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かしこい生き方 銀座ミツバチプロジェクト副理事長 田中淳夫さん

「ミツバチを飼うことには、社会性が伴わないといけません。」

東京のど真ん中、銀座のビルの屋上で養蜂をしているのを
ご存じだろうか。東京は、緑が多くまた農薬の散布などもないことから、
意外にもミツバチの生育に適しているという。
今回登場いただくのは、思わぬきっかけで養蜂を手がけることになった
田中淳夫さん。その活動を通じてさまざまな人達と共同作業し、
ミツバチの生態を知り、環境や街作りについても思いを広げるようになった。
全くの門外漢から、今では農業法人を経営するまでになった田中さんにお話を伺った。

INDEX


小さなミツバチが大きなうねりとなって動き出す――ビルの屋上でミツバチは踊る

――

養蜂家の藤原誠太さんとの出会いが、屋上で養蜂を始めるきっかけだったそうですね。

田中

ええ。私が、弊社、紙パルプ会館のビル管理業務をしている関係で、ビルの屋上に場所を探している養蜂家がいると紹介されたのが藤原さんです。最初はお話を伺うだけのはずが、いつの間にか「しっかり学んで、途中でやめたなどと言わないように」と、何だか僕がミツバチを飼うということになってしまって(苦笑)。

――

ビルの屋上で養蜂とは、意外な気がします。

田中

藤原さんは元々、永田町のビルの屋上で養蜂をされていたのですが、そこが使えなくなりそうだというので、場所を探しておられたんです。ご自身の拠点は、岩手県盛岡市にあります。しかし、春先、盛岡ではまだ肌寒く花も咲かない3月でも、東京なら蜜が採れる――皇居周辺には蜜が豊富なことで知られるユリノキがあり、霞ヶ関にはトチノキ、マロニエ通りにはマロニエと、花を咲かせる木が多いんです。そこで春先の2ヶ月間は東京で養蜂し、5月の末になると、ミツバチの群を盛岡に連れ帰り、またそこで蜜を採る。更に、盛岡でも市内から山の方へと移動しながら養蜂を行えば、継続して蜜が採れるというわけです。

――

東京でもミツバチが蜜を集めることができるのですか。

田中

実は、都内は良質な蜜が採れる場所なんです。最近、ミツバチの減少が問題になっていますが、その理由の一つが農薬です。農薬を空散することで、ミツバチが死んでしまうからですが、都心ならその心配はありませんし、皇居や街路樹など、巨大な蜜源が広がっている。そういう意味では、東京の方が恵まれていると言ってもいいかもしれません。

――

それでもご自身で養蜂をするとは!

田中

藤原さんと出会ったころ、ちょうどこの界隈で高層ビルの建設問題なども持ち上がっていて2006年に「銀座ミツバチプロジェクト」を立ち上げる数年前から、この街が持っている可能性を見直し、新しい価値を見出していこうという動きがあったのです。そこで「銀座の街研究会」という勉強会を立ち上げました。高層ビル建設にただ反対するのではなく、この「銀座」という街を知って、守らなければいけないものや変えていくべきものを見つめ直そうという思いで始めたもので、日本バーテンダー協会元会長、化粧品メーカーのアートディレクター、有名画廊の社長などなど、町内会の会員を集めて、講演会や勉強会を開催していたんです。

――

そうそうたる顔ぶれが参加されていますね。

田中

ええ。名だたる老舗の若旦那たちと将来の銀座について話し合ったり、タウン誌の走り『銀座百点』の元編集長を招いて銀座の文化について伺ったり。そうやって、いろいろな話を聞くうち、改めて「この街ってすごいな」と感じていました。でも一方では、当時、銀座以外の都心のあちこちで大規模開発が進み「銀座は終わった」と、ささやかれたりしていたころでもありました。でも僕にしてみれば「そんなことない。銀座には、こんなにも膨大なコンテンツがあるじゃないか」という思いを抱くようになっていたのです。それらがミツバチを飼い始めたころに、一気につながり始めました。

――

屋上でミツバチを飼うことはできても、ではその先どうするか、ということになろうかと思いますが、そこで銀座という街が力を発揮しましたね。

田中

人に恵まれました。他の街でも、その土地で商売をしている方々のつながりはあると思いますが、銀座は、それが特に強い。だから会合なども多いわけですが、その中で「今度こんなことをやってみようかと思います」とお話したところ「そりゃ、面白い」と言って、集っていた老舗のご主人やシェフにバーテンダー、クラブのママも、皆盛り上がってしまって(笑)。もちろん、屋上でミツバチを飼おうというのだから、当初は多くの方が心配されたのじゃないかと思います。日頃からよく見知っているから面と向かっては言わないけれど、不安に思っている方は、いらっしゃるはず。だからこそ、絶対に街に迷惑をかけてはいけないと、細心の注意を払いました。今では「ここまで活動が広がってよかったな」と言っていただき、銀座の1700店舗のバーやクラブの団体である銀座社交料飲協会が、僕らを応援してくれる体制もできています。

