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かしこい生き方 大阪ガス行動観察研究所所長 松波晴人さん
つぶさな観察と多方面の知見を駆使して人の行動を解釈する

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行動観察という言葉は意外に古いものだそうですが、具体的には、どんなものなのでしょうか。

松波

概念自体は、1930年代以前から、育児日記をつけるようなところから始まっているんです。今は幼児教育の現場などでもよく耳にする言葉ですが、簡単に言えば、人の行動をつぶさに観察して、そこに表には出てこないニーズやノウハウを見つけていくものです。例えば、人の姿勢、その行動を行う回数、なぜそうするのかといったことを、エスノグラフィや人間工学、各種の心理学などいろいろな知見をもとに解釈するんです。

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そうした手法に、なぜ今、注目されたのですか?

松波

私は行動観察をマーケティングに取り入れているのですが、従来のマーケティングの調査では、例えば製品を開発するにしても、主婦を対象とした新たなサービスを考えようという時も、まずアンケートをしていました。アンケートを取ると、皆さん普段から困っていることはもちろん書いてくれます。しかし、そこに書かれているのは「思っていること」だけ。あるいはグループインタビューをしても、いろいろ話してはくれますが、本人も気付いていないことは、当たり前ですが話せないし、言葉にならない。アンケートで「どう思いますか?」と問うのは、ある意味、表面的であって、もっと深いところまで掘り下げないと、これだけいろいろな価値観があるなかで、本当に良いもの、新しいものは提案できないと思うんです。

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観察するというのは、どんな風に行うのですか。

松波

一般的な主婦の調査なら、観察の対象者と朝から晩まで、一日ずっと一緒にいさせてもらうんです。対象が主婦であれば、買い物も一緒に行きますし、掃除、洗濯の時も一緒にいて、その合間にインタビューをさせてもらう。そうやって、今、主婦がどんなところに困っているのか、どういう生活実態があるのか、どういう価値観で、どういう思いで生きているのかというのを、ずっと見ていくんです。

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実際に行動観察に基づいて商品化されたものにはどんなものがありますか。

松波

我々の事例ではありませんが、あるアメリカの企業が、行動観察を元に、子供用の歯ブラシを開発しました。子供用の歯ブラシなんて大人には必要ありませんから、会議室で議論を重ねても「持ちやすいように、大人よりちょっと小さめにしよう」となってしまいます。ところが子供を対象に行動観察を行ったところ、細かな指先の動きが苦手だけれど、握る力はしっかりしているということが分かったんです。そこで、ぎゅっと握れて安定して使うことが出来るように、大人のものよりもグリップを太くして発売したところ、18ヶ月間、同様の商品の中で売れ行き1位でした。他にそんな物がなかったし、そもそも発想が違いますよね。

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確かに、会議の場ではなかなかそんな発想は出てきませんね。松波さんご自身の例ではいかがですか。

松波

いろいろありますが、例えばスーパー銭湯の調査では「お客さんに提供出来るようなことはすべてやって、もうやることがない、でも更に売り上げを伸ばしたい。何か案はないか」という相談を受けて、伺いました。

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どういう心持ちで行動観察をされるのですか。

松波

仮説や偏見を持たないということです。行動観察で一番大事なのは、子供が初めて海外に行った時のように「何だろう。何でこれ、こうなっているの?」という気持ちでいることです。「どうせこうだろう」と思ってしまうと、いろいろなものを見落としてしまいます。だから、ある種意図的に、対象となる業態を勉強せずに現地に行きます。そしてそこで気付いたことを、とにかくメモや、時にはビデオに撮っていく。それらの記録を分析して、その行動が何を意味するのか解釈していくんです。構造的に解釈出来たら、どうしたら良いか自然と分かるものです。その銭湯では、2日間で113点もの改善点が出てきました。

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113点もですか。どんな行動を見て、改善点が上がってきたのでしょう。

松波

例えば、生ビールの宣伝ポスターってよく見かけるかと思いますが、それが残念ながらほとんど見られていませんでした。これではアピール度ゼロ。じゃあどこに貼れば効果的なのか――まず人が見てくれる場所じゃないといけませんし、どのタイミングで見てもらえたら一番効果があるのかと考えた結果、サウナの中に貼り直しました。結果として、生ビールの売り上げが6割増えました。

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確かに、サウナの中でポスターを見たら飲みたくなってしまいますが(笑)、それはビールの売り上げを上げるためにどうしたら良いかと考えたのではなく、行動観察の結果の改善点として、上がったポイントなんですね。

