ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
かしこい生き方 メダリスト 有森裕子さん
何を感じ、どうしたいのかに耳を傾ける向き合うのは自分だけ

−−

有森さんは、オリンピックでメダルを取るような方ですから、スポーツは得意なのだろうと想像していたのですが、実はそうではなく、中学校の時、体育祭の800m走に出たことがきっかけで走り始めたとか。特別な理由があったのですか。

有森

「走りたい」というのではなくて、「出来る!」と自分で感じて自信を付けたかったんですね。というのも、当時の私にはそういうものがなかったからです。勉強も出来なかったし、欠点だらけで、何でも出来る兄と比べても全然だめ。中学校時代はバスケットボール部に入っていたのですが、下手で怒られてばかりで(笑)、自信が付かない。そういう思いが自分の中にあったので、人からも、自分自身でも「これはOK」という事を見つけたいと思ったんです。そのためには、とにかく何かに挑戦しないといけない。ただ、皆が挑戦するものは、競争が激しすぎて困る。ではどういうものがあるかなと思った時に、単純に皆が選ばないもの、やりたがらないものであれば、チャレンジ出来る、そのきっかけが得られると思ったんです。その「誰もやりたがらないもの」の中に、800m走がありました。手を挙げて、自分で「やる」と決めましたし、初めて、決めた事に対して頑張り続けることが出来ました。

−−

走るのが好きだったからではなく、自信を持つために走り始めたのですか。

有森

ええ。もともと頑張るということは出来るタイプだったのですが、それまで、それを形にするチャンスがなかったというか…800m走に出た事で、自分で決めた事が形となって、初めて人からも自分自身でも評価出来る結果が出て、明快に自分の中で自信になったんですよね。
もともと、私はスポーツ人間ではありません。物を作ったり、絵を描いたりするのが好きなのですが、その評価って、好き、嫌いといった主観に左右される場合もある評価ですよね。だから「結果」が非常に分かりづらい。それに対して「走って一番」というのは、誰がどう見て、どう思おうが、一番は一番であって非常に明確な結果と評価がもらえます。その評価を、自分自身も安心して受け入れる事が出来る――それがすごく衝撃的だったんです。

−−

確かに、1位でゴールした「結果」は、誰も動かせませんし、否定のしようのないものです。そこからフルマラソンを走ろうと思ったのは、なぜでしょう。

有森

800m走を走ろうと思った時と、あまり変わりません。必死になって頑張れば形になる、「走る」という事を知って、それを夢の達成のための手段として続けていこうと思っていました。けれども大学を卒業する間近まで、選手としては、ずっと鳴かず飛ばず(笑)。でも他のいろいろな物事に比べたら、走る事で、自分の中の充実感だったり、自分の中で良い方向に変化がありました。

−−

それは練習を続ける中で、変化が起きたという事ですか。

有森

ええ。私にとって走る中で重要だったのは、タイムではありません。もちろん好タイムが出るのは良い事ですが、それ以上に、自分の目的を実現しようとする自分自身が日々いるという事、そしてそれにチャレンジ出来ているという実感というか、何て言うのでしょう…何か一つのものにこれだけ必死になれるという事がうれしかったんです。そういう時間が自分を内面的に成長させたと思います。

−−

大学卒業後は、教員になろうと一度は思ったそうですが。

有森

はい、でも、いよいよ就職かという矢先に、たまたま出場した記録会で、当時持っていた自己ベストタイムに次ぐ程の良い記録が出て「もう1回だけ一段上にチャレンジしてみたい」と思ったんです。高校時代に、ちょうど全国都道府県駅伝大会がスタートしたのですが、高校時代は3年間補欠で大した成績を出せずにいましたし、大学では岡山県の正選手として出場しましたけれど、岡山県自体の順位が悪かったですからね。そう考えてみると、環境として何か足りない…走るという事に特化した生活がないなと気付いたんです。それで、実業団に入ろうかと思ったんです。

−−

本格的にフルマラソンに挑戦するきっかけは何だったのですか。

有森

ソウルオリンピックの女子マラソンで、ロサ・モタという選手が優勝した時です。ちょうど私が大学4年生の時でしたが、そのゴールが、とても魅力的だったんです。皆が辛そうに走っている中で、彼女は笑顔でゴールして、その姿がマラソンランナーの中で一番魅力的なものでした。それまで笑顔でゴールする人なんていませんでしたし、何より彼女の笑顔が非常に印象的で、私もいつかマラソンというものをやってみたいなと思いました。

