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ニッポン・ロングセラー考
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「くもん、いくもん!」。子どもをもつ親でなくとも、一度は耳にしたことがあるだろうこのフレーズ。現在49の国と地域で展開する、株式会社公文教育研究会の「公文式」だ。子ども向けの学習法で、世界における全教科合計学習者数はなんと428万人。一人の父親が息子のためにつくった計算問題教材から生まれた「公文式」が海を越え世界共通語となった背景には、独自に進化させてきた教材や仕組みにあった。

はじまりは息子のための手づくりの学習教材

公文公(くもん・とおる)氏

創始者の公文公(くもん・とおる)氏(1914-1995年)。高校の数学教師を長年務めた公文氏は数学教育と同時に、読書教育も大切にしていた。

公文教室の子供たち

世界の教室で子どもたちが取り組む教材の原点は、公文公氏が息子のために手づくりした計算問題教材だ。

日本では抜群の知名度を誇る「公文式」こと、公文式学習法。1954(昭和29)年、当時高校の数学教師をしていた公文公(くもん・とおる)氏によって生み出されたもので、問題の解き方を教わるのではなく、自分の力と自分のペースで教材を解き進めていく、自学自習スタイルが大きな特徴だ。

1955(昭和30)年、大阪・守口市に公文式教材を使った初の算数・数学教室を開設。そこから60年経ったいま、「公文式」は世界49の国と地域で展開され、算数・数学、国語、英語など全教科の合計学習者数は428万人に上る。少子高齢化で伸び悩む教育ビジネスにおいて、“KUMON”の名で海を越えて親しまれ、学習者を増やし続ける「公文式」の強みに迫る。

「公文式」の始まりは、創始者・公文公氏が息子・毅さんのために手づくりしたルーズリーフの計算問題教材だ。いつもは得意な算数のテストで、たまたま芳しくない点数をとった息子の答案用紙を見つけた母親からの相談がきっかけだった。高校の数学教師だった公文氏は、計算力がないために多くの高校生が数学の勉強で苦しんでいることを知っていた。そこで、計算力に的を絞り、さらに「子どもが自主的に学習していく姿勢を育てることが教育者の務めである」という自身の考えを反映させ、小学2年生の毅さんが毎日無理なく続けることができるよう工夫された教材を手づくりする。父親がつくった計算問題に毎日30分取り組んだ毅さんは、なんと小学6年生になるころには微分・積分の問題が解けるほどの力をつけていた。

普通の親であれば「うちの子どもはよくできる」で終わるかもしれないが、公文氏は違った。「自分の息子ができたのだから、ほかの子どもたちの役にも立つはずだ」ーー。そう考えて近所の子どもたちを集め、同じ手づくりの教材を使った算数・数学教室を開設する。1958(昭和33)年にはもっと多くの子どもたちの可能性を伸ばしたいという思いから大阪数学研究会を創立、1962(昭和37)年には東京都新宿区にも教室を開設するなど、全国的に広がりを見せ始める。

49の国と地域で展開

ヨーロッパ、北米、南米、アジア、アフリカ、オセアニア…49の国と地域で展開する。

「公文式という勉強法で、子ども(の学力)が伸びたらしい」という口コミでじわじわと学習者数を増やしていった「公文式」は、70年代を迎えるころには学習者数1万人を突破する。さらに、1974(昭和49)年にはその名を全国区に知らしめる、ある出来事が起こる。創始者である公文氏自らがその学習法を紐といた初の著書『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)のヒットだ。初めて世に紹介された「公文式」の具体的な指導法や学習効果は大きな反響を呼び、問い合わせが殺到、同書が出版された3年後には学習者数は20倍の20万人、5年後にはさらにその倍を超える50万人を突破する。

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