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かしこい生き方 文筆業 樺島弘文さん
33kmの距離を自転車通学。そして息子はロードレーサーの夢を見つけた

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会社員時代から、ずっと計画を練られていたのですか。

樺島

僕は今、53歳ですが、20年程前、東京で雑誌の編集者として働いていた頃から「老後は田舎で暮らしたい」「田舎で暮らそう」という思いが強かったんです。その理由を「なぜ?」と言われても分からないけれど(笑)、「山が好き」というのとも、ちょっと違う。東京の繁華街は大好きでしたけれど、東京で死ぬまで暮らすという気分にはなれなかったのも事実です。その後、仕事が忙しくなって手つかずになっていたのですが、40歳を過ぎた頃、単行本の編集部に移って、土日位は休めるようになったのをきっかけに、物件探しを再開したんです。房総や八ヶ岳の麓、あるいは秩父など、田舎暮らしのメッカと言われているような所は、一通り見て歩きました。

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その中で、この栃木県の馬頭を選ばれた。

樺島

数年前に隣の小川町と合併して那珂川町となりましたが、以前は馬頭町と言われていました。全く知らない所だったのですが、金額的にも地域的条件にも合う物件があり、実際、見に来たら即座に、「こんな良い町があるのか!買おう!」という気になったんです。

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奥様はすごく反対されたそうですね。

樺島

東京生まれ、東京育ちの家内は「田舎で暮らすのは絶対に嫌だ」と言う。当時、子供が小学校6年生で、その後の学校の事なども考えると、すぐに移住するのは難しいんじゃないかという話もあったんですが、うまく家内と子供をだまして(笑)、子供が中学校に上がる2002年の3月末に、馬頭に引っ越して来ました。

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その前に「別荘」として建てて、休みを利用してこちらに来ていたと伺っています。

樺島

ええ。ですから移住して来る前に雰囲気を知ることができました。実際、ここで時間を過ごすと本当に気持ちが良くて、やはり東京よりも、こちらにいる時のほうが断然楽しい。いろいろ課題はあるけれど、移住したいという気持ちがどんどん強くなって、それで子供が小学校を卒業したのと同時に、こちらに越して来たんですが、家内はこっちに来る前も、来てからも、しばらくは文句ばかり言っていました。

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環境が劇的に変化しますものね。

樺島

家内は、自分だけ東京に残ろうとも思ったようですが、今更一人で生活できないし、嫌々ついてきたんじゃないでしょうか。家内にしてみれば「冗談じゃない!」という感じだったと思います。一方、子供の方は、中学校に上がるという一つの機会でもあったし、「田舎に暮らすと面白い事がいっぱいあるよ」と暗示にかけて(笑)その気になったようです。こうして、だまして連れて来た息子と、無理やり連れて来た家内とで、ここ馬頭町で生活を始めたわけです。

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樺島さんご自身は、こちらにいらっしゃる前は、どういった生活を送っていたのですか。

樺島

ビジネス誌の編集部にいた頃は、月に4、5回は会社に泊まっていましたし、家に帰ってくるのは朝の3、4時。少し寝て、11時位に家を出るという生活をずっと続けていました。僕が帰る頃、子供は寝ているし、子供が学校に行く時に僕は寝ているので、平日に子供と話すことは全くないという生活。そんな事を10年程続けていました。
今は、大体6時半頃に起きて、午前中に原稿書きなどして、午後は気が向くと畑仕事をしたり、地域でのいろいろな用事に振り回されたりしながら、夕方6時半頃には、夕食を食べ終わっていますね。

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食べ終わっている? 食べ始めるのではなくて、ですか。東京での暮らしと比べて、180度変わりましたね。

樺島

子供が高校生だった時は、もっと起きるのが早かったですよ。5時半には起きて、お弁当の用意。雨が降れば20キロメートル先のバス停まで送って行くという生活でした。

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バス停までが20キロメートルですか。もっと近くの高校はなかったのですか。

樺島

学区の中には高校が3つもあるというか、3つしかないというか(笑)。その中で校風が合ったところに決めたわけですが、ここから高校まで、距離にして片道33キロメートル程。そこを毎日、息子は自転車で往復していました。どんなに頑張ったって片道1時間半位はかかる距離です。卒業するまでに、自転車を2、3台、ダメにしました。

