
「経済とは、皆が幸せになることを考えること。お金儲けではないのです。」
「経済」という言葉を聞かない日はない。
「世界経済」とか「経済再生」などと使われるが
普段の生活からは「お金を儲けること」と思いがち。
だが、どうも文脈が違うようにも思う。
そこで、改めて「経済」というのは何なのか、
経済の基本についてお話を伺い、「経済通」になるべく
経済学者の黒坂佳央さんの研究室におじゃました。
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「経済」と言うと、どうしても「お金を儲けること」と考える節があると思います。 |
黒坂 |
それはビジネスの話であって、経済ではありませんね。 |
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小学生から国や市町村に視点が変わると、限られた財源をどう使えば、世の中が安定し人々が一番幸せになるかということですね。 |
黒坂 |
ええ。皆が幸せになるように世の中が治まっていて、日常生活が何不自由なく送れている状態を達成することが目的ですね。では、世の中を治め、そして人々の暮らしがもっと良くなるためには、どのような手段をとればいいのか――その視点を市町村や国全体に広げたものも経済であり、経済学というものも、極めて現実的な学問なのです。 |
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幸せになるための条件…でしょうか。今の日本にいる私達は、世界全体を考えれば比較的、選択肢の幅があり幸せではありますが、依然、問題もあります。 |
黒坂 |
そうですね。経済学的な視点では、所得分配が公正ではないことが問題でしょう。国全体としては恵まれているのだけれど、個人単位で見た時に、恵まれた人と、恵まれていない人との格差が激しくなってきているという現象はあります。 |
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私は国債など持っていませんが…。 |
黒坂 |
でも、銀行などに預金はあるでしょう? 銀行は、利子を支払い、かつ利益を上げるために、預金を、貸し付けたり国債などを購入して運用したりますから、間接的には国民が国債を購入しているということにもなります。企業も同様に、資金がショートしないように、あるいは将来の設備投資に備えるため、内部留保と言って資金を確保しています。それがやはり国債の購入にも回っているのです。 |
―― |
その言葉は、しばしば耳にしますが、どういうことなのでしょう? |
黒坂 |
イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説「ロビンソン漂流記」の主人公、ロビンソン・クルーソーで考えてみましょうか。彼は孤島に漂着し、自給自足の生活を送っていました。イチゴが食べたければ自分でイチゴを作らなければならないし、雨風をしのぐ家が必要なら自分で建てなければならないという生活です。自給自足では、全員が自分でイチゴを作り、自分で家を建てなくてはなりません。大変ですね。 |
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そこで、作ったイチゴをあげる代わりに家を建ててもらうと。 |
黒坂 |
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学校で習った記憶があります(苦笑)。 |
黒坂 |
一方で、金本位体制の場合、金という裏付けが必要なために、金のストックが増えていかないと、経済活動の発展を支えるお札を増やすことができないという欠陥があります。 |
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活発に動くためには、大量の血液が循環することが必要なように、経済発展に歩調を合わせて常に金のストックが増加しなくてはならないというのは、問題ですね。 |
黒坂 |
そうですね。ということは、お金が増やせないので、新たなモノやサービスが作れず、お金の価値が上がっていってしまう事態も生まれます。それがデフレという状態です。そこで、第二次世界大戦後、この金本位体制から離脱しようとしたのです。ところが一方で、大変なインフレの時代もありました。お金が金の裏付けを欠くと、お金が出回り過ぎる事態が生じたたわけですね。 |
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お金をどれくらい流通させるかということが、非常に重要だというのが見えてきました。それが、いわゆる「ハイパーインフレ」という超インフレが懸念されている理由ですか。 |
黒坂 |
