当コーナーは、NTTコムウェアのお客さまをゲストにお迎えし、お客さまの事業動向をお聞かせいただくとともに、当社への期待などもお伺いしていきます。今回は、能楽師の観世喜正氏に、お話を伺いました。(本文中敬称略)
観て、聴いて、楽しみ、そして習う
古来の伝統を受け継ぐ「能の世界」をさらに発展させる
伝統文化の中に新たな革新を
海野:伝統芸能の世界にお生まれになっただけに、幼少のころから能というものを意識されていたと思います。初めてのお稽古や初舞台の思い出として、印象深く残っていらっしゃることはおありでしょうか。
観世:初舞台は、2歳半のときでした。略式の上演形態である「仕舞(しまい)」という形での舞台でした。演目名は『老松』です。「老いた松」と書くだけあって、本来は老人が主役の曲なのですが、子どもの初舞台にもよく上演されます。めでたい内容であることと、後半部分が舞台をぐるりと1周するくらいの短い所作で済むためです。ただ私も、その舞台はまったく記憶にございません。それどころか、稽古したことすら覚えていません。それなのに、なぜ初舞台の演目がわかるのかというと、小学校に入学したばかりのころ、姉たちがこのときの写真を見せてくれたからです。子ども用の黄色い裃を着て舞台に立つ幼い私と、その背後から介添えをするように見守っている父と祖父が写っていました。そのときの私の謡を録音したカセットテープも聞かせてもらいました。子どもですから、「ちゃちしゅちぇちょ」みたいに、舌がうまく回っていない謡でしたね。残念ながら、そのカセットテープはいつの間にか紛失してしまいましたが。
伝統芸能の世界の人材育成術
海野:きっとお客さまも拍手喝采だったことでしょうね。今でも覚えていらっしゃる最初の稽古はどんなことをされたのでしょう。
観世:幼稚園だと思います。稽古の前には、必ず指をついて、「お願いいたします」、終わったあとは「ありがとうございました」と、挨拶をするように指導されたことをよく覚えています。教えてくれたのは父ですが、子どもの目から見ても「甘い」と思えるほど優しい性格でした。ときどき、伝統芸能の家庭を描いたドキュメンタリーやドラマなどで、子どもが泣きだすほど厳しく指導するシーンを目にしますが、そういうことはまったくありません。私のやる気がなくなったら、そこでその日の稽古はおしまいです。そもそも無理強いしたせいで子どもが「嫌だ、出ない」と言い出せば、舞台が成立しなくなってしまいます。上手い下手は後回しにして、まずはきちんと舞台をやりおおせるための稽古という意味では、私にあっていたように思います。今、私は6歳の娘を指導する立場になりましたが、父から受けた教え方を踏襲しているかというと、そうでもありません。娘は気が強い性格なので、「駄目じゃないか」と指摘すると闘志に火がついて、「頑張りたいのでもうちょっと練習する」と言ってきます。私の子どものころに受けた緩い稽古とはぜんぜん違います。
海野:企業人の立場から申し上げると、相手の性格に合わせて指導法を変えるというのは、上司が部下を育成するときにも通じるところがあると思います。
観世:子ども自身が「もうちょっと上手にやりたい」と思っているのなら、レベルの高いことを教えます。でも、「特にやりたいわけではない」「長くて嫌だな」などと思っているときには、その思いを打ち消してあげることが何より大切です。能の舞台で子どもが演じるのは、ピョンピョン飛び跳ねたり、チャンバラで活躍したりするような楽しい役ばかりではありません。1時間ずっと座りっぱなしの役もあります。そういう役でも舞台で最後までまっとうできるようにするには、“鞭”だけでは無理です。ときには“あめ”も与えてあげないと。必要に応じて使い分けをしています。
新たなファン層の開拓に尽力する
海野:職業として能の道を選択すると決心されたのは、いつごろでしょうか。
観世:大学4年生のときです。4年生になった途端に友人たちはみんな就職活動に忙しくなり、学校に行っても友人がいなくてつまらない。かといって自分も友人たちと一緒に、企業に面接に行くかといえば、そんな気も起こらない。「では、これからどうするんだ」と考えたときに、「自分は能の道で生きていく」と再認識しました。子どものころから漠然と思い描いていた将来像が、このときはっきりと形づくられたというわけです。
海野:平成5年に大学を卒業していらっしゃいますが、昔と違って伝統芸能の家でも、お子さまを大学に通わせるところが増えていますね。
観世:大学に通わせてもらったことは、本当に感謝しています。おかげで世界が広がりました。高校生のころは、「同世代には能に興味を持っている人なんかいない」と勝手に思い込んでいましたが、多様なバックボーンをもつ友人たちと話しているなかで、実際には伝統芸能に関心を持つ若者も少なくはないし、外国からも注目されていることに気づくこともできました。