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かしこい生き方 フリージャーナリスト 桐谷エリザベスさん
生活の中に溶け込む日本の美的感覚

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1979年に来日されて30年近くが経とうとしています。アメリカにいらっしゃる頃は、日本に対してどのような印象をお持ちでしたか?

桐谷

ボストンに住んでいた時から、日本文化に興味がありました。私の家族は、割に古いタイプの人間で、毎週日曜日には教会に行って、そのあと食事をして、更に美術館に行くという習慣があったのですが、この美術館に行くのが子供としては退屈で退屈で(笑)。その退屈な時間が、日本の浮世絵によって変わったんです。ボストン美術館は、印象派を始め、たくさんのコレクションを所蔵していることで知られていますが、その中に日本の浮世絵も含まれています。初めて見た浮世絵は本当に面白く、雨が降る様子を直線で表したりするような構図や色使いなど、すべてがそれまで見た絵とは違っていました。それ以来、日本の美術を見に行く日が楽しみになりました。
小津安二郎の映画を観た時も、そうでした。当時、アメリカにはお金があって、モノがあふれていましたが、小津映画の中では、ちゃぶ台と、畳、襖、障子があるだけ。余計な飾りが一切ない。あのさらっとした感じにあこがれましたね。しかも登場人物も決まっていて、3、4人の男性が集まって、お酒を酌み交わしながら、家族の問題などを解決していく、その人間関係にも温かいものを感じました。

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そうした文化に触れたのが、日本を訪れるきっかけになったのですね。

桐谷

はい。初めて日本に来たのは、私が病院で働いていた頃。東京と京都を旅行しました。その時はこんなにデザインを大事にする国は他にないと思いましたね。デパートのディスプレイ、町の八百屋さんの店先に並べられている野菜や果物の並べ方。欧米なら山積みにしてしまうところを、きちっと一列に並べて、更に全体的に美しく見えるように、赤いリンゴの隣に、黄色のものを置いたりするなど配色まで考えられているんです。それまで一度は外国に住んでみたいと考えて、フランス語の勉強をしていたのですが、日本を訪れてからは「日本に行きたい!」と考えるようになりました。
一方で誤解していた点もあります。日本人自身について、イメージが間違っていたんです。ボストンにいる頃、実家ではよく外国の方を食事にお招きしていたのですが、日本人が来る夜は退屈で仕方がなかった(笑)。アメリカ人にとって、楽しい話、良い話というのは議論できるテーマであること。つまり互いに意見を言い合うことが楽しみの一つなんです。ところが日本人は、話題といえば天気の話。返事も短いし、笑わないし、そもそも話をしない。それに英語は親や先生に対して使う言葉と、犬に話しかける言葉とは基本的に同じ。大統領にだって同じ言葉を使いますが、日本語には敬語があるせいか、どうも話し方が堅苦しい。

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日本人は、そういう場面で話すのは苦手かもしれませんね(笑)。

桐谷

でも退屈という印象は間違っていました。ある時、日本人研究者や学生の集まりに誘われたんですが「これは日本人じゃない!」と驚きました。笑ったり、泣いたり、とにかく今まで見ていた日本人とは全く違って、情熱的なのです。それが表に出ず見えないから、間違った印象を持っていただけ。私の家で見せていたのは、日本人の礼儀正しさでした。

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日本語には「内弁慶」と言う言葉がありますが、内と外で振る舞いが異なる面があるかもしれません。またそれが美徳の一つとして捉えられていますね。

桐谷

日本に住み始めても、毎日楽しい発見がありました。日本人にとっては、ごくごく当たり前のことだとは思いますが、何をするにもルールがあるでしょう? 喫茶店でいつも感動するのは、テーブルを拭くにしても、きちんとふきんを畳んで拭いて、更にふきんを折り返してきれいな面でもう一度拭くんです。そうやってきちっと物事を進めるところが、すごく素敵だと思いました。
ハンカチを持っているっていうことも、欧米の人達にはまずないことだから感動しましたね。アメリカに帰った時に、お土産にハンカチを買おうとデパートに行ったのですが、見つかりませんでした。昔は、日本のお手洗いにペーパータオルなどなかったでしょう? 以前、母が来日した時に、高速道路のサービスエリアのトイレで困った事がありました。手を洗っても、手を拭くものがなくて…。そしたらそれを見ていた中学生の女の子達が「どうぞ使ってください」と、ハンカチを貸してくれたんです。とても感心しました。
同じようなものでは、風呂敷もとても素晴らしい。リバイバルすべきですね。