そうです。第一次大戦後のドイツでは、戦争に負けて生産が止まってしまったのに、お札をどんどん刷ったのです。大戦後ですからモノはありません。でもお金はある。そのため加速度的に物価が上がってしまったのです。1時間前には買えたリンゴがもう手持ちのお金では買えないというくらいのインフレが起こりました。 |
―― |
想像できません…。 |
黒坂 |
でも現実にあったのです。日本でも戦後、戦時国債の換金が可能になった途端に、皆一斉にモノを買いに走ったけれど、お金は持っていても交換できるモノがない。それで「タケノコ生活」といって、タケノコの皮をはぐように自分の持ち物を一つ一つ手放しては物々交換に回し生活を凌いでいた時期があったのです。お金の流通量に比べて、モノやサービスがバランスよくあるからこそ、お金の価値が安定しているというわけです。 |
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なるほど! |
黒坂 |
お金に対して、金や銀の裏付けがあれば、お金としての価値はなくなっても、金や銀としての価値があるので問題ありませんが、今は、その関係が切れています。だからこそ、インフレが一番怖いのです。 |
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お金が物々交換の仲介をすることで、格段に便利になり生活が変わった一方、それまでにはなかった問題が起きるようになった、と。 |
黒坂 |
本来、経済は、自給自足であろうと分業体制であろうと、暮らしが円滑に行われるということを目的にしているのです。そして分業体制では、一人で作るよりも、たくさんのモノが作れるという利点があります。経済学の始祖アダム・スミスが、分業の利益と呼んだものです。その一方で分業体制では、どこかに問題が起きると、自給自足の経済では、絶対に起きなかったような事態が生じるのです。ということは、分業体制では、部分だけを見て物事を判断してはだめだということなのです。 |
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部分というのは、例えば、自分の利益ですか。 |
黒坂 |
そうですね。分業体制というのは、そこに組み込まれている人々全員の暮らしが円滑に行われることが前提ですから、一部に問題があると結局共倒れになってしまう可能性があるのです。 |
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需要が多いならもっと供給すればよいということですね。 |
黒坂 |
アダム・スミスの主張は、値段が上がれば何かが足りない証拠だし、下がっていれば何かが余っている証拠で、それに応じてモノの供給や需要が変わることで、需給が一致して、暮らしが円滑に進み、分業体制であってもモノの値段に従って各人が行動すれば、自給自足と同じ結果がもたらされる、というものです。 |
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現実的には、私達は部分である自分の利益を優先しがちですね。歴史的にもそうした個々人の気持ちが起こした経済的な出来事があるように思います。 |
黒坂 |
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そんな仕組みが分かっていたなら、そうした歴史の場面でも手の打ちようもあったのでは、という気もしますが…。 |
黒坂 |
そう分かったからといって、例えば「株価が異常な値上がりをしているバブルの局面で株を買って資産を増やすことなど、日本経済のためにしない」と言う奇特な人が果たしてどれくらいいるでしょう?(笑)。宝くじを買って「皆は外れても、私は絶対に当たる」と思うのと同じことなのです。 |
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理論的には分かっていても、人間が関わっているが故に簡単な話ではないのでしょうね。 |
黒坂 |
経済学は、普通に考えれば当たり前のことしか言っていないのですが、その当たり前のことが理解されないという点では、コペルニクスの地動説のようなものです。皆、自分が置かれている部分からしか世の中を見ないから、全体が分からないのではないでしょうか。日々生活に追われる中では、どうしたって、自分の観点でしか物を見なくなるものではありますが、地球から太陽を見ていても、回っているのは地球だと言えるかどうかが大事なのです。我々みたいに、毎日の生活でこういうことを考えるような職業だったら、おのずとそういう見方しかできませんが(笑)。 |
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こうしてお話を伺うと、「経済=お金儲け」とはまったく違いますね(苦笑)。 |
黒坂 |
先にも触れましたが、我々一人一人にとって衣食住のレベルが平均的に上がるということが、経済の観点からは大切なのです。 |