松波

そうです。他にも風呂から上がった人たちが集まる待合スペースの自動販売機の置き方を変えたところ、売り上げが7割アップしました。どういう時に飲み物を買うのか、あるいは買わないのか、じっと行動観察をしている中で分かりました。

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そんなに効果が!それは具体的にどういう行動と、どういう分析の結果なのですか。

松波

すみません。この件に関しては、まだお話し出来ないんです。サービスには特許がないので、ノウハウを開示してしまうとすぐ真似されてしまって…。非常に難しいところです。お話し出来るとすれば…スポーツクラブを訪れる見学者の入会率について調べた例があります。入会率の高い店と低い店に行って、見学に来た人にどう対処しているか朝から晩までずっと観察したのですが、やはり入会率の高い店には根拠がありました。メモを分析したところ、スタッフが見学者に自己紹介した方が、入会率が高いと分かったんです。そのほかいくつかの点を取り入れた結果、入会率を上げることが出来ました。
サービスというのは、勘と経験、つまり暗黙知の側面が強いものです。例えば同じ系列のチェーン店でも、店舗によって差がありますよね。その店独自の工夫や個人の努力に依っているからノウハウが広がらない。

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更には、それがノウハウだと気付いていないという場合もありますね。

松波

そうですね。成績の良い営業マンに、どういうノウハウがあるのかと聞いても多くの人は「たまたま、お客さんが良い人ばっかりなんですよ」と答える人もいて、言葉として説明出来ないケースが多い。

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店舗などモノを売る場所以外でも効果を上げているとか。

松波

オフィスの生産性を調査するために、カメラ6台を使って観察したことがあります。
その場の何人かをピックアップして、彼らの行動を逐一記録、分析していくんです。キーボードを打っている、マウスを触っている、資料を探している、電話をしている…といったように、行動ごとに項目を立て、時間軸に沿って表に記録しました。そうすると、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれが何に一番時間を使ったかが見えてくる。中でもCさんの観察コード表を見ると、半分以上ねずみ色でした。これは席をはずしているという時間なのです。その日のCさんの予定表を見ても、何も予定は入っていないのにです。「どこで、何しているんだろう?」となりますね。

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当然、お茶でも飲んでいたのか、なんてことになりますね。

松波

でも何のことはない、Cさんは会議室でこっそり仕事をしていたんです。

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こっそりですか(笑)。

松波

自分の席にいたら邪魔が入ってなかなか仕事が出来ないから、集中出来る場所を求めて会議室にいたんです。実は、この調査は定時の間に、どの位、作業を継続出来るかを調べるために実施したものです。仕事をしていて、電話に出る――中断ですよね。電話を切ったら、また自分の仕事に戻る。戻るのですが、どこまで仕事が進んでいたか確認したりなどして、完全に戻るまでに21秒かかるのです。そこでこの表を見ると、Cさんは1分以内で中断される回数が非常に多い。

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何かやっていたら、電話がかかってきたり、誰かが話しかけてきたりして、1分以内に中断されてしまうと?

松波

そうです。そして戻るのに21秒かかるわけですから、それでは仕事にならない。最長でも15分ほどしか継続できない。これが定時外になると、30分ほど中断されず継続出来るようになった。つまり定時内には、とても集中して仕事が出来るような状態じゃないと分かったんです。他の人も、同じような状態でした。ならば「こっそり会議室」を公式化して、集中ルームというものを作る、あるいは集中タイムを設けて、電話にも出ず、同僚に話しかけるのもやめるという時間を作りました。また、1人1席ずつデスクがあったのですが、在席率を出したところ、平均で37パーセント程度、ピーク時でも50パーセントに満たないと分かりました。ということは、今ある席の半分はいらないわけです。ならばフリーアドレスにすれば、一人あたりのスペースも倍になるし、毎日片付けて帰るので資料の整理もはかどりますし、人が移動することで社内のコミュニケーションも高まります。実際にフリーアドレスを導入して効果を上げているそうです。

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行動観察というものの有効性がよく分かる、説得力のある事例ですね。

松波

結局、行動観察で何をしているのかというと、現状を適確に把握するということです。仕事をもっと早くするためにはどうすれば良いのか…「上司が話しかけてくるから集中出来ない」なんて言うけれど、本当はどうなのかというのを客観的に見る。そうしたら、思ったほど上司が話しかけていないということも分かるんです(笑)。

 

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現地に行って見る…言葉は悪いですが、ただ見ているだけで、なぜ分かるのか、不思議な気もします。

松波

最初にお話したように、エスノグラフィや人間工学、心理学などの知見をベースに行動を解釈するからです。例えば、人間の制約ということで言えば、たくさん数字を並べられても7個程度しか覚えられないとか、視野が決まっていて死角が存在したりするといったことです。

