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かしこい生き方 武蔵大学経済学部教授 黒坂佳央さん

「経済とは、皆が幸せになることを考えること。お金儲けではないのです。」

「経済」という言葉を聞かない日はない。
「世界経済」とか「経済再生」などと使われるが
普段の生活からは「お金を儲けること」と思いがち。
だが、どうも文脈が違うようにも思う。
そこで、改めて「経済」というのは何なのか、
経済の基本についてお話を伺い、「経済通」になるべく
経済学者の黒坂佳央さんの研究室におじゃました。

INDEX


経済を円滑に動かすための道具に過ぎない――人類の偉大な発明「お金」

――

「経済」と言うと、どうしても「お金を儲けること」と考える節があると思います。

黒坂

それはビジネスの話であって、経済ではありませんね。
「経済」という言葉は「経国済民」「経世済民」という中国の古典に登場する語にルーツがあります。いずれも、国を治めて民を助ける、つまり、世の中が平和で安定していて、民の暮らしがうまくいっているということです。その「経国済民」「経世済民」という語を略して「経済」となったのです。
「経済」は、英語の「economy(エコノミー)」を福沢諭吉が訳した用語で、ちなみに経済学は「economics(エコノミクス)」と言います。この「economy」という言葉を辞書でひくと、元々の意味である「節約」という訳語が出てきます。つまり節約の学問が経済学なのですが、日本語で「節約」と言われると、果たしてそれが国を治めて民を助けることと、どういう関係にあるのかピンとこないかもしれません。
こんな例えで考えてみましょう。小学生がお小遣いをもらったとして、買いたい物はたくさんあるけれど、お小遣いの額は決まっている。では、それをどのように使うことが有効かと頭を悩ませる――つまり、経済の問題に直面しているのです。

――

小学生から国や市町村に視点が変わると、限られた財源をどう使えば、世の中が安定し人々が一番幸せになるかということですね。

黒坂

ええ。皆が幸せになるように世の中が治まっていて、日常生活が何不自由なく送れている状態を達成することが目的ですね。では、世の中を治め、そして人々の暮らしがもっと良くなるためには、どのような手段をとればいいのか――その視点を市町村や国全体に広げたものも経済であり、経済学というものも、極めて現実的な学問なのです。
ただし、経済がうまく動くことイコール幸せ、というわけではありません。それは必要条件ではありますが、世の中が平和で、やりたいことをやるだけの余裕があれば幸せかというと、そうではありませんよね? 例えば、大学に進学して勉強を続けたいけれど、お金がないためにその可能性が閉ざされているというのは、必要条件が満たされていないことになりますが、しかし、だからといって、大学に行きさえすれば、幸せになれるかというと、それは全く別の問題です。

――

幸せになるための条件…でしょうか。今の日本にいる私達は、世界全体を考えれば比較的、選択肢の幅があり幸せではありますが、依然、問題もあります。

黒坂

そうですね。経済学的な視点では、所得分配が公正ではないことが問題でしょう。国全体としては恵まれているのだけれど、個人単位で見た時に、恵まれた人と、恵まれていない人との格差が激しくなってきているという現象はあります。
日本銀行によると、金融資産を全く持っていない人の比率が上がってきているという調査結果がありますが、一方で、国全体で見ると、日本は、平成23年度末では世界全体に対して265兆円程のお金を貸している国でもあります。つまり国全体で見たら、日本は世界一、お金を貸している国なのです。そうは言っても、平成24年度末で、日本は、国と地方自治体を合わせると940兆円程借金があると報道されていますし、皆さんあまり実感はないかもしれませんけれど(笑)。実は、この借金の多くを賄う国債や地方債は、その90%を日本国民が、直接、間接に保有しているのです。

――

私は国債など持っていませんが…。

黒坂

でも、銀行などに預金はあるでしょう? 銀行は、利子を支払い、かつ利益を上げるために、預金を、貸し付けたり国債などを購入して運用したりますから、間接的には国民が国債を購入しているということにもなります。企業も同様に、資金がショートしないように、あるいは将来の設備投資に備えるため、内部留保と言って資金を確保しています。それがやはり国債の購入にも回っているのです。
今、日本では、お金がある限られたところでしか動かず、滞っていることが問題になのです。人体に例えるなら、血液がどこかで詰まり流れなくっている状態だといえます。しかし、改めていうまでもなく「お金」というのは、それ自体に価値はありません。「お金」の本来の役割は、人々や企業の間を回って、経済活動を活発にさせることであって、お金は動かないと意味がないのです。

――

その言葉は、しばしば耳にしますが、どういうことなのでしょう?