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33キロメートルと言えば、東京〜横浜間位です。

樺島

途中、山を2つ越えなければいけないので、ちょっと大変だったかな(笑)。冬になると那須の山から「那須おろし」と呼ばれる強い風が吹いて来るので、それを真正面に受けながら通うことになる。氷点下の中、自転車で通うのだから、しんどかったと思いますよ。

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よく3年間頑張りましたね。

樺島

こちらに移住してきた当初、子供は中学生になったばかりです。自転車通学が辛くて、6キロメートル先の学校に通うのさえも嫌がっていました。それが中学3年の頃から、自転車が面白くなったようで、将来は自転車の競技――競輪ではなくロードレースの選手になりたいとまで言い出しました。だから高校もトレーニングを兼ねて往復60キロメートルを自転車で通うことにしたんです。今は、大学生になって埼玉で一人暮らしをしていますが、大学を選んだ理由も、日本で一番の自転車チームがその大学の近くにあったから。そこしか入学試験を受けなかったし、落ちたらアルバイトしながら自転車選手になると言うんです。親にしてみれば、自分が好きなことを貫くのだから、まあいいかと(笑)。

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移住してこなかったら、見つからなかった夢ですね。

樺島

本人も、東京にいたら自転車には乗らなかっただろうと言っています。自転車チームの練習では、一日に150キロメートル位走るんだそうで、今はヒーヒー言って「もうやめて〜」とか言っていますけれど(笑)。ただ、脇目もふらず自転車にのめり込んでいる生活を送っているのを見ると、それで良かったのじゃないかなと思います。ただ何となく時を過ごして、そのまま大きくなって、自分のやりたい事が分からないという子も多い時代ですからね。

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最初は6キロメートル先の中学に通うのも嫌だった息子さんに対して、「自転車通学をしなさい」とおっしゃったんですか。

樺島

ここでは、それ以外に方法がないんです(笑)。小学校は、スクールバスが送迎してくれますが、中学校の場合は、自転車通学か、もしくは親が車で送り迎えするか、です。

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もうちょっと近い中学校に通うといった選択肢はなかったのですか。

樺島

そこが一番近い中学校で、あとは10キロメートル以上離れているんです。この辺のおじいさん、おばあさんたちの世代は、自転車なんてなかったから、その距離を毎日歩いて通っていたそうですよ。水道がこの辺に通ったのも平成元年の事。僕らと同世代の人でも、それまで川でオムツ洗いをしていたって言っています。

 

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暮らし始めてから、想像と違った…という事はなかったのですか。

樺島

暮らしはとても快適です。何より豊かです。一番豊かだなと思うのは食べ物。衣食住の中でも、食べ物は、圧倒的に都会に居た時よりもおいしいものを食べさせてもらっています。この辺りでは、自分の家で食べる分くらいは、自分の畑で作るのが普通。そのお裾分けをいただくので、我が家の食卓は、いただきものばかりで、その時採れる旬のものをたっぷりと食べられる。先日も、有機野菜で有名だという東京の店に連れて行ってもらったのですが、申し訳ないんですが、馬頭のその辺のおばあちゃんが作った野菜の方が、断然においしい。今、大学に通うために埼玉で一人暮らしをしている息子は、外食して「もう、すげーまずいぞ!」などと言っています。水と空気と食べ物は、都会から来ると本当にぜいたくだなと感じますね。

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ここに出していただいた苺、「おいしい」という言葉しか出ないんですが…。

樺島

本当においしいでしょう? 「過熟」というのですが、最後の最後まで枝について熟し切ったもの。この状態だと流通途中で傷んでしまう。だから出荷出来ないんです。それを大きな箱いっぱいに入れて、知らない間に、玄関先に置いていってくれる(笑)。苺に限らずそういうものを食べているから、息子なんて隣のばあちゃんが作ったブロッコリー以外、まずくて食べられないと言う(笑)。妻が、息子は本当に味が分かっているのかと訝って、試しにスーパーで買ってきたブロッコリーと、お隣のおばあちゃんから貰ったブロッコリーを茹でて一緒に出したら、おばあちゃんのしか食べなかった(笑)。分かるんですね。

