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かしこい生き方 工学博士 都甲潔さん

「主観の塊と思われていた味を客観化したことがすごいことなんです。」

「プリンに醤油でウニ」「コーンスープは牛乳とたくあん」…。 これは、九州大学の都甲潔教授が、開発した味覚センサーによって 導き出された「同じ味」のもの。と言われても、ウニとプリンが 一緒というのは、にわかには信じがたいが…。 味覚という、個人の好みによるところが大きい概念を数値化し 客観的に示すことに成功した味覚センサー。一体、どのようなものか。 食欲の秋に向けて「味」が気になる季節、その仕組みや概念を伺った。

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味の5つの要素を数値化すれば客観的に見られる 舌が感じる味、脳が感じる味

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味覚センサー自体は、30年程前から考えられていたと聞きますが、どんなことが契機になって、味覚を考えようとされたのでしょうか。

都甲

僕は人参が嫌いなのですが、うちの嫁さんが栄養のあるものを食べさせようと、人参を細かく切ってハンバーグに入れたんです。それを食べて「おいしいな。いつものと違うな」って言ったら、実は人参がたくさん入っていると言うんです。それで味覚って何て不思議なんだろうと思い、その味覚を調べるセンサーを作っちゃおうと考えたわけです。

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本当ですか(笑)。

都甲

半分、本当です(笑)。

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(笑)。でも味覚というのは、かなり主観が入る気がします。それを測るというのは、どういうことなのでしょうか。

都甲

では、主観と客観について考えてみましょう。僕は1kgのコンピューターを持ち歩いています。それ以上の重さのものは持ち歩きません。重いからです。でも体を鍛えた人だったら3kgのコンピューターを重たいと思わずに、むしろ軽いと思うかもしれません。これが主観です。それに対して1kg、3kgというのは客観です。このように客観的だと思われる重さの世界にも主観が入っているんです。時間についても、楽しい時は早く経ちますし、つまらない時には時間が経つのが遅いというのは、皆さん、感じていることでしょう? つまり時間が早い遅いというのは主観です。でも1時間という長さは変わりません。それが客観です。つまり、僕らはそうやって主観と客観を使いこなしているわけです。
味覚の世界も同じです。人によって味覚が違うとおっしゃったけれど、それは事実です。他の感覚に比べても、そういった側面が強いと思います。しかし、それは主観です。そして主観と客観は共存し得るということは、他の感覚で実証されているわけで、味覚にも主観と客観が共存できるはずだというのが、私の考えです。

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では、味覚センサーは、何を測っているのでしょう?

都甲

人間は、舌で5つの味、つまり酸味、苦み、うまみ、塩味、甘みを区別します。その情報は神経を伝わって脳に届き、過去の経験や目で見た感じ、鼻でかいだ匂い、耳で聞いた音など、さまざまな要因を総動員して、総合的な味覚を感じます。刺身の盛りつけが下手だったら、おいしく感じないでしょう? 風邪をひいて鼻がつまると、味が分からなくなるでしょう? 味覚とは、五感と、そして過去の経験を総動員する、まさしく主観の塊なんです。そこまでいくと客観化することはできませんし、味覚センサーは、はっきり言って無力です。でも5つの味の数値化は可能なのではないか、それは味の客観化になるだろうと思ったんです。

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では、味覚センサーでは、何を測っているのですか。

都甲

舌で感知する味です。「おいしい」「おいしくない」と判断することは、複雑な要素が絡み合って生まれた脳の反応ですが、甘みや辛みを感じる舌の反応は、神経の反応なんです。それを数値化したのが味覚センサーです。ここで最も重要なのは、それまで「測れないだろう」と言われてきた味覚に対して「測れるもの」という概念を提唱したことなんです。

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本当にそうですね! そうなると次は「どうやって測る?」ということに考えが及びますね。