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自分で意識していない、自分の行動の理由を知るというのは面白いですね。

松波

そういう知見は、行動観察を行う上で、非常に重要なんです。例えば、目をつぶってまっすぐ歩こうとすると、多くの人は左にそれていく。それは利き足が右足の人が多いからで、それを知っているか否かで観察から引き出される分析は違ってきます。
またエスノグラフィというのは、本来は異なる文化の人たちと長期間一緒に過ごして、かの地の文化や行動様式を知ることを目的とした学問ですが、それを私たちは短期間ながら行動を共にして、その企業やあるいは家庭、働く主婦の文化や価値観を調べています。

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外部からの影響というのもありますね。

松波

ええ。環境心理学は、物理環境が人間の行動にどのような影響を与えるかを知るための学問です。人間は、自分で意識している以上に環境に大きな影響を受けている。例えば暑い日は、暴力的になります。殺人事件も圧倒的に気温が高い日に多い。あるいは、うるさい部屋と静かな部屋、双方に人を待たせておき、そこに本をたくさん持った人を行かせて、わざと転んで本をぶちまける。すると、うるさい部屋にいた人はほとんど、拾うのを手伝ってくれません。逆に静かな部屋にいた人の多くは手伝ってくれる。

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周囲がうるさいかどうかで、自分の行動にそんな風に違いが出るとは、想像したこともありませんでした。

松波

では、クイズを出しましょう。文法が正しいかどうか答えてくださいという問題です。その問題の中に、高齢者に関係する文章を混ぜておきます。すると解答が終わって帰る時、皆さんの歩くスピードは遅くなっているんです。

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え!遅くなる? 具体的に足が遅くなるなどと書いてあるんですか。

松波

いいえ。「高齢者が座った」「高齢者のスポーツ大会があった」といった文章を読んだ、ただそれだけで影響を受けてしまったということです。
似たようなものに、心理学で言うラベリングというのがあります。子供に「算数が良く出来るな」とラベリングするか「お前はあほやな。頑張らなあかんわ」とラベリングするかで、その後が違ってくる。前者のように良い言い方をしたほうが、圧倒的に成績が伸びるんです。皆さんがよくご存じなのは、血液型です。A型はまじめなどと言われますが、心理学的には、血液型と性格とは全く関係ないものです。でもこれも「A型だからまじめですね」と言われて、まじめになっていくんです。

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何だか、単純な…。

松波

先程オフィスの生産性の話をしましたが、作業効率という点では、オフィスの机の配置といった少々の物理環境の変化よりも、新しいオフィスに移る方が、影響があります。

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新オフィス?

松波

そうです。新しいオフィスに移ると、少々使いにくくても「新しいオフィスは良い」という評価が上がってくるんです。ホーソン効果と言います。ある工場で照明を暗くしたら、生産性がどうなるかという実験をしたことに由来します。暗くしたら作業がしづらくなるので、生産性は落ちるものですよね。でもどんどん向上したんです。なぜかと調べたら「調査員まで派遣して、労働環境を見てくれる」というのが嬉しくて、従業員は頑張っちゃったんです(笑)。ですから、少々の物理環境よりも、大切にしているというメッセージを出すことの方が重要なんですね。新しいオフィスに移るのも同じことです。自分は優遇されているという思いから、少々ひどいレイアウトであれ、最初は皆、喜ぶんです。

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「最初は」なんですね(笑)。

松波

だから「良くなりました!」というアンケートの結果は、信用したらだめですよ(笑)。物理的に良いからではなく、「やってくれた」というのが嬉しいから良い評価が出ているだけかもしれない。

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自分は理性的に行動していると思っても、実際はずいぶん違うようです…。

松波

だからこそ、問題を客観的に把握してからでないと、有効な対策が立てられないんです。ダイエットと同じで、自分が何を食べてどれだけ運動しているかときちんと認識してからでないと、有効な対策が立てられず結局やせられない。それが、行動観察が重要な意味を持つ点なんです。

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行動観察からサービスを向上させるというプロジェクトが進行しているとか。

松波

はい。近畿経済産業局と大阪商工会議所が、地域をあげてサービス産業の生産性向上を図るため「関西サービス・イノベーション創造会議」という組織を立ち上げました。今、私達はその調査にあたっています。リーガロイヤルホテルに、車のナンバー、車種、会社、名前、顔、性格を5,000人も覚えているという有名なドアマンがいて、その能力をノウハウ化しようといった取り組みを行っているところです。

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5,000人!? 松波さんからご覧になって、そこには一般化できるノウハウがあったのですか。