−−

そうは言っても、42.195kmを走るという壁は高いと思います。

有森

「キツそう」「出来ない」と思ったら、先に進みません。「やろう」と決めたら、それに向けた準備をすれば良い、練習をすれば良いだけの話です。何もしなかったら、絶対に「出来ない」ですよ。仕事だって何もしないで、出来るわけはない。だからフルマラソンも「出来ない」とは思いませんでしたね。

−−

とても基本的な事で恐縮なのですが、走っていて苦しくありませんか。

有森

苦しまないように走れば良いんですよ。と言っても辛いですけどね(笑)。でもそれは、私達は、走るのが仕事で、タイムや順位を要求されるからです。一般の方の目標というのはゴールをする事。だから全部の距離を走ろうと思わず、キツければ歩いていいんです。そうしてある程度、体調を戻して、また走って、辛くなる手前でまた歩いて、を繰り返せば「ゴールをする」という目標は達成出来ます。そして回を重ねるごとに「前よりも、もうちょっと歩く時間を減らしてみよう」と、段階を追う事が重要であって、フルを全部走り続けようと思うのは、かなり後です。まずは、どの位の時間、自分が動き続けられるかを知る事が大事だと思います。

−−

「走れる」のではなく、「動き続ける」ですか…。

有森

そうです。止まらずに歩く事。ずっと走り続けようと思ったら、途中で足が止まって歩けなくなってしまいますが、そういう辛い事を最初に味わうのではなくて、何て言うのでしょう…よくマラソンは人生に似ていると言われますが、結局、人生も最初から突っ走れないですよね? 時には歩いたりしながら、次の段階へ進む、そしていつかは完走できるということです。

−−

今のマラソンブームの理由の一つが、そこにあるようにも感じます。42.195kmを走りきった達成感と、これだけ走りきれたという結果は、誰にも邪魔されないというか。

有森

あると思います。一時期起きたランニングブームというのは、ランニングが好きな人、つまりランナーが中心のものでしたが、今のブームは、走る事が好きとか嫌いではなく、何かに挑戦してみたいという人たちが起こしたものです。火付け役は、2007年に始まった東京マラソンです。東京マラソンには、走る事やスポーツが大好きという人達ばかりが参加しているわけではありません。むしろそれ以外の「東京を走ってみたい」と応募したら、たまたま当選したという人がたくさんいました。42.195kmは、歩いたって、着ぐるみを着たって、8時間位あればゴール出来ます。そうやってゴールする事で、達成感を味わえたり、チャレンジが出来る。「それでいいんだ」という気持ちを持った人を、あの大会は増やしましたし、また走らなくともボランティアという形であったり、いろいろな参加の仕方が出来て、こんなに楽しくて盛り上がるものがあると教えてくれた大会だと言えます。それまで日本国内のマラソン大会は、ランナーを対象にしたもので、参加するには、まずランナーやジョガーにならないといけませんでしたが、東京マラソンは、当選すれば誰でもOK。今まで、着ぐるみを着て走れる大会なんて、ありませんでしたからね(笑)。

−−

とは言うものの、その距離の長さに、私自身は構えてしまいます(笑)。

有森

自分のペースを知るという事が大事です。周りのペースに流されるでしょうし、人と競いもするでしょう。でも走るなかで、競争する事が意味ある事ではないんだと知ったり、人に引っ張ってもらえば良いと知ったり、ここはもう少し自分で頑張ってみようと思ったり…そうやって、自分の生き方を発見すると思います。

−−

有森さんご自身も、走りながら結構いろいろな事を考えていますね。例えば、オリンピックのバルセロナ大会の時、デッドヒートを繰り広げている最中に、給水用のボトルを「人にぶつけてはいけない」と考えたり、「沿道の子供達の列が途切れるまで走ろう」と考えたり。

有森

考えていますが、考えようと思って考えているわけではないですね。ボトルを置いた時は、一つ前の給水所で投げた時に、思いがけずものすごい音がしたからです。そしたら普通の感覚なら、次に同じことをしようとは思わないでしょう。ただそれだけで、必要以上に考えてした事ではありません。きっと、そういう精神状態、つまり周りが見えたり、聞こえたりするのは、良い状態だと思います。何も考えられない、周りの声が何も聞こえない状態の方が、調子は良くないですね。調子が悪いと視線も下がって、周りも見えていないですから。