都甲

味の5つの要素人間の舌を構成する細胞の表面を覆う生体膜は、味物質を吸着すると膜の内側と外側で電位差が生じ、それが脳に伝わり、味覚を感じるわけです。味覚センサーの脂質膜も、同様に味によって電圧を生じ、それをコンピューターで測定することで味覚を数値化することができるのです。
ここで明らかにしておくべきは、味覚センサーで測定しているものは味そのものということです。味を測るという時、たとえば塩化ナトリウムやアミノ酸といった、調べようとする対象に含まれている物質の量に注目するという考え方があります。それも一つの考え方ですが、味を構成する物質は何十万とあります。それを一つ一つ調べるのは実質的に不可能ですし、また甘みが苦みを消すといった、二つの物質が複合的に生み出す味を感知することもできません。そこで味覚センサーでは、舌で感じている味そのものを測ろうとしたのです。

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人間の舌のようなものを作って測るのでしょうか。

都甲

味覚センサーでは、舌の材料である脂質膜を使っています。今は、舌の原理が相当分かってきましたが、味覚センサーの研究を始めた20年前は、舌の原理がある程度分かっているという状態でした。一方、当時、私は分子から組織ができる構造の研究をしており、そこで脂質膜を使っていたので、これを使ってみてはどうかと思ったわけです。脂質膜というツールを持っていたということですが、実際にやってみるまでは半信半疑でした。やってみたら「こりゃ、できるわい」と(笑)。その後、いろいろな試行錯誤があって今の形になっています。

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人間の舌は5つの味を感じるわけですよね。とすると、味覚センサーに取り付けられた膜の一枚一枚がそれに対応しているのですか。

都甲

その通りです。基本的には、マイナスの電荷を持った脂質と、プラスの電荷を持った脂質があって、その割合を変えて作るのですが、対応する味によって、脂質膜を構成する材料が全く異なります。
人間の舌は、味によって反応が異なり、例えば苦みには低い濃度でも敏感に反応します。苦みは、自然界では毒性があることが多いからでしょう。他方、うまみや甘みは、多くないと反応が出ません。これらは、生体の維持に必要だから多く摂りたいために反応が鈍いのだと推測されます。こうした味ごとの性質を反映させて、それぞれの味固有の脂質膜を開発していったのです。

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味の量によって電圧が変化するのですか。

都甲

そうです。これは酸味に反応する膜で、酸っぱい物質が来た時だけ、電圧が変わります。これは苦みに応答する膜で、苦み物質が来た時だけ電圧が変わります。人間の味細胞も同じですよ。

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現在、舌のメカニズムは、どの程度まで分かってきているのですか?

都甲

脂質膜の中にタンパク質があり、そのタンパク質が化学物質を認識して受容して、細胞の中の物質を変換して、酵素反応があって、電気が起こって…と、かなり細かなところまで分かってきましたが、分かったからといって、そんな複雑なメカニズムは現在の科学技術では、絶対に再現できません。味覚センサーも、生物に端を発しているかもしれませんが、それを100%模倣するつもりは、さらさらありません。

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脂質膜というのは、舌の受容体のその部分だけを取り出したという感じなのでしょうか。

都甲

生体系の受容体はタンパク質ですから、そういう意味では全く違います。それに、タンパク質がレセプター(受容体)を構成しているとは分かりながら、今の僕たちは、タンパク質を使いこなせませんからね。


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自分を信じて「おいしい」を決めよう 意外にだまされる人間の舌

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味覚センサーを使って、コーヒーに砂糖を入れると苦みが減るといった、私達が経験的に知っていたことが、客観的に明らかにされました。

都甲

ビールメーカーによって苦さの基準が全く違うとか、養殖物と天然物との違いなども分かってきましたよ。養殖物は味の地図を描くと、どれもほぼ同じような塊になるのだけれど、天然物は、物によってばらつきがある。両者の地図を重ねてみると、オーバーラップしているところがあったりもする。そういったことから、養殖物の方が味は信用できると言えますね。

