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プロダクトアウトからマーケットインへ

1971年、発売当初の「ムヒL」。後に商品名を「液体ムヒ」と改称することで年間600万本を売る主力商品に成長

その後、「ムヒ」は沖縄や東南アジアへ販路を広げる。1962(昭和37)年には、「無比膏(MOPIKO)」というブランド名で香港へ輸出を開始。「無比膏」はコピー商品も出回るほどの売れ行きとなった。
一方、国内では、他社から液体の虫刺され薬が発売され、「ムヒ」の売り上げが鈍化し始める。池田模範堂も液体タイプの「ムヒL」を発売したものの、反応が思わしくない。LはLiquid(液体)の頭文字なのだが、これが分かりにくかった。商品名を「液体ムヒ」と改称するとともに、広告量を増やしたり、明確に差別化するために処方を強化した結果、今や虫刺され薬を代表する商品となったが、発売当初は苦戦を強いられたのだ。次いで、1973(昭和48)年に日本初の子ども用かゆみ止め「ムヒ・ベビー」を発売し、「ムヒ」は3アイテムでの展開となった。

日本で初めて薬に有名キャラクターを採用。子どもが薬を嫌がらないから親もラク!現在も約6割※のシェアを誇る

「ムヒ」シリーズは安定的に売れているが、売り上げは夏場が中心で、秋冬に売るものがない。昭和40~50年代、経営の多角化は、まったなしの課題となっていた。同社は、果樹園を作りジャムやジュースを製造したり、介護用品やサプリメントの分野に進出するなど、新規事業の可能性を懸命に探る。これらの中には一時爆発的に売れた「カルシウムウエハース」といった商品もあったが、多くは撤退を余儀なくされた。また、研究所では医療用新薬の研究が行われていたが、新薬開発には長い年月と膨大な投資が必要で、簡単に結果が出るものではない。

多角化も研究開発も行き詰まり状態の中、飛躍へのヒントは意外なところにあった。それが、アンパンマンのキャラクターを用いた「ムヒパッチ」だ。当時、研究所長であった池田嘉重は、自身の孫がアンパンマンに夢中になっているのを見て、このキャラクターを生かすことができないかと考えた。

生後1カ月から使えるので、あせもやおむつのかぶれにも重宝する。発売当初の「ムヒ・ベビー」

パッチ剤そのものは他社の先発品があったのだが、1990(平成2)年、アンパンマンを採用した「ムヒパッチ」を新発売するやいなや、生産が追い付かず、品切れになってしまうほどの大ヒット商品になった。薬が嫌いな子どもと早く治してあげたい親。大ヒットの背景には、アンパンマンによって子どもが虫刺され薬を受け入れやすくなったことがある。

1962年からテレビCMを開始。写真は、1987年から3年続いた「甲子園編」。広告重視も創業来の伝統といえる

この成功は、同社に利益以上の効果をもたらした。それが、社員の開発姿勢がマーケットインに変わったことだ。それまでは、「薬はとにかく効けばいい」というプロダクトアウトの考えが主流で、パッケージも商品名を大きく表示しただけの、まったく工夫されていないデザインだった。
薬局でアンパンマンの「ムヒパッチ」を喜んで買い求める親子連れを見た開発スタッフは、「消費者が何を求めているのか」を真剣に考えるようになったという。

  • ※(株)インテージSDI 皮膚用薬(除殺菌)市場 貼り薬ー(旧薬効)皮膚薬 2014年4月~8月 数量シェア

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