COMWARE PLUS プラス・サムシングを大切なお客さまへ

社長対談
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当コーナーは、NTTコムウェアのお客さまをゲストにお迎えし、お客さまの事業動向をお聞かせいただくとともに、当社への期待などもお伺いしていきます。今回は、株式会社NTTぷらら代表取締役社長の板東 浩二氏に、お話を伺いました。(本文中敬称略)

新事業へのチャレンジ精神を常に重視し
刻々と変化するITニーズに応える
得意分野でナンバーワンを獲得し、ブランド構築を推進

海野:板東社長は現在インターネット業界の中心におられますが、これまでのご経歴をお聞かせいただけますか。
板東:1977年に電電公社(現NTT)へ入社してから約10年間、主に電話交換機の設計や導入、保守などを手がけてきました。当時はちょうど交換機がアナログからデジタルへと替わる時期でしたが、1983年に島根県で大規模な水害が発生した時には水没した交換局の復旧に携わり、そこで導入したのが日本最後のアナログ交換機だったことは感慨深く記憶しています。その後は長距離事業本部などを経て、1995年マルチメディアビジネス開発部に異動しました。
海野:マルチメディアビジネスとは、どのようなものだったのですか。
板東:その頃NTTでは大容量のネットワークを構築し、新しいサービスを展開するという壮大な実験をしており、私はその中で実験用ATM(非同期転送モード)ネットワークを担当していました。当時のミッションは「電話に代わる新しいビジネス領域を切り開く」というもので、これは現在まで続くこととなりました。

「ぷらら」ブランド構築の歩み

海野:御社はISP(インターネットサービスプロバイダー)という印象があるのですが、ご就任までの経緯をお聞かせください。
板東:当社はエレクトロニックコマース(EC)ビジネスを行うための合弁会社として設立されました。当時のECビジネスはまだ発展途上で、商品を選ぶ際にもダイヤルアップで課金されてしまうような状況でした。そのため、インターネット接続のサービスも併せて行うことにしたのです。初めてのことなので会社の運営は難しく、私が社長に就任した設立3年後の1998年には37億円近い損失が出ていました。
海野:大変厳しい状況の中で行かれたわけですね。
板東:就任後しばらくしたら、今度は「債務超過状態だから会社を清算するように」と言われました。さすがに少し腹が立ちましたが、なんとか頑張って翌年には単年度黒字にすることができました。当時の売り上げはほとんどがインターネット接続料だったので、事業の中心をプロバイダーに変更したのです。当然、NTTをはじめ共同出資した企業からは、競合となる場合もあり懸念されましたが、会社が危機を迎えているのだからと言って押し切りました。

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