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今、お話いただいたのは、経済学の基礎の基礎ですね。 |
黒坂 |
ええ。経済学者も一枚岩ではありません。アダム・スミスの理論に拠っている人は「バラバラにやれば、市場がうまく経済を動かしてくれる」というところにこだわっているし、けれども、それではうまくいかないこともあるから、例えば政府がある程度コントロールした方がいいという考えもあります。そうやって、経済学者の中でも、政府などが関与する度合いと、経済活動の自由度については対立がありますし、その線の引き具合は非常に難しい問題です。 |
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規制緩和と言われているようなことですね。 |
黒坂 |
記憶に新しい経済的な出来事としてリーマン・ショックがあります。非常に影響が大きかったのですが、リーマン・ショック以前の20年間は、「大いなる安定期」とよばれる、経済的にも良い状態でしたので、自由に経済活動をしようという考えが主流でした。そこで金融業界が作り出してしまったのがサブプライムローンというものです。 |
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本来、返済の難しい人達に住宅ローンを貸し出してしまったということだったと認識しています。 |
黒坂 |
詳細の仕組みは省略しますが、そこでは住宅価格が常に右肩上がりで上昇するという想定があったのです。その仕組み、貸している側はもちろん分かっていましたが、それがどれ程の問題を引き起こすかということに対して、警戒心はありませんでした。しかも借り入れをしている側は本当の仕組みを知らずにいました。経済用語ではこれを情報の非対称性と言いますが、こうして経済活動を自由にすることで、問題を起こす集団も現れ、世の中全体がひっくり返るようなことになりました。だから規制が必要だということになるのです。 |
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倫理的な問題もさることながら、論理的にも、経済という仕組みの中で、どこかが突出すると結局、全体が破綻するということなのですね。 |
黒坂 |
2010年にギリシャの財務危機が表面化して、ユーロ経済は大きく影響を受けました。その時、ギリシャの国債を銀行が多く保有していたドイツでは、国民の間で「ギリシャはけしからん」という声がありましたが、他方ではそうやって国債を売って得たお金でギリシャの人々はドイツ製品をたくさん買っていたのです。そのおかげで、ドイツの景気も良くなったという一面も忘れてはいけません。 |
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つまり、私たち…ということですね。伺うほどに、経済活動というのはそれぞれがつながっています。 |
黒坂 |
そうです。経済では、常に相手がいるということを考えなければいけません。自分がやっていることに対して、必ず相手がいるのです。「売る」ということは、それを「買う」人がいるということですし、「貸す」ということは、それを「借りる」人がいるということ。「売り」と「買い」、「貸し」と「借り」、それがロビンソン・クルーソーのように自給自足で生活を切り盛りしている状態になれるかがポイントなのです。ただ、今の我々は、必ずしもそうはなっていません。経済というのは、無理をするとどこかで破綻します。たとえ自分がいくら良いことをやっていると思っていても、相手にとっては大きな迷惑になっているかもしれないわけですから(苦笑)、自分で自分を振り返るという姿勢が必要なのです。だから、今、こうしてお話していることも、「そうなのか?」と疑ってみてください。経済を知る、学ぶ利点の一つは、自分で考える習慣がつくこと。さらに付け加えると、経済学者にだまされないように聞かないといけないですよ(笑)。 |
黒坂佳央(くろさか・よしおう)
1949年兵庫県生まれ。73年兵庫県立神戸商科大学(兵庫県立大学に改組)商経学部経済学科卒業。75年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。同年米国ロチェスター大学大学院留学。80年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。武蔵大学経済学部専任講師、助教授を経て88年に武蔵大学経済学部教授、現在に至る。 専門はマクロ経済学。
●取材後記
経済というものについて誤解していた、小学生でこんなお話が聴けていたら(いや、聴いたかもしれませんが)、と申し上げると「小学生で聴いても、ピンとこないかもしれませんね。社会的な経験があって、分かることもありますから」とのこと。確かに「皆が幸せになること」なんて発想はなかった。けっこうな経験を積んでその発想を少し持てるようになった今は、経済をきちんと理解した気持ちがますます募ってきた。