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かしこい生き方 ノンフィクション作家 加藤仁さん
「定年」という窓から見えてくる暮らしの問題

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加藤さんは、「定年後の生活」が今のように話題になっていなかった25年以上前から、定年退職者の方々に取材をされていますね。

加藤

そもそもは、いわゆるビジネス戦士と言われていた人達が定年を迎えたらどうなるのかという興味から取材を始めたんです。単純に「皆さん、何をしているのだろうか」と。週刊誌の連載のための取材でしたから、最初は、一年も続けば良いなと思っていたのですが、結果的には25年以上続ける事になりました。僕自身、よもやこれほど続くとは思っていませんでしたが「定年」というテーマにはまってしまったんですね。

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想像していた以上に興味深いテーマだったという事ですね。

加藤

「定年」という一つの窓から、実にいろいろなものが見えてきたんです。例えば、その人が会社員時代に得た達成感や充実感といった思いが見えてくる。家族や家庭、定年後に身を置く「地域」の問題も浮かび上がってくる。更に60歳を過ぎると体の不具合も起きてきますから、生病老死にまつわる問題も現れる。それだけでなく、その人が大事にしているもの――名誉やお金、家族、信仰などといったものについても見えてくる。だから、ある時は、その人の家族や家庭の問題を描いてみたり、またある時はその人が経てきた職場での体験に迫ってみたりと、いろいろな視点が見つかり、今の日本人が直面しているさまざまな問題が見えてきたんです。人間の原点に立ち返った取材をしていて、全く飽きる事がありません。

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定年退職者を取材する中で、日本人が抱える問題が見えてきたとおっしゃいましたが、具体的にはどんなものでしょう。

加藤

人それぞれ直面する問題は異なりますし、時代によっても変わりますから「これ」とは言い切れません。例えば戦後の日本人は、遮二無二働いて戦後の復興期があり、かつ高度経済成長期になって、現在につながるような第二次産業を興してきたという意識があります。また僕が取材を始めた頃というのは定年が55歳の時代でしたから、今とは事情が異なるというのもお分かりになるでしょう。しかし少なくとも、ある時期までは会社勤めをする事によって、いろいろな意味での「報い」がありました。

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「報い」?

加藤

経済的な報いというのでしょうか。給料がアップし、マイホームや車、カラーテレビを手に入れるといった「モノ的」な豊かさや、子供を育て上げる事が働く動機付けになっていたわけです。つまり会社勤めによって報いが得られたわけですね。しかし今はその「モノ的な報い」という拠り所に対して、意識が変わってきているように感じます。「モノだけで人間どうなのか」と…。例えば、仕事に対してのモチベーションも、僕らの娘や息子の世代では変わってきているでしょう。会社勤めをすれば確かに生活は安定するだろうけれども、フリーターでも、派遣社員でも良いじゃないか、「私は6時に帰って、自分の好きな事をして、土日もしっかり休める方が良い」と考える人も増えました。昔のように「会社にいれば良い」のではなくて、「個」として、どうやって充実させていくかを考えている人が多いんじゃないかなとも思いますね。
一方、僕自身団塊の世代に属するわけですが、団塊の世代にとっては、会社の成長と個人の成長が、ある時期、パラレルにありました。今、この関係は崩れはしたのだけれども、団塊の世代の中にはその思いが多少なりとも残っているんじゃないかなという気がしますね。

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最近は、会社勤めを終えた後、もう一花咲かせようとする方も増えてきたようにも感じますが。

加藤

それだけ皆さん、肉体的にも精神的にも若いという事でしょう。それに双六で言えば「上がる」というのかな…その「上がる」状態がない、不完全燃焼の状態で定年を迎えている方が多いというのが、今の状態ではないでしょうか。50歳を過ぎると、多くの方が系列の会社なり、サテライト企業に出向という形になり、本社にいる人はごく少ないはずです。また、いつの頃からか、ある年齢に達したら役付だった人が役無しになって、給料も6割以下になるという役職定年というシステムも導入されました。サラリーマンは現役中に、一度そうしたショックを受けているわけです。だからこそ、定年後をより充実して生きる事に強い興味があるのではないでしょうか。

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会社勤めを終えても、何かしたいという気持ちが残っていると。

加藤

そもそも会社というのは、仕事をする見返りとして、給料と地位をくれるんですが、今の時代、社長か経営幹部にでもならない限り、なかなか達成感は得られないでしょう。その中で50歳を過ぎても給料をもらえている自分がいるのですから、幸せな事なのではないでしょうか。それに個々人によって、自分の仕事観や会社観は異なりますから、会社員としての人生が良い、悪いという話ではありません。その都度「生活人」としての自分の実情と会社観を考えた時に答えが出てくるはずです。そして定年後は、自分自身でその答えを出していかなければいけない。

 

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多くの定年退職者に取材して「これが定年後を充実して生きるヒントだ」と思われるような事はありますか?