松波

あります。観察と、インタビューもさせてもらいました。どうやって覚えているのか、記憶に関する知見をもとに「どんな風に覚えているのですか?」「こんなことをやっていませんか?」と、質問をぶつけていくことで見えてきました。

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ご本人は、それを意識されていなかったのですか。

松波

そうなんです。心理学の知見をもとに、というやり方ではなく、そのご自身の経験で培ったものだったんです。しかしインタビューをしていくと、そのやり方は、やはり認知心理学と合致していました。まだ研究中なので、詳細はお話できないのですが、将来的には調査結果が公開されます。

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5,000人もの顔や性格、名前、車種、車のナンバーなんて、とても無理です。

松波

すごいですよ。その方はオリンピックの選手みたいなもの。天才でした。

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それも行動観察という手法によって、そうしたビジネスのノウハウが解明されるというのもとても楽しみです。更に行動観察の考え方は、生き方そのものに生かすことができそうですね。

松波

はい。僕自身は、観察のために、非常に優秀な人に会いに行く機会が多々ありますが、ものすごく勉強になります。共通項がいっぱい出てきて、僕もそうしないといけないなと思うことがしばしばあります。多くの方が前向きで、かつ冷静に事実を受け止めている、正に行動観察の概念です。ただ理論を分かっているのと、それを実践出来るかというのは別の話でして(笑)。僕もなるべく実践したいとは思っています。取り入れていくのは面白いですよ。

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今、何か取り入れていることはあるのですか?

松波

書かないでくださいね。働く主婦の方の行動観察をした時、ある方が自分の娘に「○○ちゃんはクリスマスプレゼントがもらえていいよね」と話されるのを見ていて、確かに主婦はクリスマスプレゼントをもらう機会は少ないだろう。そういえば自分も嫁さんにずっとあげていないなと気付いて、それ以来、毎年あげるようになりました。

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とても良い話です! 実際に行動に移すのが、また大変だとおっしゃってますが、松波さんご自身に、奥様を気遣うお気持ちがあればこそじゃないでしょうか。

松波

そうですか(笑)。それと家事に対してもコメントをするようになりました。体力も使うし、何も見返りもなければ辛いばかり。だから皆さん「自分へのご褒美」という言葉を使うじゃないですか。誰も褒めてくれないから、そう言うわけです。

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よく分かります(笑)。戻って考えればお店でも「いつものですね」と覚えていてくれるだけで、大切にされているようで何だか嬉しいものです。

松波

そうです。人間って基本的に自分のことを過信しているんですよ。客観的に見た自分よりも、もっとすごいと思っている――それが進化の上では正常なんですが、でも、だから周囲から褒められる機会は自分が思っているよりも少ない。だから認めてもらうとすごく嬉しい。ということは「お前、そんな大したことないぜ」と言いたくなっても、言っちゃだめ。人間って、皆自分は論理的に考えて、冷静な判断を下していると思っているけれど、はたから見たらそんなことないんですよ。それを客観的に提示して、解決策を見出そうというのが行動観察の醍醐味ですね。

人間は知らないうちにいろいろなことに影響される
松波晴人(まつなみ・はるひと)
1966年大阪生まれ。2009年に大阪ガス株式会社行動観察研究所を設立、所長に就任。1990年神戸大学工学部環境計画学科卒業。92年同大大学院工学研究科修士課程修了。同年大阪ガス株式会社入社、基盤研究所に配属。以後2006年まで研究所所属。生理心理学、人間工学関係の研究活動に従事。2002年コーネル大学大学院にて修士号(Master of Science)取得。2005年株式会社エルネットと契約し、行動観察ビジネスを開始。2006年和歌山大学より博士号(工学)取得。2007年米国Giantant社の技術顧問就任。2008年エルネット技術顧問、財団法人社会経済生産性本部サービス産業生産性協議会「科学的・工学的アプローチ委員会」委員就任。編著に『ヒット商品を生む 観察工学』(共立出版)。
 
●取材後記
働く主婦の行動観察の結果、見えてきたのは「女性達に達成感がない」ということだそうだ。食事を作って家をきれいにして当たり前、ちょっと散らかっていたら「最近、汚い」と文句を言われ、褒められることもない。だから女性達はしばしば「自分へのご褒美」という言葉を使うのだとか。しょっちゅう時計を気にしているお母さんは、自分が時間に追われているというつもりはなかったという。利き足や死角といった人体の根本的な作りに基づく行動の結果もあれば、現代の生活様式の中で「ちょっと大変」という声を拾えるのもまたこの行動観察という方法かも。とりあえず、男性も女性も「あなたはよく頑張っている!」と言ってみてはどうでしょう。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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