――

採れたハチミツを使った商品もいろいろと開発されていますね。

田中

この街の面白いところは、互いに顔が見えた上で、関係が成り立っている点にあると思います。うち(紙パルプ会館)も60年前からここにいて、さまざまな方とのつながりが培われてきました。だから、実際に採れたハチミツをどうしようかという時にも、銀座の街研究会や、その他に催していた会のメンバーに声を掛けたら、さっと集まって、さっと話が決まっていくというのでしょうか。
例えば、良いハチミツが入手できなかったら、看板商品を作らないというほどハチミツへのこだわりをお持ちなのが銀座の文明堂さんです。その文明堂の社長に、屋上でハチミツを採取する作業に参加してもらったところ「ぜひ使おう」と言って、食の人間国宝、森幸四郎さんがカステラを焼いて、桐箱に入れて販売をして下さった。あるいは、世界カクテル・コンペティションで優勝した岸久さんが、ここで採れたハチミツを使ったカクテルを作ってくれました。有名なフレンチレストラン、レカンの高良康之シェフも、この屋上に上がってハチミツを口にして「このフローラルな香りには、フォアグラを合わせて…」と、頭の中にある膨大なレシピが動き出しました。そうやって、作り手の思いがつながって、広がっていく様もこの街ならではの面白さだと感じます。

――

ここで採れたハチミツは、化粧品やそれからビールにも使われているそうですね。

田中

画像 Bee(r) Gardenビールは、銀座にビアホールを擁するサッポロビールさんに相談して、ハチミツから酵母を採ろうとしたのですが、ハチミツは殺菌力が強いため酵母が育たなかったのです。私自身は半ばあきらめていたのですが、それから2年掛かりで研究を重ね、研究所のご担当者からニホンミツバチから酵母を採ることに成功したと連絡をいただいた時は感動しましたね。

――

西洋ミツバチでなくニホンミツバチから酵母が採れたと。

田中

そうです。完成したビールは「銀座ブラウン」と名付けました。シナモンの香りがする濃いめの味わいが特徴で、それを1杯飲むと50円がNPOに入ります。そうやって、銀座の技で、商品にしていただく輪が広がっていき、その中で、このプロジェクトがさまざまな形に応用できることも見えてきました。

――

屋上でミツバチを育てて蜜を採り、それを使った商品を開発するという活動に止まらない、空間的な広がりが生まれていますね。

田中

まず、銀座の屋上緑化の輪が広がってきました。今、銀座の百貨店始め、さまざまな施設の屋上の緑化は1000平方メートルを超えていますし、銀座中学校の屋上など、小さな屋上緑化も広がっています。ミツバチのための花や人が食べられる植物を育てるプロジェクト「ビーガーデン」をスタートし、銀座中学校では、新潟の茶豆や福島の菜の花を植えたり、白鶴酒造東京支社の天空農園には福島県須賀川市の農家、佐藤健一さんのキュウリの苗を植えたりしています。特別養護老人ホームの屋上でミツバチを飼って、そこで採れたハチミツを入居者の方に召し上がっていただいたり、地元の方々と一緒にビーガーデンの収穫体験をしていただいたりといったお手伝いもしています。


Top of the page

銀座のビルの屋上にある巣箱から始まった――ミツバチがつなぐ地域と街

――

加えて、年4回、紙パルプ会館で食について考えるイベント「ファームエイド銀座」を開催されています。

田中

環境指標生物と言われるミツバチを通して、無農薬、減農薬で生産物を作っている農家の方々とのつながりが生まれ、そうした生産者を応援しよう、消費者とつなげようと始めたイベントです。
先日は神奈川県大磯町の前町長と共に、銀座ブロッサム、白鶴酒造の両ビルの屋上農園に落花生を植えました。大磯町は落花生栽培の発祥の地なんだそうです。屋上農園は僕らが手掛けたもので、銀座ミツバチプロジェクトで催した講座に参加された大磯の方が橋渡しとなって実現したものです。こうしたイベントには、クラブのママたちに着物姿で参加してもらったりします。