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この苺を食べ慣れていたら、他のものはなかなか…。

樺島

住まいも豊かですよ。23坪の我が家なんて「家」とは呼ばれない、「小屋」です(笑)。それには理由があって、昔は葬儀も自宅で行っていたので、そうした時のために8畳間が3つあるのが基本なんです。この辺の家の標準は50坪。ある時、組の集まりを我が家で行うことになったのですが、「樺島さんちに15人も入れるんかい」と、皆、心配してくれて(笑)。いざ入れたら「こんな小さな家も良いわね」って。

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(笑)

樺島

移住して来た時は、水道は通っていましたし、家に不満は無い。でも自分達が持っている意識自体は、随分変わりました。例えばこの辺りの家は、風呂を沸かすのに、今でも薪と灯油を使っています。それを最初に見た時は「なんて不便な」と思っていたのですが、実際に暮らしてみると、ガス代もかからないし、薪で沸かしたお風呂は温かいし、ここの暮らしには非常に適したスタイルだというのが後から分かりました。この地域の人は、自然を生かしながら暮らす生活の知恵が豊富にあって、それが実際に残っている。そうしてみれば、生活の基本的な面では、田舎の方がはるかに豊かだと思います。そのせいか、上手な説明ができないのですが、ここで暮らしていると、何でも「どうにかなるさ」と思えてしまう。根拠は無いんですよ。でも、東京で暮らしている時は、将来の事を考えてお金がないと不安になったり、あるいはお金があっても安心感がなかったり…。

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漠然とした理由のない不安というのでしょうか。

樺島

そうですね。それがここに居ると、生活のことになると「どうにかなる」と妙な余裕が生まれるんです。周りを見ても同じようです。その分、都会的な厳しさやスピードでもって、田舎で仕事をしようとするとイライラしてしまうんでしょうけれど。

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そういう点では、地元の方とのギャップを感じますか。

樺島

一番驚いたのは、この自然に対する感覚の違いです。地元の人にとっては、小さい時から当たり前にあるから「こんな山のどこが良いんだ。それよりも道路を作ってもらった方が良い」となる。自然そのものに有り難さを感じるのは、むしろ都会から来た人の方で、土地の人は、道端に生えた野草の見分け方や調理方法なども、ものすごくたくさん知っているけれど、それを特別なこととは思っていない。当たり前と言えば、当たり前の事ですが。

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あらためて言われてみるとそうですね…。

樺島

いろいろな田舎物件を見て回った中でも、こんなにも里山の風景が残っている所は、なかなかありませんが、地元の人にとっては「それで?」という感じ。逆に「何で、こんな所に来たんだい?」と今でも言われます。そのギャップが予想していた以上に大きかったですね。

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それにしても東京から3時間程度ですが、暮らしが全然違いますね。

樺島

すごい「不便」でしょ?(笑)東京の友人に「遊びに行くから最寄りの駅を教えて」と言われるんですが、その「最寄りの駅」から車で40〜50分かかるけれど…となるんです(笑)。高速道路のインターからも遠いし、鉄道の駅からも遠い。だからこそ、こんな自然と、昔ながらの人のつながりが残っているんですね。

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今は、奥様もこちらの暮らしになじんでおられますね。

樺島

3年程経った頃、押し花を始めたのがきっかけですね。山野草を摘んでは押し花にするんですが、それを始めた途端に、田舎暮らしが好きになったみたいで、一気に開花しました(笑)。地元のおばあさん達と一緒に地下足袋を履いて、腰に竹かごをつけて野山に入っていく。今や馬頭で「樺島」と言えば、私じゃなくて家内のことです(笑)。おばあちゃんファンがたくさんいて、かかってくる電話は、全部おばあちゃん達から家内宛。「今、家内は◯◯に行っていると思うのですけれど」「今日は、夕方までちょっと忙しいみたいですよ」と、僕は家内のマネージャーをやっているわけです。それで家内はと言うと、おばあちゃんを3人、車に乗せて、「今日はどこに行く?」と一緒に出掛けています。その位、地域になじんだというか仲良くなって、暇な時には、自分で焼いたケーキを持っていって、お茶を飲みながら長々と話をしています。家内いわく「毎日毎日、いろいろな発見があって『へ〜』と思う事ばかり」だそうです。ずいぶんの変わりようです。

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田舎暮らしと聞くと、ゆったり時間が流れているというイメージがあるのですが、お話を伺うと、とても忙しそうです。