加藤

「一点突破」ですね。つまり、自分がこだわりたいテーマに徹底的にこだわる事で、そこからすべてが開けてくると思います。定年退職者に対して、他の人はこんな過ごし方をしているといった退職者の傾向や、年金などを含めての平均収入、趣味の持ち方などを説く方がいらっしゃいますが、まずは自分がこだわりたい一点を徹底してやる事によって、すべてが付いてくる。それがこれまでの取材を通して分かりました。それは何でも良いんです。健康にこだわろうという気持ちが高じて、夜間の学校で中国医学を学んで、最終的には鍼灸師になった方がいます。「健康」という一点から辿り着いた結果です。あちこちカルチャースクールに通っているうちに、スクールに通う事自体が趣味になった方もいました(笑)。趣味のはしごが趣味になってしまって、気が付いたら、趣味が100くらいあるというんです。その女性は、一つの事に対して100点満点を取ろうとは思わないんだそうです。年を取ってから道を究めるなんてしんどい事はしたくない。だけど自分が興味を持った面白そうな事や楽しそうな事は、やってみる。長続きはしないけれど、一つの事で25点を取れれば良いと言う。「そんな楽しい事を知らずして、死ぬのはいやだ」という思いがあるのだろうと思うんです。

   

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それも一種のこだわりですよね。

加藤

そうです。他にも、四国の片田舎で助産婦さんをしていた独身の女性がいて、彼女が55歳くらいの時に助産婦の仕事が先細りになってきたのを機に、60歳で廃業して「これまでは人の幸せのために手を貸してきたのだから、今度は自分が楽しみたい」と思い立ち、パッケージツアーでハワイに行ったんです。それをきっかけに海外旅行にはまって、83歳になるまでに世界117ヶ国を旅したって言うんですよ。だからこちらが思いつきで「トリニダード・トバゴはどうでしたか」と尋ねると、ちゃんと「ハイ、そこはね」と、答えが返ってくる(笑)。更に彼女がすごいのは、四国の田舎に住んでいるから、海外に行こうとすると関西空港か成田空港に行かないといけない。そうすると、前日に空港の近くに一泊する事になるわけですが、それだけで香港あたりに行けてしまう出費。それにすぐ気づいて、四国の松山空港から韓国へ飛び、韓国でトランジットする方法を発見したんです。その方が絶対安いし、いろいろな所に行けるって。また、言葉は達者ではないけれども、食事をしたければスケッチブックにフォークとスプーンを書いて示すなど、旅を重ねる内にどんどん旅行術を身に付けていった。

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すごい! アクティブですね。

加藤

ところが70代の時にスクーターに乗っていて事故に遭い、複雑骨折をしてしまったんですね。医者からは1年以上療養しないといけないと言われたほどの事故でした。けれども彼女は1ヶ月くらいで病院を出てしまい、あとは自宅で独自のリハビリを開始したんです。70歳を過ぎてのリハビリはとても辛いものですが、まだその時点で旅行した国は70数カ国。「四国にちなんで、せめて88ヶ国は行きたい」という強い思いがあって、医者も驚くほどの回復を見せ、すぐにまた旅に出ていきました。すごい事ですよ。こうやって旅行一つにこだわる事で、世界が広がっていくのはもちろん、健康だって維持している。彼女は語学が達者なわけでもないし、旅費は年金を使っているんですが、本当に楽しんでいらっしゃる。そういう体験を知ると「良いなぁ、年をとるって楽しい事なのだなぁ」と思いますね。

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加藤さんご自身は、「その後」を考えていらっしゃいますか?

加藤

常に考えていますよ。まず取材をして書くという仕事を、できれば一生続けていきたい。そのためには、いろいろな意味でその技術を究めて、その人の潜在的な思いまで含めた取材をしたいと思っています。「自分の人生これで良かったのかな」と思う事は、誰にでもあるでしょう? 悔しさや無念、挫折感、喜び…そうした、その人の中の大事なものをすくい取っていきたいですね。ですから、大げさな言い方をすると毎回が真剣勝負。そこでその都度、その「何か」を発見していくのが、僕自身の作業かなと感じます。

   

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定年退職というものがないご職業ですね。

加藤

取材、執筆以外に楽しい仕事が出てくればベストだけれども、少なくとも60歳まで生きてきて、それがないんですよね(笑)。10代の頃などは、古本屋をやったら楽しいんじゃないかと思った事もあるけれども。それに、今から他のビジネスをやっても失敗するに決まっているなと(笑)。

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ご自身の好きな仕事をずっと続けられるというのは、とても素敵な事ですね。

