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多くの定年退職者に取材して「これが定年後を充実して生きるヒントだ」と思われるような事はありますか? |
加藤 |
「一点突破」ですね。つまり、自分がこだわりたいテーマに徹底的にこだわる事で、そこからすべてが開けてくると思います。定年退職者に対して、他の人はこんな過ごし方をしているといった退職者の傾向や、年金などを含めての平均収入、趣味の持ち方などを説く方がいらっしゃいますが、まずは自分がこだわりたい一点を徹底してやる事によって、すべてが付いてくる。それがこれまでの取材を通して分かりました。それは何でも良いんです。健康にこだわろうという気持ちが高じて、夜間の学校で中国医学を学んで、最終的には鍼灸師になった方がいます。「健康」という一点から辿り着いた結果です。あちこちカルチャースクールに通っているうちに、スクールに通う事自体が趣味になった方もいました(笑)。趣味のはしごが趣味になってしまって、気が付いたら、趣味が100くらいあるというんです。その女性は、一つの事に対して100点満点を取ろうとは思わないんだそうです。年を取ってから道を究めるなんてしんどい事はしたくない。だけど自分が興味を持った面白そうな事や楽しそうな事は、やってみる。長続きはしないけれど、一つの事で25点を取れれば良いと言う。「そんな楽しい事を知らずして、死ぬのはいやだ」という思いがあるのだろうと思うんです。 |
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それも一種のこだわりですよね。 |
加藤 |
そうです。他にも、四国の片田舎で助産婦さんをしていた独身の女性がいて、彼女が55歳くらいの時に助産婦の仕事が先細りになってきたのを機に、60歳で廃業して「これまでは人の幸せのために手を貸してきたのだから、今度は自分が楽しみたい」と思い立ち、パッケージツアーでハワイに行ったんです。それをきっかけに海外旅行にはまって、83歳になるまでに世界117ヶ国を旅したって言うんですよ。だからこちらが思いつきで「トリニダード・トバゴはどうでしたか」と尋ねると、ちゃんと「ハイ、そこはね」と、答えが返ってくる(笑)。更に彼女がすごいのは、四国の田舎に住んでいるから、海外に行こうとすると関西空港か成田空港に行かないといけない。そうすると、前日に空港の近くに一泊する事になるわけですが、それだけで香港あたりに行けてしまう出費。それにすぐ気づいて、四国の松山空港から韓国へ飛び、韓国でトランジットする方法を発見したんです。その方が絶対安いし、いろいろな所に行けるって。また、言葉は達者ではないけれども、食事をしたければスケッチブックにフォークとスプーンを書いて示すなど、旅を重ねる内にどんどん旅行術を身に付けていった。 |
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すごい! アクティブですね。 |
加藤 |
ところが70代の時にスクーターに乗っていて事故に遭い、複雑骨折をしてしまったんですね。医者からは1年以上療養しないといけないと言われたほどの事故でした。けれども彼女は1ヶ月くらいで病院を出てしまい、あとは自宅で独自のリハビリを開始したんです。70歳を過ぎてのリハビリはとても辛いものですが、まだその時点で旅行した国は70数カ国。「四国にちなんで、せめて88ヶ国は行きたい」という強い思いがあって、医者も驚くほどの回復を見せ、すぐにまた旅に出ていきました。すごい事ですよ。こうやって旅行一つにこだわる事で、世界が広がっていくのはもちろん、健康だって維持している。彼女は語学が達者なわけでもないし、旅費は年金を使っているんですが、本当に楽しんでいらっしゃる。そういう体験を知ると「良いなぁ、年をとるって楽しい事なのだなぁ」と思いますね。 |
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加藤さんご自身は、「その後」を考えていらっしゃいますか? |
加藤 |
常に考えていますよ。まず取材をして書くという仕事を、できれば一生続けていきたい。そのためには、いろいろな意味でその技術を究めて、その人の潜在的な思いまで含めた取材をしたいと思っています。「自分の人生これで良かったのかな」と思う事は、誰にでもあるでしょう?
