価値観の転換が生んだキティ・ブーム
「ハローキティ」と時を同じくして誕生したのが「パティ&ジミー」で、1975(昭和50)年には「キキララ」の愛称で知られる「リトルツインスターズ」、そして、「マイメロディ」が登場。70年代後半は「ハローキティ」だけでなく、さまざまなキャラクターが生まれ、花開いた時代だった。そして、その多くは今なお愛され続ける長寿キャラクターへと成長していった。
しかしながら、80年代に入る頃には少女たちを夢中にさせたキャラクター人気もひと段落し、「ハローキティ」においても次なる一手が求められていた。そこで、当時から現在に至るまで「ハローキティ」の3代目デザイナーとして活躍する山口裕子氏は、同社が運営する直営ショップに足を運ぶ。そして、「ハローキティ」の印象について、お客さまに直接ヒアリングしたのだ。
1990(平成2)年には東京都多摩市にテーマパーク「サンリオピューロランド」がオープンする(写真は現在のもの)。
「黒い線で描かれたキティの輪郭が冷たい感じがする」「服がいつも同じでつまらない」…など、山口氏の耳に届いたのは、リアルな声の数々だった。山口氏は意を決し、固定だった頭身のバランスを崩すなど、「ハローキティ」のデザインにおいて「変えてはいけないと思われていたこと」を変えていく。そこから、黒い線による輪郭のないぬいぐるみのような質感のキティや、その時代のトレンドを反映したファッションを身にまとうキティなど、さまざまなバリエーションが生まれていく。
1999(平成11)年にはキティのボーイフレンド、ダニエル・スターが登場。アイドルやスターが恋人の存在を公言するようになった時代の変化を、キャラクターに反映させた。
そして、90年代半ば、「ハローキティ」にとっての大きな転換期が訪れる。当時、トレンドセッターとして世の中を席巻していた“コギャル”と呼ばれる10代の女子高生たちの間で「ハローキティ」がブームになったのだ。同社は1995(平成7)年に登場したプリントシール機の人気をいち早くキャッチし、サンリオキャラクター版を直営ショップに設置。それが瞬く間に話題となり、プリントシール機目当ての女子高生がサンリオショップに行列、幼少期に一旦サンリオキャラクターを卒業した彼女たちを再び「キティちゃん」に向かわせたのだ。
キティちゃんはLINEのスタンプにも登場。
さらに、当時“コギャル”の憧れだった「朋ちゃん」こと華原朋美が、「わたしはキティちゃんとプラダが好き」とメディアで発言したことも追い風となる。ハイブランドと同列に語られる「ハローキティ」は、もはや女児向けのキャラクターではなくなり、大人がキャラクターグッズを持ってもOKという新しい価値観が生まれた瞬間だった。同社はすぐさま大人向け「ハローキティ」グッズを仕掛け、「ハローキティ」ブームが巻き起こる。
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