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瓶で箱でも、あるいは大小についても、包むものに従って包み方があり、融通が利いて便利ですよね。

 

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下町の長屋で、日本人の本当の意図を汲むのは、大変ではありませんでしたか?日本人は、相手の言葉を否定しないというか、言い合うのをあまり好まない傾向がありますし。

桐谷

そうですね。でもアメリカ人は、たとえ答えが「Yes」であっても、あえて「No!」「I don't think so!」というのが、好き。すごく好きです(笑)。
アメリカ社会では、個人差があることが大人であると考えられています。つまり他の人と違うことで、自分を確立する。それが会話にも現れています。だからあえて、相手と反対のことを言うんです。相手が「犬が好き」と言ったら、たとえ好きであっても「嫌いよ!」と言ってみたりする。そうやって反対意見を出しながら、ある物について、いろいろな角度から検証をしていくのです。良いことだとは思いますが。
一方、日本人は「和」が好きですね。日本に住むと、静かで良いなと感じることがありますが、向こうだと、ディナーパーティーに行くにしても、事前に話題を用意していかないといけないので大変です。

   

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日本人は、知らない人同士が隣あわせても、なかなか会話が続かないんですが…。

桐谷

そこに討論的、つまり意見を交わせるような話があれば、会話が続きませんか? でも日本では初対面の方に討論的な話や政治的な話をするのは失礼にあたるでしょう? 私など長年日本に住んでいても無性に政治的な話がしたくなる時があります。これはやはり生まれ育った国の文化的な違い、教育の影響が強いのでしょう。アメリカで生まれ育ったら、討論的な性格になるはずですよ。

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日本人は討論下手だと言われますが、それについてはどう思われますか?

桐谷

良いと思う時もあるし、もっと意見を言っても良いのにと思うこともありますが、少なくともパーティの前に話題を準備していかなくてはいけないというのは今や、私も面倒です(笑)。

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そうですか(笑)。しかし、来日されてから30年近く経ち、その間に日本も変わったと思います。その変化をどのようにお考えですか?

桐谷

良い点としては交通関係のシステムの発達が挙げられます。来日した時は、日本語の分からない私が地下鉄を利用するのは、至難の業でしたが、今では私、地下鉄を使うのが大好きです(笑)。乗り換えのマップもあるし、どこの出口から出ればいいのかもすぐ分かる。時間通りに運行されているし、各駅のホームのデザインも、駅ごとに流れる音楽も違う。素晴らしいですね。駅ごとに番号が振られていたり、ローマ字で駅名が記されていたり、大きな変化だと感じますね。

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一方で、道でぶつかっても何も言わずに行ってしまうなど、マナーの低下は、私達日本人でも感じている変化です。

桐谷

そうですね。でも東京など、どこにいっても混んでいますから、仕方がないのかしら。私は、日本人は、混んでいるところを別にすれば、相手を大事にすることが好きだと感じますよ。遊びに来る友達を迎えに行ったり、さよならの挨拶をした後、相手が見えなくなるまで見送ったり…とても美しいことですし、外国にはないことです。

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ご主人と共にボストンのご両親のところに遊びに行った帰り、荷物を運び出して「さあ、最後の挨拶を」と思ってご主人が振り返ったら、もう誰もいなかったとか…。

桐谷

そうなんです! その後数年会えないと分かっていても、一度「さよなら」といったら、それで終わり。合理的な考え方ですね。例えば、私の紹介で仕事を得た友人がいたとします。もしアメリカ人であれば、「あの時はありがとう」と一度言ったらそれ以降は、もう忘れてしまうでしょう。つまり、もう自分の仕事であってあなたには関係ないという考え。一方、日本人はそれを覚えていて、遠い将来までも、その義理を感じています。アメリカのような激しい競争社会にあっては、合理的、自分中心に考えることが当然のようになっているけれど、日本のこの文化はとても素敵なことだと感じます。

