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ニッポン・ロングセラー考
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緑茶飲料という新しいカテゴリーを創造

伊藤園を業界トップに押し上げる一因となった、真空処理・二重包装のパック茶(1972年発売)

千三つ、という言葉をご存じだろうか? 飲料業界でよくいわれるのだが、千の商品を開発しても生き残るのはわずか三つという意味だ。数多くの商品が消えていく中で、清涼飲料水全ブランドで第2位、緑茶飲料では発売以来シェアNo.1をキープしているのが、株式会社伊藤園の「お~いお茶」だ。
伊藤園の設立は1966(昭和41)年。緑茶メーカーとしては後発だったが、業界初の茶葉の真空パックを開発し、急成長を遂げる。しかし、1970年代に入り食の洋風化・飲料の多様化が進むと、急須で入れる緑茶市場は急速に縮小。このまま手をこまねいていれば、斜陽産業になってしまう。危機感を募らせた副社長・本庄八郎(現会長)は、コーラやコーヒーと同じように、屋外でも飲める缶入り緑茶の開発を決意する。

1985年、急須で入れたお茶の色と香りを実現した「缶入り煎茶」を発売

缶入り緑茶……、これはお茶の文化に革命を起こすことになる! そう意気込んで開発をスタートしたものの、試作品第1号は、緑茶とは似ても似つかぬ、焼き芋のような香りのする茶色い液体だった。緑茶は極めてデリケートな素材。酸素と熱に弱く、すぐに色や香りが変わってしまう。
変色や香りの変質と闘うこと10年、約1000通りの試作を重ねた結果、缶にフタをする直前に窒素を噴きかけてお茶の大敵・酸素を除去する「T-N(ティー・ナチュラル)ブロー製法」を開発。1985(昭和60)年、やっとの思いで「缶入り煎茶(せんちゃ)」の発売にこぎ着けた。

「お~いお茶」という商品名のヒントとなった、新国劇の俳優・島田正吾氏を起用したテレビCM

伊藤園の社運をかけて臨んだ「缶入り煎茶」だったが、取り扱ってくれる販売店が思うように増えない。「お茶はタダ、100円も出して買う人はいない」「甘くない飲料なんて売れないよ」。当時、お金を出してお茶を買う習慣はなく、発売から4年経っても売れ行きは思わしくなかった。
さらに、「これ、何て読むの? まえ茶?」という声まで聞こえてきた。茶業界では当たり前の「煎茶」だが、ターゲットとしていた若者は読めなかったのだ。商品名をどうするか……、連日の会議の中、テレビから聞こえてきたのが、自社の茶葉のテレビCM「お~いお茶」というフレーズ。これだ!

1989年、商品名とともにパッケージも一新して発売した「お~いお茶」

1989(平成元)年に発売した「お~いお茶」は、ルートセールスの強みを生かし弁当と一緒に販売するという売り方を提案したことで、取り扱い店舗が拡大。売り上げも前年の約3倍、40億円に達した。緑茶飲料という新しいカテゴリーの誕生である。

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