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「孤独」というと、「寂しい」「一人ぼっち」「誰も相手にしてくれない」というように、私たちはどうしてもネガティブな意味に捉えがちです。 |
津田 |
「孤独」という言葉を考えた時に、そこには二つの側面があると思うんです。一つは、誰もが思い浮かぶ「寂しい」「一人ぼっち」という、できれば避けたいニュアンスです。でも、もう一方には「一人の時間に自分を取り戻す」「勇気や決断を得る」といった、ポジティブな意味合いがあります。
ところが、日本の戦後社会、競争社会が、そうした面をほとんどそぎ落としてきてしまったようです。競争原理で動く社会では、為政者は目標を達成するために集団の力を必要とします。そんな時に一人ぼっちでいられては集団の役に立ちませんから、孤独を肯定的に捉える必要はないんですね。このように社会が変化する過程で、人が成熟していく上で欠かせない「孤独」がそぎ落とされてきたのではと考えます。 |
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そこで先生の「孤独学」では、消極的な孤独を「ロンリネス(孤独感)」、積極的な孤独を「ソリテュード」と呼んで区別しています。孤独が持つこの二面性、実は私たちも普段の生活の中で体験しているんですね。 |
津田 |
その通りです。ロンリネスは誰でも分かりますね。ソリテュードは、例えば集団から離れ一人ゆっくりお風呂に入って、「ふぅーっ」と一息つく時。あるいは、何もせず、お茶でも飲んでいる時。そんな時に素晴らしいアイデアが浮かんだという事はありませんか?
それがソリテュード体験の第一歩。5歳は5歳の子なりに、80歳は80歳の方なりに、皆ソリテュードを体験しているんです。ところがここが孤独のトリッキーな部分なんですが、皆さんソリテュードは感覚的に分かるけれど、それが起こるメカニズムを論理的に説明できないし、ソリテュードには心理的、医学的、社会学的に効用があるとされているにもかかわらず、それを知らずにいる。ですが、知らないけれど結果的にソリテュードを体験できてラッキーだったというのでは、もったいないと思うんです。もしラッキーなソリテュード体験をしたのなら、それを知識として自分の中に蓄えておけば、次に自分が落ち込んだ時、そこからの回復にきっと役に立ちます。 |
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ソリテュードは感覚的なものではなく、学問体系の中で認知されていますね。そもそもソリテュードが研究されるようになったのは比較的最近の話だとか。 |
津田 |
アメリカで本格的な研究が始まったのは1970年代のことです。50年代から少数の学者がソリテュードの効用に関する論文を発表したり、講演を行ったりしていましたが、ソリテュードへの反論がほとんどでした。キリスト教、特にカソリック世界においては、自己の確立は尊重されるけれども、神との合一を求めるという点では、やはり集団であることに重きが置かれたのでしょうか。むしろ日本では、古来、宗教を始め、武道、華道、茶道など「道」といわれる中に「ひとりでいることの効用」が理解されていようです。
また、ソリテュードが注目されるようになった背景には、発達心理学の進歩があります。「人が十分に発達する上で一人の時間が必要である」といった研究が進み、徐々に一人の時間の効用が認められるようになってきました。 |
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その過程で、「一人でいられること」は能力のひとつであるという考え方が出てきたと。 |
津田 |
1958年に「一人でいられる能力」という論文を発表したイギリスの精神分析家、ドナルド・W・ウィニコットは、もともと小児心理学の研究者でした。彼はその論文の中で、「幼児は母親や養育者との間に充分な愛着(アタッチメント)があれば、それに安心感を得て自分は一人でも生きていけるということを体で感じ、ハイハイして冒険の旅に出ていける」という意味のことを書いています。最初は親の姿が見えないと火が付いたように泣いていたのに、やがて親の気配を感じられるところまで移動できるようになる。つまり人間は成長していく段階で、自然に一人でいられる能力を身に付けていくわけです。
更に、ニューヨーク大学応用心理学教授のエスター・S・バックホルツは論文の中で、赤ん坊の頃にすでにソリテュードが必要であること、また乳児のMRI検査によって、一人でいることによって免疫システムを活性化させている事が分かったと書いています。 |
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一人でいられる能力=孤独力(ソリテュード・パワー)ということですね。でも多くの人は「一人でいられること」を能力だとは思っていないのではないでしょうか? |
津田 |
そうなんです。ほとんどの人が「一人でいられること」を、その人自身の気分や性格の問題だと捉えています。あの人は寂しがりやさん、社交的な人、強い人、弱い人、といったように。私も孤独に関する最初の本『もう、「ひとり」は怖くない』を書いた時、ある人から「津田さんは強い人だから一人でいられるんだよ」と言われたのは、ショックでした。「私は大家族で育ったから一人の時間なんてなかったけど、充分幸せだったよ」という人もいました。
長年、組織の中で生きてきた人には、孤独力という概念は素直に受け入れがたいのかもしれません。でも、会社では同僚や仲間に囲まれているビジネス・パーソンも、一人の時間がなくなると何となく落ち着かなくなるとか、効率が落ちた気がしたとかいった経験がないでしょうか。誰もが心のどこかでは分かっているはずなんです。それは孤独にはロンリネスだけでなく、ソリテュードという側面があり生きる上で必要なことだと。 |
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では、ソリテュードにはどんな効用があるのでしょう。お風呂の中で一息つく時間もソリテュードだとすると、気分が落ち着くこともそうかなと思いますが。 |
津田 |
お風呂でリラックスすることで、心身が楽になりますね。もちろんそれもソリテュードの効用の入り口の一つ。他にも、勇気や決断力が湧く、考える力が高まる、人間関係が楽になって人に優しくなれるなど、ソリテュードにはいろいろな効用があります。分かりやすい一例として、今多くの小中学校で行われている「朝の十分間読書運動」を挙げましょう。授業が始まる前の数分間、生徒たちが自分の好きな本を読むんです。読書感想文を書くでもなく、推薦図書を読むでもない、自由に読書をさせるのですが、これは単に読書の時間であるだけでなく、生徒たちに一人の時間を思い出させるための活動でもあるんです。この活動を行った生徒達は、成績が上がっただけでなく、注意欠陥や多動性障がいが見られた子供が減少した、いじめがそのクラスから減ったなど、ポジティブな症例が沢山報告されています。 |