悔しさや無念、挫折感、喜び…そうした、その人の中の大事なものをすくい取っていきたいですね。ですから、大げさな言い方をすると毎回が真剣勝負。そこでその都度、その「何か」を発見していくのが、僕自身の作業かなと感じます。 |
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定年退職というものがないご職業ですね。 |
加藤 |
取材、執筆以外に楽しい仕事が出てくればベストだけれども、少なくとも60歳まで生きてきて、それがないんですよね(笑)。10代の頃などは、古本屋をやったら楽しいんじゃないかと思った事もあるけれども。それに、今から他のビジネスをやっても失敗するに決まっているなと(笑)。 |
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ご自身の好きな仕事をずっと続けられるというのは、とても素敵な事ですね。 |
加藤 |
確かに仕事の延長線上で生きられれば、そんな幸せな事はないでしょう。僕の場合は、書く事の延長線でしか生きられないし、それしかないと思えるから続けているわけであって、生涯仕事を続けたいと強く思うならば、その道はどなたにもあるはずです。
例えば「自分は生涯一教師でいたい」と考えた学校の先生にお会いした事があります。60歳を過ぎてからは、高校の非常勤講師になって数学を教え続けた。今は80歳近くになりますが「数学の教師でいたい」という思いから、高校生に対してホームページ上で数学の問題の分からないところを教えるという事をなさっています。 高校に行きたくないけれども大検を受けたい、あるいは海外に住んでいるけれども日本の大学への入学を考えている人達に対して、ボランティアで教えているんです。それもこの方が「生涯一教師でいたい」という強い思いがあっての事。ある技術者の方は、途上国に行って、現地で技術を教えている。それは「ボランティアをしよう」というよりも、自分がやりたい事にこだわった結果、そうなったまでの事。あるいは「仕事はもういいよ」という人もいるでしょう。そういう方は、自分が面白いと思う趣味を無邪気にやるのも良いですね。 |
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「ボランティア」というと、人に喜ばれる、あるいは人からそうした評価が返ってこなければいけないと思いがちですが、確かにそうではありませんね。その根底に「自分」がある事によって、結果的に人から喜ばれる。 |
加藤 |
ボランティアをパターン化して「仕事に替わるもの」と考えるのは間違いであって、広い意味で「人に喜ばれる事がボランティアだ」と考えれば良いんじゃないでしょうか。90歳を過ぎて、自転車旅行を楽しみながら施設を訪問して、人を楽しませたり笑わせたりする事に徹しているという方がいます。その方は現在94歳ですが、今でも電話をかけてきてくださって、僕が「元気そうじゃないですか」と言ったら、「最近、何かしようと思って部屋から廊下に出ていくと、しようと思っていた事を忘れてしまうんです。それでまた部屋に戻って、また廊下に出て…そういう有様なんです」と、おっしゃる。「で、これを何ていうか知っていますか?
「ロウカ」(老化)現象です」と言う(笑)。94才にして、このたくまざるユーモア! 自分が90歳になっても、そうなりたいし、そういう人に接したいと思う。その人のこれまでの人生の延長線上で自分らしく生きれば良い。施設を訪れて車いすを押すのを手伝ったりするのも良いですが、94歳になってもこんな風に人を笑わせてくれる人がいる――この励ましの方が、僕にとってはすごく嬉しいメッセージになるし、自分が歳をとっていく事の励みになる。
サラリーマンを体験してくると、どうしても成果主義に走る傾向があります。ボランティアにしても、どこかに目に見える成果を課しているところがあるのじゃないでしょうか。それが役立つ場面もあるかもしれませんが、数値でとらえ切れない励ましや「ボランティア」という言葉を使わないボランティアがたくさんあるんです。日常生活の中で、その人自身が生き生きとしていないと、そうしたものは生まれてきません。自分が「生きる」事によって、周囲を喜ばせるという方が良いのじゃないか――それはボランティアに限らず、仕事をするにしても何をするにしても言える事。かみさん一人を喜ばせるのも本当に大変ですよ(笑)。 |
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生き生きと暮らしている方を見ると、楽しくなるというか「自分の将来も楽しいものになるかな」と、幸せな気持ちになる。ボランティアだったり、旅行だったりと、一つの軸を持つことで人生が充実するのですね。年を取っても、良い事はたくさんありそうな気がしてきました。 |