黒坂

イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説「ロビンソン漂流記」の主人公、ロビンソン・クルーソーで考えてみましょうか。彼は孤島に漂着し、自給自足の生活を送っていました。イチゴが食べたければ自分でイチゴを作らなければならないし、雨風をしのぐ家が必要なら自分で建てなければならないという生活です。自給自足では、全員が自分でイチゴを作り、自分で家を建てなくてはなりません。大変ですね。

――

そこで、作ったイチゴをあげる代わりに家を建ててもらうと。

黒坂

画像 いちご→家→何と交換する?そうです。現在の我々の経済は「分業体制」と言って、衣食住に必要なモノを皆で分ちあって作っています。イチゴを作るのは農家の方。家を建てるのは大工さん。農家の方は作ったイチゴを自分でも食べますが、衣服や生活を支える必要なモノを得るために、作ったイチゴやリンゴを誰かに買ってもらう。最初は物々交換だったでしょうが、物々交換の欠点は、互いの換えたいモノが一致しない限り、交換が成立しないという点です。片思いでは結婚できないのと一緒ですね(笑)。そこで、片思いであっても交換がスムーズにできるように、それを持っていればあらゆるモノと交換できる「お金」が登場したのです。
最初は大きな石や、インドならば牛がお金の役割を果たしたこともありましたが、大きな石は運びにくいし、牛は病気で死んでしまうかもしれない。ちょっとしたモノと交換するには不便など、いろいろ不都合がありました。そこで皆が欲しがる、つまり稀少価値があって、大きさを変えられ、腐ったりもしない、銅や銀、金といった金属がお金として用いられるようになったのです。今のお金は紙切れですが、金属が用いられた時代は「お金」そのものに価値がありました。ですから昔は、紙幣を銀行に持っていくと金と換えられたのです。紙切れには価値はないけれど、それに金や銀といった裏付けを与えていたわけです。これを金本位体制といいます。

――

学校で習った記憶があります(苦笑)。

黒坂

一方で、金本位体制の場合、金という裏付けが必要なために、金のストックが増えていかないと、経済活動の発展を支えるお札を増やすことができないという欠陥があります。

――

活発に動くためには、大量の血液が循環することが必要なように、経済発展に歩調を合わせて常に金のストックが増加しなくてはならないというのは、問題ですね。

黒坂

そうですね。ということは、お金が増やせないので、新たなモノやサービスが作れず、お金の価値が上がっていってしまう事態も生まれます。それがデフレという状態です。そこで、第二次世界大戦後、この金本位体制から離脱しようとしたのです。ところが一方で、大変なインフレの時代もありました。お金が金の裏付けを欠くと、お金が出回り過ぎる事態が生じたたわけですね。

――

お金をどれくらい流通させるかということが、非常に重要だというのが見えてきました。それが、いわゆる「ハイパーインフレ」という超インフレが懸念されている理由ですか。

黒坂

そうです。第一次大戦後のドイツでは、戦争に負けて生産が止まってしまったのに、お札をどんどん刷ったのです。大戦後ですからモノはありません。でもお金はある。そのため加速度的に物価が上がってしまったのです。1時間前には買えたリンゴがもう手持ちのお金では買えないというくらいのインフレが起こりました。

――

想像できません…。

黒坂

でも現実にあったのです。日本でも戦後、戦時国債の換金が可能になった途端に、皆一斉にモノを買いに走ったけれど、お金は持っていても交換できるモノがない。それで「タケノコ生活」といって、タケノコの皮をはぐように自分の持ち物を一つ一つ手放しては物々交換に回し生活を凌いでいた時期があったのです。お金の流通量に比べて、モノやサービスがバランスよくあるからこそ、お金の価値が安定しているというわけです。

――

なるほど!


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血流が滞っては、健康は維持できない――お金が回ってこそ経済は健康体

黒坂

お金に対して、金や銀の裏付けがあれば、お金としての価値はなくなっても、金や銀としての価値があるので問題ありませんが、今は、その関係が切れています。だからこそ、インフレが一番怖いのです。
そもそもロビンソン・クルーソーのような自給自足の生活であれば、お金は全く要りません。イチゴが食べたかったらイチゴを作ればいいし、イチゴに飽きれば違うモノを作るか、農作業の時間を減らすこともできます。自分の意思で、それを決定できます。しかし今の我々の分業体制では、そうはいきません。自給自足では起こらないような問題が、ばらばらと起きてくるのです。イチゴを売って衣食住に必要なモノを得ていた人は、イチゴを買ってくれる人が見つからなければ入ってくるお金が手に入りませんから、生活に必要なモノが買えなくなる。ということは、生活に必要なモノ――歯ブラシやYシャツを作って売っていた人にも同じようにお金が入ってこないという連鎖が起きます。

