ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER

かしこい生き方 東京大学名誉教授 小林寛道さん

「体と心を鍛えるプログラムを作る、それが運動神経を育てるということです。」

もうすぐロンドンオリンピックが開幕する。世界中から集まる
超一流のアスリートの競技、演技は、金メダルだろうが、
無冠だろうが私達に感動を与えてくれることは間違いない。
「こんな動きができるんだ、人間って」。
かたや「走るのが遅い」「ボールが投げられない」など、
「運動神経の悪さ」を嘆く人も少なくない。果たして運動神経を
良くすることはできるのか?
画期的な切り口で運動を科学する小林寛道さんにお話を伺った。

INDEX


脳と神経機構のつながりをスムーズに――走るためのプログラムを改善しよう

――

短距離走でも体操でも野球でもサッカーでもどんなスポーツでも、その競技の一流選手の技には感服しますが、とてつもなく運動神経が良いということなのでしょうか。

小林

オリンピックに出場するような選手の能力は、一般の人とは全く違いますよね。でも「運動神経」という言葉はそもそも、とてもあいまいです。科学的な意味での運動神経とは、脊髄から出ていて、運動に関わる筋肉(筋繊維)に収縮のための信号を伝える「α運動神経」と、その筋肉の感覚センサーにあって小さな筋組織を刺激する「β運動神経」と「γ運動神経」を指します。ですが、これでは、私達が普段使っている「運動神経」という言葉が指しているものにはなりません。

――

確かに「運動神経が良い」という時、もう少し意味が広いように思います。

小林

科学的には反論があるかもしれませんが、僕は大胆だから言ってしまいますが、運動神経とは、脊髄や筋肉をつなぐ、脳の働きを含めた運動に関わる神経機構――筋肉や体の動かし方を総合的に捉えたものと考えます。例えば、運動神経が悪いと言われている人は、動作が鈍かったり、真っすぐに走れなかったりするでしょう? そうした体の動かし方と脳の働きは密接に関係しているのです。

――

運動が得意な人を称して「脳みそが筋肉でできている」なんて冗談めかして言いますが。

小林

ははは(笑)。それはきっと違いますね。我々人間や動物には、歩行、呼吸、咀嚼といった基本的な運動パターンが、生まれつきプログラムとして組み込まれています。これらの運動には、大脳や、中脳、橋(きょう)、延髄などの脳幹、小脳、脊髄などいろいろな器官が関わっています。大脳では特に、運動野にある錐体細胞から、脳内のさまざまな神経核や小脳に神経の路が伸び、それぞれの神経核から脊髄に神経路が伸びていて、神経の伝達に重要な役割を果たしています。また、錐体細胞から延髄を通って、脊髄に連結する神経路は錐体路と呼ばれて、筋肉の収縮に関する運動神経をコントロールしています。このように、さまざまな神経系が複雑に連携しながら働いて運動につながっているのです。

――

複雑な動きですね。

小林

そうです。だからこの調整がうまくいかないと、動きが変になるわけです。これはある種の「プログラム」ですから、生まれつきすごく良いプログラムを持っている人と、そうでもないプログラムを持っている人がいます。どちらにしても、今のプログラムで満足していれば、そこで終わってしまいますが、たとえ元々のプログラムが良くなくても、適切なトレーニングを行っていくことで、プログラムを改善することができるのです。

――

ということは、運動神経は良くなると?

小林

トレーニング次第で今より良くなる可能性があります。生まれ持ったプログラムもそうですし、また長年使って固定されたままのプログラムをどう改善するか、というのも研究テーマの一つです。というのも、一流選手も陥りがちですが、自分が好む運動プログラムができてくるのです。けれども、それは必ずしも正しくない場合もあります。そのまま続けていたら、余計な負担がかかって怪我をするようなプログラムやムダな筋肉を使っているプログラムもあるわけです。実際、怪我や故障に苦しんでいるアスリートも少なくありません。アスリートでなくても、ゴルフが上達しない、スキーがうまくならないといった人がいるでしょう。その理由の一つは、体、筋肉を合理的に動かしておらず、神経のしばりが解けていないので、正しいプログラムが身につかないということがあります。そこで、これを改善する方法も研究しているのです。