−−

余裕がなくなっていると周囲は目に入らなくなりますね。

有森

そうです。普段の生活でもそうじゃないですか。気分が悪い時に、上を向いて歩いている人はいないですし、周りを気にしたりもしないですよね。それと一緒です。逆に調子が良い時は、普通にいろいろな事を受け入れて、無意識の内に「こうしよう」などと自然な流れで考えています。調子が悪い時は、意識的に「こうしなきゃ」と考えないと体が動きません。

−−

走っている最中って、本当にいろいろな事を考えられるものなのですね。

有森

考えられますよ。あれだけ長い時間、道具は自分の体一つ。向き合うものは自分しかいませんから、それとの対話以外、すべきものが何もない。そんな競技、他にないですよね。道具があったり、対戦相手がいたり…あんなにも長い時間、自分との対話ですべてを判断し、すべてを終える競技はマラソンだけ。そういう意味では、非常に特色がある競技と言えるでしょうね。

 

−−

マラソンを仕事としてやっていた事で生まれた自分と向き合う時間というのは、貴重だったと思われますか。

有森

貴重です。あれだけ自分自身と向き合って、あれだけ必死にしてきた時間というのは、やはり今の私の基盤となっています。

   

−−

お話を伺っていると、マラソンを選んだというよりは、マラソンしかなかったからやってこられたように感じます。

有森

その通りですね。私には、マラソンしかなかったから、やってきただけ。逆に、そこには「これしかない」という強さがありました。だからこそ集中力が切れる事はありませんでした。それしか出来ないという不器用さが良かったという面もあるかと思います。

−−

その「これしかない」という選択肢に、全力投球された事で、2大会連続してメダルを獲得されました。普通の人が出来る事ではない、快挙を成し遂げたわけです。その中で、プロ化の道を切り開いたりもされた。そして現在は、NPOを立ち上げたり、マラソンを通じて新しい活動をされています。

有森

マラソンの競技性というより、必死になって、がむしゃらに頑張ってマラソンをする事で、結果、自信を得た。それがもたらす効果がとても大きかったのだと感じます。だから競技がどうこうというのではなく、求めていた結果が得られる手段がマラソンだったというだけの事。そこでなし得たものが、まさに今やっている事すべてに生かせていますし、生かそうと思って取り組んでいます。手段として、他に出来るものがあれば、マラソンでなくても良かったはずなんですけど、私にはそれしかなかったものですから(笑)。

−−

マラソンじゃなくても良かったけれど、マラソンじゃなければ出来なかった部分も、きっとあると思います。

有森

両方ですね。マラソンでしか、なし得なかったもしれないでしょうし、マラソンだから時間をかけられた…それも違うかな。マラソンだったから自分の持っている一番良い部分、つまり粘る、あきらめないという面を出せたのかもしれません。マラソンは、粘って、あきらめなければ誰でも出来るという競技性を持っていますから。ただ、あきらめたら終わり。そして、それが極端に、露骨に必要な競技でもあると思います。

−−

意外だったのは、有森さんご自身がマラソンを特別好きでも嫌いでもないという点です。引退後も、例えばファンランなどで走ったりはされないし、趣味で走るという事もされていないそうですが。

有森

やらないですね、あんなきついことはしません(笑)。私はマラソンを健康のためにやってきたつもりはありません。あくまで競技スポーツであり、仕事としてやっていたのであって、そこに価値が生み出せなければ、あまり意味がありません。仕事として、食べるためにマラソンをしてきた。極端に言えば、私にとって走る事は「RICE WORK」でした。でもそれを、しっかりと出来たので、今は「LIFE WORK」に取り組んでいます。だから、もしまた走るとしたら真剣にやりますよ。そうでなく、進んであんなにきつい事をやるなんて考えられないです(笑)。

−−

やっぱりきついんですね(笑)。

有森

きついですよ(笑)。皆さんも、仕事をきちんとするためには、時間をかけて練習を積んで、準備を整えて…ってしますよね。マラソンをするという事、そのすべてが、私にとっては仕事ということもあって、引退してからは、自らマラソンをする事はないですね。