――

お金が物々交換の仲介をすることで、格段に便利になり生活が変わった一方、それまでにはなかった問題が起きるようになった、と。

黒坂

本来、経済は、自給自足であろうと分業体制であろうと、暮らしが円滑に行われるということを目的にしているのです。そして分業体制では、一人で作るよりも、たくさんのモノが作れるという利点があります。経済学の始祖アダム・スミスが、分業の利益と呼んだものです。その一方で分業体制では、どこかに問題が起きると、自給自足の経済では、絶対に起きなかったような事態が生じるのです。ということは、分業体制では、部分だけを見て物事を判断してはだめだということなのです。

――

部分というのは、例えば、自分の利益ですか。

黒坂

そうですね。分業体制というのは、そこに組み込まれている人々全員の暮らしが円滑に行われることが前提ですから、一部に問題があると結局共倒れになってしまう可能性があるのです。
例えば大学受験を経済学的な視点で考えてみましょうか。超難関校に全員合格させるといううたい文句の予備校がAとB二つあったとしましょう。その予備校に通っている人数の合計は2,000人。ところがその難関校の定員は1,000人ですから、どう考えても予備校生全員がその学校には入れません。受験生の能力に違いがなく同様に頑張ったとしたら? これを経済学的に解釈すると、全員が合格できないのは受験生の努力に問題があるのではなく、難関校の定員が限られている点に問題があり、全員が合格するには学校の定員を増やすということが正解になります。

――

需要が多いならもっと供給すればよいということですね。

黒坂

アダム・スミスの主張は、値段が上がれば何かが足りない証拠だし、下がっていれば何かが余っている証拠で、それに応じてモノの供給や需要が変わることで、需給が一致して、暮らしが円滑に進み、分業体制であってもモノの値段に従って各人が行動すれば、自給自足と同じ結果がもたらされる、というものです。
そこには、本来は、一人で決めるロビンソン・クルーソー的な視点を、分業体制にいる私達一人ひとりも持つ必要があるという示唆があります。物事を部分からではなく、あらゆる面から見ることです。

――

現実的には、私達は部分である自分の利益を優先しがちですね。歴史的にもそうした個々人の気持ちが起こした経済的な出来事があるように思います。

黒坂

画像 お金が循環しない状態日本で昭和の始めに起きた大恐慌は、アメリカの株の大暴落がきっかけです。それまでアメリカは史上空前の好景気でした。好景気になると所得が増えます。それによって、モノやサービスを買うだけでなく、懐にできた余裕で株価が上がっているからと株も買うようになりました。タマネギの値段が上がっているなら畑の面積を増やして、需要と供給のバランスを取ることができますが、株などの資産というのは基本的に供給がすぐに増えないもの。供給が増えずに需要だけが増えれば、価格が上がるということです。すると更なる値上がりを期待して、もっと買い手が押し寄せます。しかもその株を買うお金は、これからも株価は上がるからと借金をして用意する人たちも出てきたのです。しかし、そのような異常な状態は長く続きませんから、やがて株価が下がります。その時、担保にした株をすべて売っても借金は残ってしまうという事態は、皆さん想像がつくでしょう。そして借金を返す期間は、モノもサービスの購入にもあまりお金が回せない、つまり血液が循環しない状態が生じたということです。

――

そんな仕組みが分かっていたなら、そうした歴史の場面でも手の打ちようもあったのでは、という気もしますが…。

黒坂

そう分かったからといって、例えば「株価が異常な値上がりをしているバブルの局面で株を買って資産を増やすことなど、日本経済のためにしない」と言う奇特な人が果たしてどれくらいいるでしょう?(笑)。宝くじを買って「皆は外れても、私は絶対に当たる」と思うのと同じことなのです。

――

理論的には分かっていても、人間が関わっているが故に簡単な話ではないのでしょうね。

黒坂

経済学は、普通に考えれば当たり前のことしか言っていないのですが、その当たり前のことが理解されないという点では、コペルニクスの地動説のようなものです。皆、自分が置かれている部分からしか世の中を見ないから、全体が分からないのではないでしょうか。日々生活に追われる中では、どうしたって、自分の観点でしか物を見なくなるものではありますが、地球から太陽を見ていても、回っているのは地球だと言えるかどうかが大事なのです。我々みたいに、毎日の生活でこういうことを考えるような職業だったら、おのずとそういう見方しかできませんが(笑)。

