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先生がチンパンジーの研究を始めたのは、そもそも「人間」を知りたかったからだそうですね。 |
松沢 |
僕の先生である室伏靖子先生が、日本でもチンパンジーの知性の研究をしたいと言って「アイ・プロジェクト」がスタートし、この研究所でチンパンジーに出会ったことがきっかけとなりました。それがなければ僕は現在のような研究をしていなかったでしょうね。チンパンジーのゲノムは、98.77%が人間と同じです。言い換えれば、人間は98.77%チンパンジーなんです。今でこそ、そうした点が科学的にも証明されていますが、当時は、そうしたことも分かっていない状況でした。
僕は、研究所に入ってから研究対象としてニホンザルをずっと見ていましたから「猿」に対してのイメージが一般の人よりも、しっかりできている状態だったと言えます。しかしアイに会った時は、本当に驚きましたね。会うまでは、チンパンジーを「黒くて大きな猿」と思っていたのですが、それは間違っていました。
まず目が合うことに驚きました。ニホンザルだと、目を見ると「キャッ!」と怒るか、目をそらす。基本的には攻撃の時にしか目を合わせませんからね。動物園にも「猿の目を見つめないでください」と書いてあるでしょう?
ところがアイは攻撃をするでもなくじーっと見つめてきた。更に僕が着けていた腕カバーをアイに渡したら、受け取って自分の手に着けたんですよ。そうやって僕の「まね」をすることにも驚きました。よく「猿まね」と言いますが、猿はまねなどしません。テレビなどで見るのは、猿にそういう姿勢を取らせているだけで、それを人間の側が「ああ、まねしている」と理解するだけのことです。それを知っていたので、アイが僕のまねをしたことにすごく驚きました。更に「返して」と言ったら、返してくれた(笑)。これにも驚いた。同じ事をニホンザルにしたら、受け取らないか、受け取っても食べられないと分かって捨ててしまう。見つめ合うことができて、まねることができて、更に物のやりとりができることに素朴な驚きがありました。 |
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アイ・プロジェクト全体の目的は、チンパンジーにどこまで言語能力があるかを研究することだったそうですが、先生はどのような研究を進められたのですか? |
松沢 |
チンパンジーの言語能力については、当時すでにアメリカで手話を使った研究が行われており、130くらいのサインを獲得して人間とやりとりできることが分かっていました。しかし手話だと、例えば「赤」と言っているのか、それともただ体を掻いているだけなのか、客観的な資料として残りません。そこでより客観的にチンパンジーが理解している言葉を取り出すためには文字の方が良いのじゃないかと考えて、独自の図形文字というものを考案したんです。例えば菱形の中に横棒があったら「赤」、四角に縦の波線ならば「緑」というように。それを色紙を使いながらチンパンジーに覚えてもらいました。覚えてもらったら、今度はタンポポを見せた時に「黄色」と答えるのかどうか、また彼女たちはどの範囲を「黄色」と呼んでいるのかを調べ始めました。つまりチンパンジーが見ている世界を、文字を使って表現するという、まだ誰もやっていなかった研究をしたわけです。 |
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色の数は? |
松沢 |
赤、橙、黄色、緑、青、紫、桃色、茶、藍、黒、白の全部で11色です。 |
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アイはその11色を見分けることができたのですか? |
松沢 |
そうです。もちろん最初は、特定の色と、特定の図形文字とを組み合わせて教えるのですが、その後、少しずつ色合いや明るさを変えて、最初に教えた「赤」の周辺にある色を、アイが何と答えるか聞いていきました。 |
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チンパンジーは世界を色付きで見ていたんですね。 |
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松沢 |
この実験を通して、物理的に同じ1枚の紙を、人間は何色と答え、チンパンジーは何色と答えるのか、それを知りたかったのです。そうすると非常に面白いことが分かって、色の安定度がチンパンジーと人間がほぼ一緒だったんです。つまり人間でも、「赤」という言葉が指す色は個人によって微妙に違います。それでも民族や言葉の壁を越えた普遍的な色の分類があるのだということが研究から明らかにされています。それがチンパンジーとも共通しているということが分かったのです。
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数字を使った実験もされていますね。 |
松沢 |
色の研究のバリエーションと言えます。チンパンジーが数をどのように認識しているのかを知るために、アラビア数字を教えました。今から20年前は、そんな研究をしている人は誰もいませんでしたが、アイは、5本の鉛筆を見せると「5」と答える、コップを3つ並べれば「3」と答えました。それでアイは、「天才チンパンジー」などと言われ、世界的に有名になりました。 |
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数の概念がちゃんとあるということですね。更にどちらの数字が大きいかということも分かるとか。 |
松沢 |
そうです。数については、「1個、2個、3個」(one, two, three)という0から9までの基数と、かつ「一番目、二番目、三番目」(first,
second, third)という序数の概念も理解しています。コンピュータの画面に出た数字を、数の小さいものから指し示す早さなんて、人間はかないませんよ(笑)。 |
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実験では、コンピュータの画面に一瞬ランダムに8個ほどの数字が表示され、すぐに各数字が四角い図形に替わってしまうのに、最初に表示された数字の場所を覚えていて、小さい順からタッチしていきますね。画面に数字が出ているのがとても短時間で、私はほとんど記憶できませんが……(笑)。 |
松沢 |
でしょう?(笑)多分、ここにいる誰もチンパンジーにはかないませんよ。 |