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ニッポン・ロングセラー考
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誕生から46年目を迎える「ジャポニカ学習帳」。そのロングセラーの秘訣は、いかなる時でも原点に立ち返って自らのスタイルを貫くことと、他社との共同開発で時代の空気を巧みに取り入れること、それらを両立させたところにある。

プレミアムな学習帳で市場を牽引する存在に

「ジャポニカ学習帳」の前身である「エリート学習帳」。当時、主流だったイラスト表紙のA5判(1967年発売)

「ジャポニカ学習帳」の前身である「エリート学習帳」。当時、主流だったイラスト表紙のA5判(1967年発売)

誰もが子どもの頃、一度は使ったことのあるノート、それがショウワノート株式会社の「ジャポニカ学習帳」だ。グリーンのフレームに配された植物の写真の表紙が目印で、そのデザインはノートの分野において初の立体商標となった。現在、学習帳市場でシェア率40~50%を誇る学習帳のトップブランドで、1970(昭和45)年の発売から累計販売数は12億冊を超える。
1947(昭和22)年、昭和紙工株式会社として富山県高岡市で創業したショウワノートは、もともとは封筒や便箋など紙製品を製造していた。その後、1957(昭和32)年の東京営業所開設を機に、「ジャポニカ学習帳」の前身である「エリート学習帳」を開発・販売し、学習帳の市場に参入。しかしながら、当時の市場は20以上の学習帳メーカーがひしめく激戦区で、最後発かつ、まだその名が知られていない富山のメーカーは苦戦を強いられた。
社内では、「他社と同じものをつくっていては生き残れない、誰もつくったことのない“新しい学習帳”をつくらなくては」と、策を練る日々が続いたという。

1970年に発売された初代「ジャポニカ学習帳」(A5判/50円)。金箔押しのロゴとカラー写真を使った表紙でプレミアム感を演出

1970年に発売された初代「ジャポニカ学習帳」(A5判/50円)。金箔押しのロゴとカラー写真を使った表紙でプレミアム感を演出

そこで目を付けたのが、百科事典だった。1960年代から70年代にかけて出版業界は「国民百科事典」(平凡社)や「日本百科大事典」(小学館)といった百科事典が次々出版され、空前のブーム。世の中の知りたいことすべてが詰まっている百科事典はお茶の間の憧れであり、ステータスシンボルの1つになっていた。キャラクター文房具をつくっていた関係で付き合いのあった小学館で当時人気を博していた「大日本百科事典ジャポニカ」、その要素を普段子どもたちが使う学習帳に取り入れたら喜ばれるのではないか。そして、1970(昭和45)年「ジャポニカ学習帳」が誕生した。

金箔押しのロゴに、「大日本百科事典ジャポニカ」に収録されたカラー写真を配した美しい表紙。付録として百科事典の内容を盛り込み、価格も、当時1冊30円が主流だった学習帳を20円高い50円に設定した。百科事典が持つプレミアム感と、子どもの教育にお金をかけつつあった当時の風潮を反映させた。だが、当初、知名度の低いメーカーがつくった高級な学習帳は、まったくといっていいほど売れなかった。多額の資金を投入し、社運をかけて立ち上げた新規ブランドだっただけに後戻りはできない。商品に自信はあるのだから、あとは知ってもらうしかない。残された資金すべてを投じた先は、テレビコマーシャルだった。

富山県高岡市に位置する本社の壁面には、ショウワノートの“顔”である「ジャポニカ学習帳」の看板が掲げられている

富山県高岡市に位置する本社の壁面には、ショウワノートの“顔”である「ジャポニカ学習帳」の看板が掲げられている

とはいえ、いわゆるゴールデンタイムの枠をおさえられるほどの予算はなく、CMを流すことができたのは昼の時間帯。しかし、逆にそれが功を奏した。昼ドラを見ながら昼食をとる町の文房具店の店主やその奥様たちに、今までの学習帳とは違う「ジャポニカ学習帳」のCMは大きなインパクトを与えたのだ。そこから一気に知名度がアップ、「学習帳はジャポニカで」と文房具店から問屋に指名が入るようになった。10アイテム前後あったラインアップはあっという間に倍になり、売り上げも急伸した。

次ページ スタイルを貫くことでブランドを強化

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