――

こうしてお話を伺うと、「経済=お金儲け」とはまったく違いますね(苦笑)。

黒坂

先にも触れましたが、我々一人一人にとって衣食住のレベルが平均的に上がるということが、経済の観点からは大切なのです。

――

今、お話いただいたのは、経済学の基礎の基礎ですね。

黒坂

ええ。経済学者も一枚岩ではありません。アダム・スミスの理論に拠っている人は「バラバラにやれば、市場がうまく経済を動かしてくれる」というところにこだわっているし、けれども、それではうまくいかないこともあるから、例えば政府がある程度コントロールした方がいいという考えもあります。そうやって、経済学者の中でも、政府などが関与する度合いと、経済活動の自由度については対立がありますし、その線の引き具合は非常に難しい問題です。

――

規制緩和と言われているようなことですね。

黒坂

記憶に新しい経済的な出来事としてリーマン・ショックがあります。非常に影響が大きかったのですが、リーマン・ショック以前の20年間は、「大いなる安定期」とよばれる、経済的にも良い状態でしたので、自由に経済活動をしようという考えが主流でした。そこで金融業界が作り出してしまったのがサブプライムローンというものです。

――

本来、返済の難しい人達に住宅ローンを貸し出してしまったということだったと認識しています。

黒坂

詳細の仕組みは省略しますが、そこでは住宅価格が常に右肩上がりで上昇するという想定があったのです。その仕組み、貸している側はもちろん分かっていましたが、それがどれ程の問題を引き起こすかということに対して、警戒心はありませんでした。しかも借り入れをしている側は本当の仕組みを知らずにいました。経済用語ではこれを情報の非対称性と言いますが、こうして経済活動を自由にすることで、問題を起こす集団も現れ、世の中全体がひっくり返るようなことになりました。だから規制が必要だということになるのです。
だからといって規制を強め過ぎると、それはそれで世の中がおかしくなってしまう。規制のやり方をどうしていくか…子どもと一緒ですね。伸び伸びやらせた方が良い面もありつつ、あまりに放任では人に迷惑をかけることにもなりかねない(苦笑)。でも管理が厳しすぎても、子どもがパンクしてしまいます。ですから、子ども自身が自分で考えながら活動できるように促しつつ、親は子供が自立的に考えられるようにどれくらい見守るのか――それと同じです。
それによって経済活動全体が低迷すれば、結局、自分にも返ってきてしまう。一人勝ちの繁栄というのは、長く続かないのです。

――

倫理的な問題もさることながら、論理的にも、経済という仕組みの中で、どこかが突出すると結局、全体が破綻するということなのですね。

黒坂

2010年にギリシャの財務危機が表面化して、ユーロ経済は大きく影響を受けました。その時、ギリシャの国債を銀行が多く保有していたドイツでは、国民の間で「ギリシャはけしからん」という声がありましたが、他方ではそうやって国債を売って得たお金でギリシャの人々はドイツ製品をたくさん買っていたのです。そのおかげで、ドイツの景気も良くなったという一面も忘れてはいけません。
日本で銀行が国債を保有しているのは、安全に運用したいため、それは誰のためかと言えば、銀行にお金を預けている人の代わりにやっているわけです。

――

つまり、私たち…ということですね。伺うほどに、経済活動というのはそれぞれがつながっています。

黒坂

そうです。経済では、常に相手がいるということを考えなければいけません。自分がやっていることに対して、必ず相手がいるのです。「売る」ということは、それを「買う」人がいるということですし、「貸す」ということは、それを「借りる」人がいるということ。「売り」と「買い」、「貸し」と「借り」、それがロビンソン・クルーソーのように自給自足で生活を切り盛りしている状態になれるかがポイントなのです。ただ、今の我々は、必ずしもそうはなっていません。経済というのは、無理をするとどこかで破綻します。たとえ自分がいくら良いことをやっていると思っていても、相手にとっては大きな迷惑になっているかもしれないわけですから(苦笑)、自分で自分を振り返るという姿勢が必要なのです。だから、今、こうしてお話していることも、「そうなのか?」と疑ってみてください。経済を知る、学ぶ利点の一つは、自分で考える習慣がつくこと。さらに付け加えると、経済学者にだまされないように聞かないといけないですよ(笑)。


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黒坂佳央(くろさか・よしおう)

1949年兵庫県生まれ。73年兵庫県立神戸商科大学(兵庫県立大学に改組)商経学部経済学科卒業。75年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。同年米国ロチェスター大学大学院留学。80年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。武蔵大学経済学部専任講師、助教授を経て88年に武蔵大学経済学部教授、現在に至る。 専門はマクロ経済学。

●取材後記

経済というものについて誤解していた、小学生でこんなお話が聴けていたら(いや、聴いたかもしれませんが)、と申し上げると「小学生で聴いても、ピンとこないかもしれませんね。社会的な経験があって、分かることもありますから」とのこと。確かに「皆が幸せになること」なんて発想はなかった。けっこうな経験を積んでその発想を少し持てるようになった今は、経済をきちんと理解した気持ちがますます募ってきた。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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