――

「膝を曲げて」とか「腕を振り下ろして」とか言われても、分かっているけれど直らないということは多いですね。

小林

特に、走る、跳ぶなどという基本的な動作は強く神経に支配されているので、これを変えようというのは、そう簡単ではないのです。

――

そこで、どのようにプログラムを変えるかということになります。

小林

これまでの動きを修正するにしても、新しい動きを獲得するにしても、その運動、動作に対して正しい神経回路を形成しなくてはなりません。それを解決する方法の一つが、その動作を学習するためのトレーニングのマシンの開発でした。

――

例えば、楕円軌道型の自転車ですね。

小林

画像 軸がずれると…はい。楕円軌道型の自転車は、速く走る動作を獲得するためのマシンです。スポーツジムにはエアロバイクなどペダリング運動の機器があります。持久力やカロリー消費、足腰の強化などの目的では有効だと思いますが、これでランニングの技術が高まるかというと疑問が残ります。ペダリングとランニングでは使われる筋肉が異なりますし、ランニングでは自分の体の真下か少し後ろのほうでキックしますが、ペダリングは腰より前。そこで、回転軸が固定されている自転車のペダルに対して、このマシンは中心が前後に移動する、つまり楕円運動を組み合わせました。ペダリングには、人間の走りで「歩幅」に相当する動きがありませんが、この楕円運動によって、歩幅の分だけ移動しながら足を回転させるという動作が加わりました。

――

ただ、このマシンをすぐに乗りこなせる人は少ないそうですが。

小林

そうなんです。恐らく、動きをイメージできないからでしょう。このマシンは、ペダルが楕円の軌跡を描きますが、皆、自転車のペダルは円形に回転するという固定観念があるから、びっくりするんです。自転車のようにこいでも、ペダルを前方に戻すことができないのです。

――

実際、私も全然できませんでした…。このマシンでトレーニングすれば、速く走れるようになりますか。

小林

合理的な体の動かし方が体得できるということです。ただ、実際にこのマシンでトレーニングして、格段に記録を伸ばしたという選手や、速く走れるようになったという子どもは少なからずいます。
足が速いというのはどういうことか、どういう要素でその運動が成り立っているか――数学で言えば最も基本的な公理や定理が、運動にもあるはずだと考えて、開発したものです。
そういうことは、これまでは皆、経験的にやってきました。例えば、カール・ルイスのような足の速い人がいたら、ルイスの走り方を真似しようとし、ウサイン・ボルトが速いとなったらボルトの走り方が良いのだというように。
野球でもそうです。一流の選手が「ふっ、と打てばいいんですよ」なんて言いますが「ふっと打つ」ための神経のプログラムを持っていない普通の人には真似できない(笑)。しかし、運動にも、数学と同じように、原則的なもの、法則があるのじゃないか――それを研究しているわけです。


Top of the page

速く走れる選手は深い部分の筋肉が厚い――うまく動くには体の軸を鍛えろ

――

カール・ルイスとボルトでは、走り方は違うように見えますが、そこから見えてくる共通点とは、どんなものでしょうか。

小林

しっかり地面をキックして着地、その際、体重がしっかりと乗っていてと、そういう共通点はあります。そこで以前は、足のパワーが強ければ大きなストライドで走れるのじゃないかと、キック力を高めるトレーニングが良いとされていました。しかもキック力を高めるために強化する筋肉というのもまた、時代とともに変化していて、最初は腿の前面、大腿直筋を鍛えて膝を高く上げるのがキック力に繋がるとか、次は太腿背面にあるハムストリングという筋肉が大切だとか、さまざまな時代がありました。
ですが、それだけでは充分でないということもわかってきました。もっと体の深いところ――背骨と大腿骨を結ぶ姿勢保持筋である大腰筋や腸骨筋といった体幹深部筋、いわゆるインナーマッスルを有効活用する動作を学習し身に付けることで、スポーツパフォーマンスが高まると分かったのです。