樺島

ゆったり暮らすなんて、とんでもない! もちろん、東京のそれとは違いますが、田舎のおばあちゃん達は、のんびりそうに見えるかもしれないけれど、農作業なんて、僕たちの2、3倍の早さで終えていく。そもそも農作業は手間のかかる仕事ですからね。
それに、こうして僕らのように昔からある集落の片隅に入れてもらって生活をすると、地域の仕事も多い。この辺りには自治会に相当する「組」と呼ばれる組織があって、この組が一つの単位となって、神社の参道の整備や、葬儀の手伝い、草刈りなどを行っています。我が家は15軒で構成された「桐ケ久保組」という組に入れさせてもらっていて、今日も朝からこの「組」の共同作業で、川沿いの草取りに駆り出されたところです。

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都会とはまた違った忙しさがありますね。

樺島

それから、冠婚葬祭、特に葬儀は大変ですね。最近でこそ民間の葬儀場で行うこともありますが、自宅で葬儀を行うこともまだ多いので、その手伝いに行った時は大変でした。「○○さんは賄い、○○さんは買い出し、○○さんはお寺との連絡」等々、組のメンバーの役割は、当番制で細かく決まっていて、出られないというのは通用しない。最初の打ち合わせの時位、一人でも良いだろうと、僕だけで行ったら、後で「もし奥さんが来られないのならば、代役を立てるように」と叱られて(笑)。

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お葬式は、特に地域によっていろいろと決まりがありますよね。

樺島

ええ。だから一人暮らしの老人の家などは、都会から息子を呼び寄せてまで手伝うんです。お念仏を唱えるのは、女性の役割など、この地域の習慣になじむまで、それなりに苦労しましたね。

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田舎暮らしにあこがれてはいても、暮らしのそういうディテールを想像していましたか。

樺島

まったく(笑)。だから田舎暮らしをして、のんびりしたい、あるいは一人でゆっくり過ごしたいという人は、こういう集落ではなくて、別荘用に造成された分譲地に居を構えないと、思った通りに過ごすのは難しいでしょうね。うちの場合、子供が小さかったから、良くも悪くも、孤立した生活は出来なかったし、そうした生活をする気もなかった。
田舎暮らしと一口に言っても、いろいろなスタイルがあると思います。我が家の近くにも都会から来た人が何人かいますが、近所付き合いをしない人もいれば、積極的に付き合っている人もいるし、別荘として月に数日しかやって来ないという人もいて、さまざま。でも我が家のように、ここできっちりと生活しようと思うなら、やはり付き合いは必要です。それに、その方が断然、田舎暮らしを満喫できると思いますね。
東京での暮らしがあってこそ、ここの良さが分かったということですが、今は、上京すると「空気が重い。早く帰りたい」と思うようになったから、もう雑誌の編集をしていた頃のように、仕事帰りに繁華街で一杯という生活に戻るのは、難しいかな(笑)。

自然だけではない、田舎の醍醐味を実感しよう地域にどっぷりとつかって
樺島弘文(かばしま・ひろふみ)
1956年、札幌市生まれ。専門紙記者、週刊誌記者を経て、1988年にプレジデント社に入社。ビジネス雑誌『プレジデント』の編集長や出版部長などを務める。2002年3月念願の田舎暮らしに向けて退職。妻と息子の家族3人で都心から栃木県馬頭町へ移住。現在は、家の畑を耕しながら、経営者やビジネスノウハウをテーマに、フリーで雑誌や単行本の執筆、編集の仕事を続けている。著書に『馬頭のカバちゃん』(日経BP)、『会社を辞めて田舎へGO!』(飛鳥新社)がある。
 
●取材後記
田舎暮らしをしたいと言っていた当のご本人は、仕事のため月に1週間ほどは東京暮らしとか。一方「だまして」連れてきた奥様は、馬頭の生活にどっぷりとつかってその暮らしを謳歌し、息子さんはここで自分の道を見つけた。都会には都会の良さがあり、また端から見ているのと、実際にそこで暮らすのとは、わけが違うだろう。それでも棚田があって、向こうには初夏の鮮やかな緑が広がり、鳥がさえずる、この馬頭という場所にいると、都会の生活とは違った価値観をもたらしてくれそうな感じがする。心が洗われるような取材だった。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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