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養殖物の方が、おいしいということですか。

都甲

いえ、味が一定ということです。天然物が良いと思って食べたら、意外とまずいものがあったりするのに対して、養殖物は安定して、味が期待できるという意味です。

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養殖物は、安定した環境で育ったからでしょうか。

都甲

それはあり得ることですね。だからこそ僕は、ブランドやイメージではなくて、自分の舌を信用して、自分でおいしいと思ったものがおいしいのだと、自信を持って欲しいと思っているんです。

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味覚センサーという味を測る概念を提示された上で、自分の舌を信じなさいというのは、興味深いですね。

都甲

そうですか(笑)。味覚センサーは食品メーカーなどで利用されていて、例えば有名店のラーメンのスープを作ろうとするのですが、試作品は何か物足りないと感じるんです。でも、人間にはどうして物足りなく感じるのかが説明できない。つまり、その程度しか人間には、味の分解能力がないということです。ところが味覚センサーを使ってみると、コクが足りないと分かる。それでコクを加えることによって目指すスープを開発したといったことにも利用されていますね。

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何か味が足りないというのは分かるけれど、味の何の要素かは分からないということですか。

都甲

そうです。食品の偽装問題が起きることがありますが、人間の味覚は、敏感なようで意外に区別をつけられないのです。それなら偽装などせず、きちんと事実を公表すればよいのに、と思います。

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正直に伝えて、かつその味には自信がある、そして安価だというものなら、消費者の選択肢の一つになりますね。

都甲

良薬は苦くないその通りです。あるメーカーでは、実際に食材のコストダウンをしながら、同じ味であるということを味覚センサーで示しています。あるいは、今回の震災で手に入りにくくなった食材を、別の産地から提供するために、味覚センサーで測って、味を保証して欲しいといった依頼もいただいています。
人間は、食事をして楽しむという要素があり、その論評をしたり、もちろん客観化するために食事をするわけではありません。それに残念ながら人間の舌は、いくつもの味の要素を分解できませんから、味が違うことは分かっても「何かもの足りない」に止まってします。それでは意味がないでしょう? その「物足りない」と感じる原因が言えるのが味覚センサーなんです。

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味覚センサーにおいて、味に応じた固有の膜を開発していることを考えれば、5つ以外の味が発見された時には、それに応じた膜を作れば、その味を測定することができるわけですね。いろいろと応用範囲がありそうです。

都甲

ええ。今、農薬のセンサーを開発中です。現在、農作物に使用されている登録農薬は、約4300種類程度ある一方、これまでの農薬センサーでは数十種類しか検知できませんでした。しかし味覚センサーでは、その登録農薬の8割を認識することができます。
仕組みは簡単です。農薬は水に溶かして使用するので、界面活性剤、平たく言えば、石けんを使っています。そこで石けんを検知する膜を開発しました。普通、葉っぱの表面に石けんカスが付いているはずはありませんが、それが付いているということは農薬があるということです。コロンブスの卵的な発見でしたね。
味覚センサーは1989年に特許出願していますが、初めの10年間は、この味覚センサーを使ってどんな食品の味が測定できるのかを、日本酒、ビール、ワイン、味噌、醤油、牛乳、コーヒー…にアミノ酸…とあらゆる食品を片っ端から試して実証していきました。その間、味覚センサーの機器開発を担当しているインセントという会社は、初号機を作って、改良して実用化を果たしました。僕はアカデミックな立場から、彼らは現場の立場から味覚センサーを開発してきたわけです。その後、2000年から2010年の間は、僕は甘みセンサーの研究開発に没頭しました。実は、甘みの検知が一番難しいのです。

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それは意外です。甘み、つまり糖は脳を動かす上でも重要な物質ですよね。

