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賢いはたらき方のススメ
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NHK連続テレビ小説『エール』、『にじいろカルテ』や『バイプレイヤーズ 名脇役の森の100日間』など、多くの作品に出演している、俳優の光石研さん。1979年、16歳の時に、映画『博多っ子純情』の主役としてデビューし、役者人生44年目を迎える。現在では優しい父親からコワモテの組織幹部、少し頼りないデザイナーまで役柄は幅広く、名バイプレイヤーとしてドラマや映画に欠かせない存在だ。「要求にぶれることなくこたえられる職人」が目指すべき役者、でも自分はまだそうではないと、自然体のかっこよさを貫ける光石さんに、厳しい世界で長年にわたり活躍し続け、求められる存在となる秘訣について伺った。

撮影現場の楽しさにはまった16歳、趣味を捨てた30代。

写真:光石研さん

―映画『博多っ子純情』がデビューですね。俳優を目指すきっかけは?

光石:地元福岡で人気のあったマンガが映画化されるときに、出演者を募集していたんです。それに同級生3人で応募して、僕ともう一人が受かったんです。高校2年生でした。1か月間泊まり込みのその撮影現場が楽しくて、俳優になる前に映画撮影の現場の楽しさを体感し、俳優を目指すというよりも、こういう現場にいたいという思いが強かったですね。

―上京して本格的に俳優活動を始められたのですね。

光石:映画に出たことで、事務所への誘いやCMのお話をいただいたこともあって上京しました。親との約束で大学には通ったのですが、本音では行く気もなく俳優になることしか頭になかったんです。今だから言えることですね。20代は独り身ですし、お金がなくても生活はできました。バブルがはじけた頃、ちょうど30代になり、仕事も過渡期でしたね。

―壁にぶつかったということでしょうか。

光石:これはどんな仕事でもあると思うのですが、30代はちょうど仕事を覚えて、一端の気になって偉そうに文句を言ってしまったり、誰にでもある時期ですよね。30代前半は仕事がなかったです。

―仕事がない時期を乗り越えたきっかけは何だと思いますか。

光石:実は全く仕事がない頃は、趣味をたくさん持っていました。野球やサッカーをやったり、イラストを描いたり、書や篆刻もやっていました。でも、こうした趣味は成功した俳優がやるものだと思いなおし、30代半ばに趣味をすべて捨てたんです。全神経を俳優に注ごうと。

ずっと俳優しかやってこなかったですし、映画の楽しさを知って、その中でやっていきたい、高校2年生の時の思いを味わいたいという思いが強く、自信があるわけではないのに、どうにかなるだろうとは思っていました。家族がその働き方を理解してくれたのも大きかったと思います。

A面よりもB面が好み。へそ曲がりがバイプレイヤーに通じた?

写真:光石研さん

―光石さんにとってバイプレイヤーとはどういうことでしょうか。こだわりはありますか。

光石:若い頃から絶対に主役とは思っていませんでした。子供の頃から、音楽でもA面よりもB面が好き。みんながプロ野球のジャイアンツや阪神を応援しているときに、近鉄が好きなど、へそ曲がりなところがありました。ラグビーでなら、センターフォワードよりもハーフポジションがいい。でもバックスではないというところです(笑)。居心地がいい場所でしょうか。

―光石さんの作品の中には、自然体に感じる役が多いですね。

光石:そうかもしれません。どこまで演じているのか、どこまで自然体なのかという“キワ”がものすごく面白くて、役者として好きなのかもしれません。
あとは、劇団で演劇の教養を身に着けたり、勉強した人に比べて、演技の勉強をしていないのがコンプレックスでもあり、僕の武器でもあると思います。
監督によって、シリアスな怖い役やコミカルな役など両極端なオーダーがきます。それは僕をいろいろな見方でしてくれるからですよね。うれしい悲鳴です。

―理想とする俳優はいますか。

光石:成田三樹夫さんでしょうか。高校生の時に根津甚八さんが主役の映画『その後の仁義なき戦い』(工藤栄一監督)を見ました。映画の中で、根津さん扮する若い衆に、成田三樹夫さん扮する任侠者がヒットマンにと口説くセリフがあるんです。そのセリフが良くて、僕もこう言われたらヒットマンになるなと思ったんですね。成田さんのような脇役の俳優が好きでした。当時、ピラニア軍団という、脇役を務める俳優の集団も好きでした。やはりB面好きですね。

大杉漣さんがつないだ“バイプレイヤーズ”の”元祖バイプレ”

―テレビ東京の人気ドラマ『バイプレイヤーズ』は、名脇役として活躍されている俳優が主役のドラマですが、そのお話が来たときはどのように感じられましたか。

写真:光石研さん

光石: 『バイプレイヤーズ』は、元をたどると15年前にさかのぼります。当時、大杉漣さんはじめ、田口トモロヲさん、遠藤憲一さん、寺島進さん、松重豊さん、脇で頑張っている俳優を週刊誌が取り上げてくれることになり、その後映画祭が開催されました。その時に大杉さんが、「せっかくこうして集まったのだからこのメンバーで何かやりたいね」と。
それから15年を経て大杉さんから電話で「何かできるみたいだよ」とお話をいただいて、そのあと別の現場でお会いしたときに、「やれるらしいよ」と。そして実現したのが『バイプレイヤーズ』なんです。

―大杉漣さんのお話から始まったのですね。

光石:そうですね。おじさんたちがわちゃわちゃとにぎやかな設定になって、話のストーリーよりも最後は飲み会の場面で締めたりと、大杉さんとみんなで意見を出し合って作っていきました。

―4月に映画版が上映されます。ドラマで3シリーズ、ついには今回の映画まで続くのは素晴らしいですね。

光石:残された僕ら4人にとって、『バイプレイヤーズ』は大杉漣さんありきのものでした。ですから大杉さんが亡くなってしまった今、続編はできないと思っていたんです。ただし、4人そろって今までとは違う形の設定になるならいいのではと。4人そろうならやらしてくださいとお伝えしました。 そして出来上がった台本が、いろいろな俳優が出演する形になっていたので、これなら面白いと思いました。

―俳優は若い人からベテラン、主役級の方まで100名出演しているのですよね。

光石:濱田岳くんや柄本時生くんなどの若い俳優がたくさん出演しています。田口トモロヲさんの言葉を借りるなら、「これで次の世代にちゃんとバトンを渡せるものになった」と。僕もそう思います。

―バイプレイヤーズ4人の俳優さんたちはプライベートでも仲がよさそうですね。

光石:仲はいいですね。撮影はドラマと並行して2~3か月撮影していたのですが、僕ら4人はそんなに出番がないので、ときどき会うくらいでした。でもそれが僕にとっては心地いいんです。 べたつかない距離感、一緒に撮影して、じゃあねと別れる。また現場で会った時にわちゃわちゃ騒ぐ。そのべたつかない雰囲気が”かっこいい”と思うのです。 今回の出演者には、僕ら4人は“元祖バイプレ”と呼ばれているのですが、みんな大人で品がいい付き合い方をしていると思います。

バイプレイヤーズ

『バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~』2021年4月9日公開、配給:東宝映像事業
©2021「映画 バイプレイヤーズ」製作委員会

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