――

お酒に落花生とは!(笑)。しかも着物で農作業ですか。

田中

話題になるでしょう(笑)。クラブのママたちに着物姿で参加してもらうのも、注目を集め、メディアに取り上げられたりすることが、地域の生産者を応援することにつながっていくと考えてのことです。そもそも生産者の方々は、何のために農薬を使わずに草と闘っているのか。安全な生産物を、都会の消費者は欲しているのだということを、きちんと生産者の方にフィードバックさせることが大切だと思うんです。お互い、顔が見える関係を作りたいんです。
岡山県新庄村という人口千人に満たない小さな村では、ミツバチが生きていける村を作ろうと有機農業の里構想を練っています。この村の名物は「ひめのもち」という餅です。そこで、カメムシにかじられた餅米を使って「ひめほくろもち」を作りましょうとお願いしました。黒い点のあるお米がありますね。あれはカメムシがかじった跡なんですが、黒い点ができると、お米の等級が落ちてしまう。だからカメムシを防いで、きれいなものを出さなければいけないからと農薬を使うのです。僕らが「ひめほくろもちを作りましょう」と言った時、最初は村の方々から「そんなものを誰が買うのか」とか「黒い点は、村側でできるだけ磨きます」と言われました。では、その黒い点は毒なのかと聞くと、毒じゃない。むしろ農薬を使わないからカメムシがかじったという、いわば安全の印です。都会の人は、そうした安全な物を求めているのですとお伝えしました。

――

その通りですね。それで、ひめほくろもちはどうなりましたか。

田中

松屋の食品担当バイヤーに頼んで、江戸時代からの老舗松崎煎餅さんが、このひめほくろもちを使ったあられを作ったり、ホテル西洋のレストランでリゾットにして販売したりしました。こうしてきちんと買うことも重要なのです。生産者の方ばかりにリスクを負わせてはいけません。

――

ミツバチを飼おう、そして街の活性化につなげようという動きも各地に広まっているとか。

田中

ミツバチを飼いたいと訪ねてこられる方は多いのですが、その際「ミツバチを飼うことの意味は何ですか」と、お聞きしています。というのも、ミツバチを飼うことを一時のお祭りにしては、もったいないからです。やるなら地域の方々とできるだけ交わって、地域のメッセージを発信するような仕組みにした方が良い――ミツバチは、社会性があり、それぞれが役割を担いながら、1ヶ月という短い命の間に、次の世代のために蜜を集め続ける生き物です。花を植えたり、自分たちが食べられる物を育てたりして、ミツバチに最適な環境を作りながら、人々のコミュニティをつなげていく。例えば、銀座のビルの屋上では草取りを中央区の福祉作業所さわやかワーク中央の方々に手伝ってもらうといったように、ミツバチを飼うことには社会性がないと続かないと感じています。

――

田中さんが屋上でミツバチを飼おうとした当初から、地域との結び付きを考えられていたのですか。

田中

画像 つながりプロジェクトメンバーの一人に大越貴之という地域コーディネーター担当の者がいるのです。彼がありとあらゆる地域の人達を連れてくるので、自然とそういうつながりが生まれましたし、日本全国に「○○銀座」という地名があるように、銀座はハレの場なのです。だから、銀座でイベントを催したりすると「銀座でこういうことをやった」と印象に残るし、更に僕らが現地に行くことで、いろいろなことが生まれるきっかけにもなって。その一つが、栃木県茂木町とのつながりです。茂木町では、町が運営する有機物リサイクルセンターに落ち葉を集めて持っていくと、1袋400円で買ってもらえる仕組みがあります。集落ごとに、その集めた落ち葉が道路沿いに積んであるのですが、どれくらい集めたか一目で分かるので、お互いに落ち葉集めの競争みたいになっているんです(笑)。この仕組みによって、山はきれいになり、高齢者の健康維持にも役立ち、その落ち葉を使ったミネラル豊富な堆肥を販売することで、収益にもつながる。更に、その堆肥を棚田や畑に使い、育てた野菜を東京に出荷するというサイクルができているのです。その茂木町に、僕らがミツバチを持っていくことになりました。地元の方は、ミツバチを飼うからには無農薬、減農薬の農業を目指したいとのことだったので、総務省の事業を受けて、「電脳ミツバチ」という無線内蔵の土壌センサーを使って、地中温度、地中水分度、気温、位置情報などを取得し、インターネット上に情報を収集させるシステムを構築しました。