−−

今後、マラソンを楽しんでやるというチャンスはありますか。

有森

うーん、マラソンは当分いいです(笑)。

−−

そんなに嫌なんですか(笑)。

有森

いや(笑)。嫌というより、そのために準備しなければならないものが、いっぱいあると知っていますし、いい加減には出来ないですよ。私にとってマラソンは、2時間半以内で走れなければ意味がない、上位争いが出来て、評価される位置にいない限り、マラソンをする意味がないんです。皆さんが仕事として本気でやっていた事を、辞めた後に「じゃあ、ちょっと遊びでやろうかな」とは、ならないですよね? それと同じです。だから、やらないです(笑)

−−

そうやって伺うと、やはり厳しい競技ですよね。

有森

どうでしょう…。プロとしてやるのは何でも厳しいものでしょう。それにきちんと練習すれば、ちゃんと結果に出る競技です。しかも他の競技よりも露骨に結果に出ます。道具を使うわけでもなく、使うのは自分自身だけですから、そこさえ整えれば出来る競技であって決して難しくはありません。それに私は競技として、仕事として、マラソンをしてきましたが、皆さんには、楽しく走ってもらいたい。マラソンをする事で、充実感を味わったりしながら、長く楽しく、健康のためにやる。だから、全くの遊びで良いんです。走る事で、日常の中だけでは見られない自分の良い変化を一つでも多く見つけられる…そのためにも、継続するためにも、体に痛みを感じたら、一度休んで、治した上でやって欲しい。痛みを我慢して、テーピングやら湿布やらいろいろなものを体にぺたぺたと貼ってまで無理してやらなくていいんですよ。ランニングって、唯一競技者と一般の方が一緒にスタート出来るスポーツじゃないですか。だから一般の方まで、私達と同じレベルで体を酷使しなくてはいけないと思われてしまうのですが、それは違います。

−−

そうですね。短距離とは違って、長距離は「頑張れば出来る」という面があるためか、ついつい選手と同じ感覚を持ってしまいます。

有森

走る事に対する感覚も、すべて同じだと思われてしまうんです。よく「一生現役でいてください」と言われるのですが、絶対無理です(笑)。そう言うと、がっかりされてしまうけれど、競技者のレベルで一生いられはしない。本当に無理です(笑)。

−−

それでもマラソンを通じて、自分と向き合う時間を得て、それが今の有森さんにもたらしたものは大きいですね。

有森

ええ。走っている間、考えている自分の対象というのは、自分では動かしようもない「自然」なんですよね。私に合わせて動くことはないですし、動きようもない。そうした動かしようもない物の中で、動いている自分の事を考えざるを得ません。例えば雨が降ってきたとします。「嫌だな」と思った時、「調子が悪いからかな」と考えたり、あるいは「こんなに天気が悪いのに、調子がいいな。何でだろう」と考えたりもする。そうやって、「自分がどうなのか」を、いろいろ感じる事が出来る競技は他にはない。あれだけ長い時間、自分に向き合わざるを得ないというのは、なかなか貴重だったと思います。

ゆっくりと変わっていく植物的な時間を意識する
有森裕子(ありもり・ゆうこ)
1966年岡山生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業して、(株)リクルート入社。バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックの女子マラソンでは銀メダル、銅メダルを獲得。2007年2月18日、日本初の大規模市民マラソン「東京マラソン2007」で、プロマラソンランナーを引退。1998年NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表就任。2002年4月アスリートのマネジメント会社「ライツ」設立、取締役に就任。現在、国際陸連(IAAF)女性委員、日本陸連理事、国連人口基金親善大使、他。米国コロラド州ボルダー在住。著書に『わたし革命』(岩波書店)、『有森裕子と読む人口問題ガイドブック-知っておきたい世界のこと、からだのこと』(国際開発ジャーナル社)、『アニモ』(メディアファクトリー)など
 
●取材後記
有森さんがマラソンの解説をすると、面白い。「調子良いですね」と言われた選手が入賞したり、「コースが坂にさしかかった時に厳しいかもしれません」と言うと、本当にその辺りから調子を崩してしまう。そんな風にレースをぴたりと当てる秘訣をたずねたところ「目が泳いでいるとか、体の動きがばらついているとか、真剣にやってきた人が見れば大体、その選手の状態は分かりますよ」とのこと。練習に対する姿勢、生活全般の節制など、早く走るための熱心な研究などその真摯な姿勢が、他の選手の範になっていたという有森さんだからこその言葉ではあろうが、そうした方から、マラソンの魅力を語られると、ぐいぐいと引き込まれてしまう。42.195kmなど到底できるはずもないと思っていたにもかかわらず、単純なもので、帰りはスポーツ用品店に寄り道したのだった。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]