなきっかけからでしょうか? |
石田 |
きっかけは企業に勤めていた頃にありました。産業革命以来、私たちは科学技術による快適な暮らしというものを追求してきました。その結果、多くのエネルギーを使う生活をするようになり、環境問題が起きてしまったというのが現在です。ある試算では、2030年には気温上昇が産業革命当時から2度を超え、制御できない気候の崩壊があると言われています。それでは、一体、どうしたら良いのか、科学技術に頼ることをやめるべきなのか、ものを作ることは罪悪なのか…などと考えるようになったんです。 |
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環境問題を非常に深刻だと受け止めつつも、科学技術の発達によって受けた「もの」の恩恵を捨て去るのは非常に辛いことです。エアコンや冷蔵庫が無い生活は想像出来ませんし…。 |
石田 |
人間は欲望の遺伝子を持っている生物ですから、一度得た快適性、利便性を捨てるのは難しいでしょう。だから、それらを放棄しようとすると辛くなる。しかしこのままだと現実問題として、あと20年ちょっとで環境の限界が来てしまうんです。それまでに、新しい暮らしやものつくりの形を作らなくてはいけません。
一方、僕らは何のためにものをつくるのか、企業は何のためにあるのか…。企業には社会性が無くてはならないとか、文化発信基地で無くてはならない、経済機関で無くてはならないと言うけれど、たとえば、環境問題の本質を経営に取り込んだ途端に自己矛盾に陥ってしまう部分があります。では、人間の欲望を満たし、かつ環境負荷を減らすことを両立させるものつくりとは何なのかと考えた結果、見えてきたのが「ネイチャー・テクノロジー」でした。「自然」というのは、驚くような仕組みやシステムを持っているのですが、私達はそれがあまりに身近なために気づかない。そこで「実はすごいぞ!」という「自然」を科学の目で見て、それを今までとは異なったものつくりをするために活かそう、更には新しい暮らし方を提案していこう、と考えたわけです。
そもそも我々が今生きているこの現代社会が出来たのは、この200〜300年間のことだし、農業を始めたのもたった1万3千年前です。我々が今に繋がるような変化を起こし始めたのも、本当に最近のことだと言えます。人間だって最初は森の中で、そこにある実を食べて暮らしていたわけですよね。それが畑を耕し始め、更にエネルギーを使って加工する二次産業にまで、生活を進化させてきました。これらの行為をエネルギーに換算してみると、実を食べていた森の暮らしは一日2000〜3000キロカロリー、ところが現代人は、多い人だと20万キロカロリーも使っていることになるんです。 |
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それはエアコンだとか車だとか、人が生活する時に使うエネルギーということですか? |
石田 |
そうです。昔は3000円で生活できたけれど、今は一日20万円もかかっていると言ったら分かりやすいでしょうか。でも人間のDNAの構造は、人類が誕生してから基本的に変わっていないでしょう。少なくとも、この4万年は変化がないそうです。とすれば、森での暮らしと今の暮らし、本来持っているものは変わらないのに、エネルギーをこれほど必要とする生活は、どうもストレスがかかるような気がしませんか?
だからといってもちろん、森の中の生活に戻るわけには行きません。だからこそ、テクノロジーというフィルターを通して見直してみることが必要なんです。
ネイチャー・テクノロジーは、基本的には3つのステップで考えます。まず「自然のすごさを理解する」。次にそれから学びとる。つまり「なぜそれが起きるのだろう?」ということを、科学的に理解するということです。最後に、それらをテクノロジーへと変換し、実際に使っていこうというのです。 |
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ネイチャー・テクノロジーとは「自然のすごさを賢く活かす」と唱えられていますが、例えばどんな「自然のすごさ」でしょうか? |
石田 |
ヤモリを見たことはありますか? |
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はいあります。壁にくっついていたりしますよね。 |
石田 |
じゃあ、なぜヤモリは壁や天井にくっつくことができるか分かりますか? |
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何でしょう…。 |
石田 |
秘密はヤモリの足にあります。ヤモリの接着能力は強力で、ハガキ一枚分の大きさで、約200キロの重量に耐えられます。軽四自動車のタイヤ1本の接地面積が、大体ハガキ1枚分ですから、4枚あれば車一台を吊り下げることができる。つまりヤモリの接着メカニズムが分かれば、天井を走る車ができてしまうということです。 |
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それはちょっとすごいですね! |
石田 |
この秘密が分かったのが、3年くらい前のこと。ヤモリの足の指には50万本もの毛が生えていて、さらにその毛の先が数百本に分かれているんです。こすった下敷きに髪の毛がくっつくように、ナノ・メートルサイズの細かく分かれた毛1本1本と、天井材との間に分子と分子が引きつけ合うファンデルワールス力が働いてくっついていたんです。 |
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その力のおかげで、接着面の種類を問わず、あんなに自由自在にくっついていたんですね。天井を走る車だけでなく、ものをくっつけるという概念自体がまったく変わってきそうですね。そうやって自然を科学の目で見た結果、実用化されているものはあるのですか? |
石田 |
例えば汚れにくい表面を持つ材料があります。この表面は、カタツムリの殻から学びました。カタツムリの殻が汚れていることってないですよね。ピカピカしています。鳥の卵も同じ。卵ってちょっと鶏糞で汚れても水で洗うとつるっと落ちてしまう。
これがその表面を持ったタイルです。表面に油性ペンで線を引きます。ここに水をかけると……何が起こってます? |
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ペンの跡が消えました!魔法みたいです。 |
石田 |
普通、油性ペンの跡を消そうとしたら、ベンジンやアルコール、強力な洗剤などを使いますが、この表面ならば「水」を使うだけでいい。この材料の表面に、油よりも水と結びつく性質を強く持たせたためです。 |
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ということは、逆に油性ペンの跡が消せないようにも表面をコントロールできるということですね。 |
石田 |
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油性ペンで描いた円が水をかけるだけでみるみるにじみ始めた |
そうですね。カタツムリの殻の表面は、タンパク質と炭酸カルシウムが絡み合って複雑な構造をしています。そして殻表面のエネルギーと水の表面のエネルギーの差が、殻と汚れ(油)のそれよりも小さいために、殻と水のほうが仲良くしやすく、その結果、油と殻の間に水が入るので、油を浮かし汚れを落としてしまう。この殻の構造を利用すれば、材料の表面エネルギーをコントロールしてカタツムリの殻と同じように汚れが付きにくいものができるということです。そうして生まれたのが、この材料なんです。
ただしカタツムリの、この非常に複雑な表面を単純に真似るとなるとものすごいエネルギーが必要となります。だから大事なのがテクノロジーなんです。僕達が簡単には構成できないような表面をそのまま模倣する、つまりサイエンスをそのままテクノロジーへとトランスファーするのではなくリ・デザインしていく、それがネイチャー・テクノロジーなんです。 |
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この材料は今、どのように使われているのでしょうか? |
石田 |
例えばトイレに使われています。トイレの場合、2004年のデータでは4人家族で、一年間に汚物を流すのに29000リットルもの水を使うと言われています。ところが掃除のために18000リットルから多い人で80000リットルも使う。強い洗剤を使うからそれを中和するために水が必要なんです。しかしこの表面を使うことで、水の使用量が3分の1に減ったという調査結果が出ています。また建物などの外装にも使われています。汚れなどは水や雨水が落としてくれるので、5年毎だった外装のメンテナンス期間が大幅に延びそうだという報告もあります。 |