――

「電脳ミツバチ」によって、土中の情報を集めて、その情報を生産者にも消費者にもオープンにするということですね。

田中

ええ。それを農業生産に生かしていただけたらいいなと思って作った事業です。そうしてできた農産物を、都会の消費者とつなげたい。それによって、ちゃんと商品として流通させるルートができる、ルートができれば安心して作れるのです。以前から地域間交流を深めていた福島県須賀川市に何度も伺っているのですが、震災後、風評被害を受け、土にこだわって生産を続けてきた生産者の方々は、非常にダメージを受けています。放射線量をきちんと測定して安全とされたものまで、買い控える動きもありますが、それは「安全=安心」ではなくなってしまったからだと思うのです。いくら新鮮で安全なんだと言っても、安全と安心の関係が切れてしまった今、それをどうつなげていくかが大きな課題だと考えています。それで少しでも、生産者の方に前を向いてもらいたいという思いもあって、須賀川の物産展を銀座で開いたり、松屋の屋上に町の名産である牡丹を植樹したり、それから「銀牡丹」という日本酒も作り始めました。お米はあまりたくさんは食べられませんが、ジュースにすればたくさん飲めるでしょう?

――

ジュースですか(笑)

田中

(笑)。原料となる「夢の香」という酒米植えには、銀座のクラブのママや、バーテンダーたちと一緒に行ってきました。田んぼには放射線量計を追加した電脳ミツバチを置いて、放射線量を1時間ごとに自動的測定し、その各種データをリアルタイムで公開する仕組みも作りました。この酒米は、新橋芸者衆の見番屋上でも育てていただいています。
地元の方々からしたら、新橋の花柳界とつながったり、銀座のクラブのママたちとつながるなんて、普通ではあり得ませんが、その、あり得ないことを、実感してもらうことで、再び作ることに対して前向きになっていく…そういう姿が見られました。芸者さんたちは、育てた稲を収穫して、お正月の髪飾りにしていました。

――

飾りに?

田中

小さな鳥のフィギュアを添えて、鳥と米で「お客をとりこめ」という意味を持つ、昔からの伝統の飾りです。食べる物は、いろいろな文化とつながります。
また、銀座ミツバチプロジェクトの一貫で、福島市内で育った菜の花を銀座の屋上に植えたご縁があったので、震災直後のゴールデンウィークには、銀座のクラブのママさんやバーテンダーを連れて、福島の土湯温泉でお酒を振る舞ったんです。ママたちは「被災地にこんな格好で行っていいのかしら」と不安がっていましたが、被災した方々にはすごく喜んでいただけて、参加したママたちも、お金払ってもここまで来てよかったと言う。人とつながるってことは、こういうことなのかなとしみじみ思いました。
僕らは机の上で議論していることよりも、フィールドに出て動いていることが多いので、落ち着いて自分たちがやっていることをジャッジできてはいませんが、でも、動いていると見えてくるものがあると思うんです。実際、そうしてきた物事が今まで続いていますし、こうやって地域と街、生産者と消費者を直接つなげていくような仕組みづくりが、もっとできるのではないかと思っています。
僕らの活動のきっかけはミツバチでした。環境指標のミツバチが元気に生きられる環境は、人間にとっても悪いわけがありません。そこで採れた農作物は安全だという証にもなります。消費者が買うルートさえつなげていければ、生産者も前向きに作ることができるし、お金の流れもできるはず。もちろん銀座だけでは限りがありますから、これを一つの仕組みとして、広げていければいいなと考えています。


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田中淳夫(たなか・あつお)

1957年東京生まれ。79年日本大学法学部卒業後、多目的ホール、貸し会議室及びテナント業などを管理する株式会社紙パルプ会館へ入社。現在、専務取締役を務めるかたわら「銀座の街研究会」の代表世話人として銀座の街の歴史や文化の研究にも取り組む。2006年銀座ミツバツプロジェクト設立。2010年には、農業生産法人「株式会社銀座ミツバチ」設立。銀座400年の歴史で初めての農家となる。受賞歴に「あしたのまち・くらしづくり会議」奨励賞、「エコ・ジャパン・カップ2008」ライフスタイル部門「元気大賞」、2010年環境大臣賞、2012年農林水産大臣より「食と地域の絆づくり」で表彰など。著書に『銀座ミツバチ物語』(時事通信出版局)。

●取材後記

ミツバチには、蜜を集めるという仕事があるから、花と巣箱を行き来するばかり、本当は人間になど目もくれない。そうしてせっせと集めた蜜は栄養もあって殺菌力が高く、とても優れた食品だ。米に斑点がつくから農薬を散布する→ミツバチが住めなくなる→人間は安全なお米もハチミツも食べられない。「屋上で養蜂」が始まりだったかもしれないが、それによって見えてくることがあるという田中さんの言葉にはとても重みがある。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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