――

「インナーマッスルを鍛えることが重要だ」というのは最近、よく耳にします。

小林

筑波大学の久野譜也氏の研究で見つかったものです。久野氏は、バルセロナオリンピックに出場した陸上選手の体幹部をMRIで撮影したところ、大腰筋の横断面積が非常に大きいことに着目したのです。そこでサッカー選手、陸上選手などを調べてみたところ、大腰筋が発達している選手ほど走る能力も高いという結果が出ました。足だけ動かしても速くは走れない。骨盤の中の筋肉を動かさないと、あんな動きはできないというわけです。
そこでそのためのマシンも開発しました。四肢を動かす筋肉と同時に、体幹深部筋をどう連携させるのか。まず、脚の振り下ろしは、股関節の曲げ伸ばしで行われるので、単純に考えれば股関節の屈曲筋群、伸展筋群を強化すること。ただ、これだけでは体幹深部筋が働いていないので、脚と腰の両方のスイング動作が行われるようなものを考えたのです。サッカーでも、キックでも脚だけでなく体幹から生まれる力を利用するには、腰を同時に動かすことが有効です。そこでスイングアームの回転軸がちょうどみぞおち辺りにあって、前方に脚を振り上げた時、スイングアームの回転軸が後方に動く、後方に上げたらスイングアームが前方に大きく移動し、下半身の運動範囲を大きくするというようなマシンを開発しています。

――

合理的と思われる体の動きをさせて、体に覚えさせるということですね。

小林

というよりも、イメージしたものを体で表現する、つまりイメージと自分の体のコントロールプログラムをマッチングさせているわけです。ですが、既にプログラムが固定されている人、それからガンコな人は、なかなか改善できないですね。逆に何も知らない人、心が素直な人は、すっと伸びます。

――

素直な人ほど運動神経が高まる、と。

小林

ええ。素直な人じゃないとうまくならない(笑)。あるパターンを続けて頭が固まっていると、他のパターンを受け付けられなくなってしまうとも言えます。例えば、ずっと、すり足で走ってきた人に、回転系で走りましょうと言ってもできない。脳の柔軟性ということも関わっているでしょうね。
更に、これまでは、運動にしてもリハビリにしても、「頑張ること」が前提にされていましたが、私は頑張らない運動、リハビリを提唱したいのです。筋肉を緊張させる信号が脳から出て、大脳皮質からそれを抑制する信号が出るわけですが、その抑制を効かせないといけない。緊張したら、緊張を抜く…今の日本の社会には、力を抜く教育が足りないなと感じますね。

――

力を抜く教育ですか。

小林

頑張りは必要ですが、力を抜きながら頑張るというテクニックが足りないのです。運動だから、頑張り過ぎて怪我をしてしまう。

――

運動神経の良し悪しというのは、単に筋肉と持久力というようなものではありませんね。

小林

ハーバード大学の認知心理学者であるハワード・ガードーナー博士は、人には、言語的知性、絵画的知性、論理・数学的知性、音楽的知性、空間的知性、身体運動的知性、社会的知性、感情的知性という8つの知性があると唱えました。この8つの知性の中に運動が含まれているということは、つまり相手の言うことを理解したり、音楽的リズム感を持っていたり、社会性があったりと、それらすべてと関わっていることを表します。リズム感のない人は運動が得意ではないし、空間認識に乏しければ飛んできたボールを打つのは難しい。結局、運動神経を生かすのは、他の領域の要素との組み合わせ方次第であって、筋肉だけじゃないんです。

――

オリンピックの選手を見ても、体力、筋力が優れているだけでなく、もっと厚みを感じます。

小林

オリンピックに出場するようなスポーツ選手と普通の人とは、全く違います。ですから、自分の感覚でオリンピック選手の運動神経を測ってはダメですよ(笑)。とは言いながらも、オリンピック選手を見て、その運動をイメージするのは、いろいろな意味でプラスにはなるはずです。

――

やり方次第で運動神経を高められる可能性も…

小林

自分の持つ素質、素養をトレーニングによって少しずつ拡大したり、高めたりすることはできます。そのために、自分の体の使い方を知るべきなのですが、ほとんどの人が分かっていないですよね。