加藤

確かに仕事の延長線上で生きられれば、そんな幸せな事はないでしょう。僕の場合は、書く事の延長線でしか生きられないし、それしかないと思えるから続けているわけであって、生涯仕事を続けたいと強く思うならば、その道はどなたにもあるはずです。
例えば「自分は生涯一教師でいたい」と考えた学校の先生にお会いした事があります。60歳を過ぎてからは、高校の非常勤講師になって数学を教え続けた。今は80歳近くになりますが「数学の教師でいたい」という思いから、高校生に対してホームページ上で数学の問題の分からないところを教えるという事をなさっています。高校に行きたくないけれども大検を受けたい、あるいは海外に住んでいるけれども日本の大学への入学を考えている人達に対して、ボランティアで教えているんです。それもこの方が「生涯一教師でいたい」という強い思いがあっての事。ある技術者の方は、途上国に行って、現地で技術を教えている。それは「ボランティアをしよう」というよりも、自分がやりたい事にこだわった結果、そうなったまでの事。あるいは「仕事はもういいよ」という人もいるでしょう。そういう方は、自分が面白いと思う趣味を無邪気にやるのも良いですね。

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「ボランティア」というと、人に喜ばれる、あるいは人からそうした評価が返ってこなければいけないと思いがちですが、確かにそうではありませんね。その根底に「自分」がある事によって、結果的に人から喜ばれる。

加藤

ボランティアをパターン化して「仕事に替わるもの」と考えるのは間違いであって、広い意味で「人に喜ばれる事がボランティアだ」と考えれば良いんじゃないでしょうか。90歳を過ぎて、自転車旅行を楽しみながら施設を訪問して、人を楽しませたり笑わせたりする事に徹しているという方がいます。その方は現在94歳ですが、今でも電話をかけてきてくださって、僕が「元気そうじゃないですか」と言ったら、「最近、何かしようと思って部屋から廊下に出ていくと、しようと思っていた事を忘れてしまうんです。それでまた部屋に戻って、また廊下に出て…そういう有様なんです」と、おっしゃる。「で、これを何ていうか知っていますか? 「ロウカ」(老化)現象です」と言う(笑)。94才にして、このたくまざるユーモア! 自分が90歳になっても、そうなりたいし、そういう人に接したいと思う。その人のこれまでの人生の延長線上で自分らしく生きれば良い。施設を訪れて車いすを押すのを手伝ったりするのも良いですが、94歳になってもこんな風に人を笑わせてくれる人がいる――この励ましの方が、僕にとってはすごく嬉しいメッセージになるし、自分が歳をとっていく事の励みになる。
サラリーマンを体験してくると、どうしても成果主義に走る傾向があります。ボランティアにしても、どこかに目に見える成果を課しているところがあるのじゃないでしょうか。それが役立つ場面もあるかもしれませんが、数値でとらえ切れない励ましや「ボランティア」という言葉を使わないボランティアがたくさんあるんです。日常生活の中で、その人自身が生き生きとしていないと、そうしたものは生まれてきません。自分が「生きる」事によって、周囲を喜ばせるという方が良いのじゃないか――それはボランティアに限らず、仕事をするにしても何をするにしても言える事。かみさん一人を喜ばせるのも本当に大変ですよ(笑)。

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生き生きと暮らしている方を見ると、楽しくなるというか「自分の将来も楽しいものになるかな」と、幸せな気持ちになる。ボランティアだったり、旅行だったりと、一つの軸を持つことで人生が充実するのですね。年を取っても、良い事はたくさんありそうな気がしてきました。

それぞれの「一点」にこだわるそこからすべてが開ける
加藤仁(かとう・ひとし)
1947年名古屋生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、雑誌編集者を経てノンフィクション作家となる。定年退職者への取材は、すでに25年以上に及ぶ他、働く人々や、仕事の現場、高齢者福祉などを生活者の視点から取材、執筆。著書に『定年後―豊かに生きるための知恵』(岩波新書)、『介護の「質」に挑む人びと―新しい扉をひらいた二十八人』(中央法規出版)、『社長の椅子が泣いている』(講談社)、『宿澤広朗 運を支配した男』(講談社)、『たった一人の再挑戦―早期退職者55人行動ファイル』(読売新聞社)、『定年後をパソコンと暮らす』(文藝春秋)他、多数。
 
●取材後記
リタイア後の生活を上手に進めるためのコツをもう一つ伺った。それは「妻にNOと言わないこと」だそうだ。夫婦どちらにしても、好きなことをやらずに我慢していては、「私の人生は何だったのか」と内にこもってしまい、「一点突破」ならず、だと言うのだ。皆さん、振り返っていかがでしょう?
構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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