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未曾有の震災を乗り越え、再スタートを切る

看板商品として順調に売り上げを伸ばし、昭和が終わりを迎えるころには「家庭の常備薬」の地位を獲得した「ビオフェルミン」だが、平成に入り、予想もしない大きな危機に直面する。1995(平成7)年1月17日、兵庫県南部を中心に阪神地方を襲った震度7の直下型大地震、阪神・淡路大震災だ。ビオフェルミン製薬が本社を構えていた神戸市長田区は壊滅的な被害を受けたエリアで、本社は全壊し、隣接する工場も大きな被害を受けた。製造はもちろん出荷もままならないなか、大きな救いとなったのは凍結保存されていた乳酸菌の「菌株」が無事だったこと。地震発生直後、社に駆けつけた社員によって「菌株」は倒壊した社屋から運び出され、電源が確保された場所へと移されたのだ。同社の心臓ともいえる乳酸菌の種菌が残ったことは、その後の生産再開を大きく早めることとなった。

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震災後、神戸市西区に新築された神戸工場。研究管理棟と培養棟も併設されている。

さらに、新築移転を余儀なくされた新工場が稼働するまでの間、関係先などの協力のもと、委託生産という体制で生産再開が実現。倒壊した工場から使用できる機械を他社の工場に持ち込み、社員が一丸となって生産作業を進め、震災発生から3カ月後の4月には再出荷までこぎ着けた。そして、翌年の3月には同じ神戸市長田区に新本社、西区に新工場を再建し、ビオフェルミン製薬は第二のスタートを切ることとなる。こうしたスピード再建の背景には、医薬品の委託生産という難しい局面において緊急措置として手続きを簡素化するなど、当時の厚生省による手厚いサポートがあった。未曾有の災害を乗り越えて、再建の道を進む同社は、10年を待たず、その業績を震災前の数字へと戻すことに成功する。

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細粒タイプはパウダー状で、なめたり、水に溶かして飲むことができるため、生後3カ月の赤ちゃんからお年寄りまで服用できるのが大きな特徴だ。

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「生きた乳酸菌が腸まで届く」という大きな特徴を際立たせた1990年代の「新ビオフェルミンS」の広告。

現在、「ビオフェルミン」は薬局やドラッグストアで買える一般向け市販薬「新ビオフェルミンS」のほか、病院向けの医療用「ビオフェルミン配合散」などを展開している。市販薬のユーザーの男女比率は4(男性): 6(女性)で、ボリュームゾーンは30代以降の女性だ。子どものころ、お腹の調子がよくない時に「ビオフェルミン」を手にとっていた層が母親となり、子どもが病院にかかった際に医療用「ビオフェルミン配合散」などを処方され、再び市販薬「新ビオフェルミンS」を手にとるといういいサイクルが生まれている。

加えて、その昔、家庭に常備されていたものと成分や効能のみならず、パッケージもほぼ変わらない安心感が、信頼につながっているのだ。実際、一般ユーザーを対象にした「新ビオフェルミンS」のイメージ調査において、常に上位にくるキーワードは3つで、うち2つは「安心・安全」「信頼感」。そして、残るもう1つは「優しさ」で、それは細粒タイプがあるため、赤ちゃんも服用できるという点だろう。

「安心・安全」「信頼感」「優しさ」――。長い年月をかけて「ビオフェルミン」が自然と培ってきたそれらのイメージを、同社は2000年以降の広告づくりでさらに強化させ、時代は“腸活ブーム”を迎えることとなる。

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