――

何か、私達にもすぐにできる、運動神経を磨く方法がありますか。

小林

画像 体の軸を鍛える上手に体を動かすために、体の軸を鍛えるというのは良いことだと思います。運動の苦手な人というのは、その動きのイメージが描けないという場合が多いので、それぞれの動きを基本的な図形に置き換えてみてはどうでしょう。というのも、筋肉によって関節を動かすという人間の動きの仕組みを考えれば、ほとんどの運動は円、直線、楕円、曲線、らせんなどの基本的な図形をなぞるような動きで構成されていると考えられます。
その上で、体で円を描いてみると実感できると思いますが、まず指先で小さく円を描く。次に少しだけ大きい円を描く。そうすると、手首、肘なども使った動きになるでしょう。次に肘や肩で、次に全身を使って円を描くという動作を意識してみると「体で描いている」ことが実感できるでしょう。
それから、体を上手に動かすには体軸を感じることも大切です。正座をして、胴や頭を含む上半身全体で円を描く運動を試してみてください。上体を回転させるためには、腹筋で支え、腹圧を調節することがスムーズな運動につながることを体感できると思います。

――

体幹深部筋を鍛えることは、中高齢者の体力増加にも役立つそうですね。

小林

ええ。歩行能力が高まり、転倒しにくくなりますし、それによって寝たきりを防ぐことにつながると考えています。転ぶのは、筋肉が衰えただけでなく、運動神経の問題です。80歳でも、90歳でも運動神経を鍛えれば、それを防げます。

――

リハビリ用のマシンも開発されたそうですが、それによってプログラムがつながる、神経の方から脳の方に、信号を送れるようになると?

小林

その通りです。普通は、脳が信号を発して体を動かしますが、体を動かすことによって脳を動かすわけです。

――

運動が脳と体につながる神経での情報が行ったり来たりというやりとりで成り立っているとすれば、理にかなっていますね。一方で、子供の運動能力の低下も問題になっています。

小林

1980年代をピークに、子供たちの体力や運動能力の測定結果が落ちてきているという文科省の報告があります。昔だったら4歳児にできたことができないという小学生が増えているのです。その原因として、運動をする機会や外で遊ぶ時間が少なくなってきていることが挙げられます。子どもの脳では、3、4歳くらいまでに脳細胞をつなぐ神経回路が形成されます。それには体からの刺激が必要不可欠なのです。運動をしている子どもの方がもちろん、運動能力が高い傾向にありますし、また、同じ人間を追跡して明らかになったのですが、幼児期の身体活動は思春期の発育期に非常に影響します。身体不活動は、脳の活動活力を低下させる結果を導くということです。

――

幼児期にいろんな動作をさせる、つまりいろんなプログラムを吸収させる事が大切なんですね。

小林

単に筋肉や心臓を鍛えるのではなく、脳を含めた体と心をコントロールするプログラムを教えないといけません。それが運動神経を育てるということなんです。


Top of the page
小林寛道(こばやし・かんどう)

1943年生まれ。68年東京大学教育学部体育学健康教育学科卒業、70年東京大学大学院教育学研究科(体育学)修士課程修了、教育学博士。カリフォルニア大学サンタバーバラ校環境ストレス研究所ポストドクター研究員、東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授、同大学院新領域創成科学研究科兼任教授を経て、現在、東京大学名誉教授。日本大学国際関係学部特任教授。日本発育発達学会会長、文部科学省独立行政法人評価委員会委員、他。著書に『運動神経の科学』 (講談社現代新書)、『若返りウォーキング―脳と体が10歳若くなる歩き方があった』(宝島社新書)、『ランニングパフォーマンスを高めるスポーツ動作の創造 (スポーツ認知動作学の挑戦)』(杏林書院)など、著書多数。

●取材後記

たくさんのマシンを試してみたが、柔軟性を養うらしいマシン以外、先生の顔が渋い。自分でも全然できていないことだけは実感できているのだが。運動神経、悪いと思っていなかったのだが、どうやら知らぬ間にプログラムにバグが…。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]