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ニッポン・ロングセラー考
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明治5年の創業から「日本人の足に合う靴づくり」を目指し、履き心地の良さを追求してきた老舗シューメーカーの大塚製靴。素材や技術の進化以上に、靴づくりにおいては要となる“手業の経験” を武器に、「職人技が体感できる靴」や「ここでしか買えない靴」といった時代にフィットした新しい価値づくりに挑む。

日本の西洋靴文化を牽引した大塚商店

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大塚岩次郎氏が大塚商店を創業したのは、わずか14歳の時だった。

2017年10月期放送のドラマでは、日曜劇場『陸王』(池井戸潤原作、TBS系)でキャスト陣が着用するビジネスシューズのほか計5本の作品に靴を提供し、日本メンズファッション協会が主催するベストドレッサー賞ではその靴が賞品として受賞者に贈られるほど信頼の厚いシューメーカー・大塚製靴株式会社。新橋(東京)〜横浜間に初の鉄道が開通した1872(明治5)年に創業した。明治維新後の急速に西欧化が進む日本において、当時はまだ珍しかった西洋靴の普及に大きく貢献した老舗だ。同社はその長い歴史のなかで一貫して「日本人の足に合う靴づくり」を目指してきた。日本人の足と向き合い、ともに歩んできた結果、熟練した職人の手業が生む品質の高さはもちろん、ブランドに対する信頼・安心感を獲得。ライバルの多いビジネスシューズ市場において1世紀半もの間、存在感を発揮し続ける大塚製靴の歩みを辿る。

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20世紀初頭に大塚商店で製造・販売された紳士用のボタンブーツ。

大塚製靴の創業者である大塚岩次郎氏が東京・新橋に大塚商店を開店したのは文明開化真っただ中の明治5(1872)年。当時はまだ珍しかった西洋靴が将来的に必ず日本人の生活必需品になると考え、開店後も国内屈指の技術で知られていた靴工場「伊勢勝製靴場」に通って靴づくりを調査・研究。「靴師」と名乗るまでにその腕を磨き、手縫いによる革靴の製造販売をスタートする。さらには世界に先駆けて、革靴のつま先部分を保護するための「先芯」の前身となる「鼻まくり芯」を考案するまでに至った。
その努力が実を結び、創業から10年経つ頃には、明治天皇の御靴製作を拝命する。きっかけは靴の修理のために来店した一人の男性客だった。彼が履いていたイギリス製の靴に魅了された岩次郎氏は、つくり直すことを条件にその靴を分解させてもらえないかと願い出たのだ。男性は、最初こそ「大切な靴だから」とその申し出を断ったものの、岩次郎氏の熱意に負けて承諾する。数日後、男性の元に届けられた、岩次郎氏が見よう見まねで一からつくり直したという靴はイギリス製のものに勝るとも劣らない見事な出来栄えで、男性はその腕を大絶賛。実はこの男性、派遣先のイギリスから帰国したばかりの宮内書記官・長崎省吾氏だった。これが縁となり、大塚商店はその後、宮内庁御用達の看板を掲げることとなる。

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靴箱のラベルには欧米の博覧会で受賞したメダルが印刷されている。

明治20(1887)年前後のいわゆる“鹿鳴館時代”には、大塚商店で靴をオーダーすることが皇族・華族のみならず、鹿鳴館に出入りする外国使臣らのステータスとなっていた。そして1889(明治22)年、フランスで開催されたパリ万国博覧会に岩次郎氏がつくった靴が出品され、銀牌を受賞。創業から20年を待たず大塚商店は世界のシューメーカーと肩を並べるまでに成長したのである。その頃、日本は日清戦争に突入する。

次ページ 製靴機械導入により伝統の手仕事と近代化が融合

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