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日本の素晴らしさをお話しいただきましたが、これらはエリザベスさんご自身の性格や物の見方が反映されてのものなのでしょうね。

桐谷

もちろんそれもあるでしょう。でも、自分の国だからこそ、その良さが分かりにくいという面があるのではないでしょうか。私は、日本人が当たり前と思っているものが当たり前でないので、楽しいと感じるのでしょう。

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もし、当初予定していた通りフランスに行かれていたら、フランスの良さをたくさん発見されていましたね。

桐谷

どうでしょうか。アメリカとヨーロッパの文化には共通点があります。しかしアメリカと日本とでは、まったく違う。それが楽しいのです。なぜ違うのか、なぜそうなるのか考えるのが面白い。その違いに対する私の考え方も、長く住むうちに変わってきて、これがまた楽しい。
日本に来た頃、小学校ではトイレも含め生徒が自分たちで掃除すると聞いて「信じられない、子供にそんなことをさせるなんて!」と思っていたんです。日本の政府は節約するために何てことをするのか!って(笑)。アメリカでは考えられないことですからね。でも今考えると、それが大切なことなのだと分かります。学校で掃除をしているから、それが生活の一部になっているでしょう?主人に聞いたら、学校で料理をすることや、お裁縫も習うと。私が受けた教育の中には、そんなものはまったくありませんでした。たくさん勉強して、良い大学に入って、良い会社に入るということが目的ですから。でも人生には、仕事以外にもすることがたくさんあります。そうした時に、日本人が学校で習ったことというのは、とても大切な気がします。
他にも、日本人は、モノを使い終わったら片付けるという気持ちがあるでしょう?多くのアメリカ人は、そのままで次のことに興味が向くでしょう。これも若い時の訓練の違いによるものだと思います。自分の家の前を掃除するなんていうのも日本ならではですね。アメリカならば「これは私の土地じゃない」と言うでしょう。

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日本の工芸品もお好きですね。お箸も特注されたとか。

桐谷

ええ。注文した時は値段を知らなかったんですが(笑)。でも本当に美しい。美術品ですね。良いものには、センスがある。単に物を作ることは、どの国でも出来るのだけれども、これほどまでに美的で、それが手に入った時に嬉しく感じるものは、なかなかありませんよ。例えば、和傘。手に持った瞬間に、ロールスロイスに乗った時のような、何とも言えない感じがしました。
工業製品にだって、日本には素晴らしいものがたくさんあります。例えばシャワー。西洋的なものではありますが、欧米のものは壁や天井にくっついているんです。でも日本のは、シャワーホースで自在に動かすことができる。子供がいる方にとっては、こんなに使いやすいものはないはず。日本のアイデアですね。ウォシュレットやプラズマテレビ、使い捨てカイロもそう。こうした物を作る民族は他にいないと思います。日本の皆さんが気づかない、素敵なもの、いくらでも挙げることができますよ。

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何だか、もう一度日本的なものを見直してみたい気がしてきました。今日は有り難うございました。

意見を交わす米国人と調和を好む日本人
桐谷エリザベス(きりたに・えりざべす)
フリージャーナリスト。アメリカ、マサチューセッツ州ボストン出身。ホイートン大学卒業。ハーバード大学医学部で心臓と肺の研究を行うと同時に同大学附属病院で血液専門家として働く。1979年、来日。シンプルライフを提唱し、東京谷中の長屋に17年暮らした。テレビでのキャスターや新聞にコラムなどを執筆。各種の専門委員会の委員を務める。著書『消えゆく日本』(丸善ブックス)で日本文芸大賞ルポライター賞を受賞。
 
●取材後記
本当に日本を愛し、私たちが眉をしかめるような流行もエリザベスさんにとっては「面白い」となる、その発想は、外の目というだけでなく、エリザベスさんご自身の前向きな性格の所以だろう。華道や茶道、日本舞踊と日本文化に対する造詣は、日本人の私が、足元にも及ばない。何だか、照れくさいような、こそばゆいような、でも嬉しくなるような取材だった。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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