都甲

正にそれが理由だと思われますが、甘みに対する舌の反応があいまいなのです。専門的な話になりますが、甘みは電荷を持っていないんです。ところが先にお話したように、味覚センサーの脂質膜は相手の電荷を測っているので、甘みを測定できないということになります。そのため開発には苦労しました。現在の甘みセンサーは、まだ多少、他の味にも応答するので、その改良を続けています。
また今は、海外展開を図っているところです。

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味覚は、その国によって微妙に違うように思います。特にうまみの感じ方は、日本人とはかなりの差がありそうですが。

都甲

違いはあるでしょう。しかし味覚センサーを使えば、それも測ることができます。海外では、興味深いことに食品メーカーではなくて、医薬品メーカーが薬の苦みを測定するために導入しているのです。お子さんは苦い薬を敬遠しますから、苦くない薬を開発しようとしますが、かといって研究者が自らそれを服用することはできません。そこで味覚センサーが使われるんです。日本でも味覚センサーを使って苦くない薬が開発されているんですよ。

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良薬は、苦くなくなるわけですね(笑)。

都甲

そうですね(笑)。味覚センサーとは何か。百歩譲れば「苦みセンサー」なんです。というのは、糖度計を使えば甘みを測ることができます。酸味はphメーター、皆さんよく知っているリトマス紙などで測れます。ちなみに酸味の数値は、人が感じる酸味と相関関係がありません。日本酒は、pH4.5〜5なのですが、酸っぱく感じるということはないでしょう? 有機酸が多く含まれているとpHがいくら上がっても人間は酸っぱいと感じないようです。とにかく、大ざっぱな近似値はpHメーターで測れます。塩味は、味噌汁状の汁物しか測れませんが、逆に言えば、それしか測らないとすれば事足りるのです。実は、塩味には食塩以外に塩化カルシウムなども貢献するのですが、塩化カルシウムは苦みもあって、これが塩味に貢献する食品の場合、塩味の測定に誤差が生じる可能性があるからです。
こうして分かる通り、既存の測定装置は状況が変わると使えません。言い換えれば、状況を限定すれば使えたわけですが、苦みだけは測定の機器がなかったのです。しかし苦みは毒につながります。それを測ることに需要はあると考えて開発しました。
最近の要求は、油を測ることです。ただ、油は絶縁体ですから、膜にくっついてしまうので、そこが難しい。現在改良中ですが、もう少しで解決するでしょう。

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もともと哲学の道に進みたかった先生は、工学部で「人間探求」を進める道として味覚センサーの開発に取り組んだとか。

都甲

電子工学科に在籍する自分と、哲学に興味がある自分を両立させるのが「味」だったわけです。味覚なら、材料レベルではミクロからマクロが構築できるし、グローバルに地球、歴史的規模から人間を見ることができると思ったのです。しかも味を測る「センサー」。それは電子工学そのものです。

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味というのは、世界のどこでも話題になるし、人類だけでなく、動物、それこそアメーバレベルでも苦みを感じて反応しますし、歴史的な側面もあり、縦横に広がりますね。今後、海外での味覚センサーの広がりも楽しみです。有り難うございました。


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都甲潔(とこう・きよし)

1953年福岡生まれ。九州大学卒業後、工学部電子工学科助教授を経て、現在、九州大学大学院システム情報科学研究院情報エレクトロニクス部門主幹教授。著書に『感性の起源』(中央公論新書)、『味覚を科学する』『旨いメシには理由(わけ)がある』(共に角川書店)など多数。「味を測る」という概念を提唱し、味覚センサーを開発した功績で文部科学大臣表彰・科学技術賞受賞。

●取材後記

他にも、イクラの醤油漬けはミカンとノリと醤油、メロンサワーは焼酎にキュウリなど、試してみたいような、みたくないような「同じ味」がたくさんある。またさまざまなビールの味のマトリックスもあり、自分の好みの商品を選ぶ時の参考にもなりそうだ。そして、自分の味覚がどれくらい敏感か、あるいは鈍感かを考えると「おいしいって何だろう?」と、問わずにはいられなくなる。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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