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未来の自分は「今」の積み重ねでできている。

―不本意というのは、メジャーデビューしたグループのリーダーになったことで、「好きで歌っている」だけでは済まなくなってきたということですか。

古謝:みんなを引っ張っていかなきゃいけないから、試練だと思って、沖縄の言葉ではない内地(本土)の言葉の歌にも挑戦しました。方言で歌う島唄はすぐに覚えられるけど、内地の歌は何度も歌い込まないと頭に入らない。さらに人前で繰り返し歌って、やっと自分のものになるんです。使い慣れない言葉で心をこめて歌うのは私にはとても難しいですが、この時はリーダーの責任感と、聴いてくれる方たちのためにも、苦手なことにも取り組みました。

―ボブ・マーリーの曲をカバーされたり、海外のアーティストと共演されたりと、沖縄民謡の枠を超えた創作活動をなさっていましたね。

古謝:ネーネーズは6年間、頑張ったんですが、どうしても利益や売上の話がついてまわります。好きな歌、やりたいと思う演奏ができなくなってきたことにも限界を感じました。“自分の歌”を歌いたいと思ったんです。

―キャリアを積み重ね、新しいことへの挑戦を経て、原点に立ち返ろうということですか。

古謝:私は沖縄民謡の中でも「情き歌(なさきうた)」が好きなんです。子供の頃から歌劇に慣れ親しんだ影響なんですが、男女や親子の情を表現する情き歌が歌いたくて、ネーネーズを脱退し、小さなライブを始めました。

―そうして生まれた「童神(わらびがみ)」は、多くの人の胸に響きます。初めてのお孫さんがお生まれになった時の曲だそうですね。

古謝:あれは孫への思いというより、母親になる娘への思い、そして私を厳しく育てた母への思いが込められているんです。親子の情念というか。だから、とても個人的な歌ですが、聞いた人それぞれの思いがこの歌に共鳴するのかなと思います。

―沖縄に根付く優しさというのでしょうか、情の深さというのでしょうか。家族も含めて人と人とのつながりを大切にする風土を感じます。

古謝:そこで生まれ育った私には、それが普通と思うところがありますが、例えば冠婚葬祭は盛大ですね。私の母のお葬式には800人ぐらいが参列しましたけれど、ほとんどが母の知り合いです。顔が広かった人ですから。
 結婚式も、新郎新婦の双方が交友関係の広い人だと600人ぐらい集まって、3時間ずっと余興が続くんです。私もサプライズで歌いに行くことがありますが、隣の会場に来ていたお客さんから「いつも聞いています!」と声をかけられたついでに、知らない人の披露宴で歌ったことが何度かあるんです(笑)。

―内地(本土)との生活の違いを感じます。

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古謝:全然違いますね。私は、沖縄以外の土地に住もうとは思いません。ここ沖縄で暮らすからこそ、今の自分の歌があるわけで、沖縄を離れたら、民謡を忘れないように必死で稽古や勉強をしないといけません。ここにいれば、自然と民謡が体に入ってくる。歌いたい時にいつでも歌えるし、ラジオをつければ民謡が流れてきますから。それに都会は、ビルは高すぎるし、人は多いし、電車の乗り方は分からないし(笑)。三線の練習をするのにも神経を使うでしょう?「うるさいって苦情がこないかな?」って。
 人との接し方も違いますよね。私、「社交辞令」という言葉を本土に行くまで知らなかったんです。沖縄には、そういう概念はありませんから。だから本土でライブをする時も、長居はしません。すぐに沖縄に帰ります(笑)。今の夫と結婚して20年になりますが、一度も一緒に住んだことはありません。沖縄を離れられませんからね。仕事面では夫がしっかりとマネジメントしてくれるおかげで、私は地元でのびのびと暮らせるんです。

―そうして、ご自身がやりたいことをやり続けることで道を切り開いてこられたわけですが、今、再びネーネーズのメンバーと『うないぐみ』を結成して活動されていますね。

古謝:当時は「ついていけない」と言われ離れていったメンバーが「もう一度一緒にやりたい」と言ってきたんです。

―「ついていけない」とはどういう意味でしょう?

古謝:彼女たちが独り立ちできるように三線も歌も稽古を厳しくやっていたんです。歌手は体が資本ですから、私自身ももちろん、体調管理は厳しくしていましたし。それについてこられなくなったんですね。
 だから今回は私の言うことを聞くなら、という条件で結成しました。60歳過ぎたら急にガタがくるとよく言われますが、実際、私たちもあと10年歌えるかどうかわからない。だから、歌や三線だけでなく生活面でも厳しく言います。いい歌を歌うためには、本人が健康じゃないとだめなので。食べる物に気を使うようになって、メンバーは前より元気になって病院もあまり行かなくなりました。

―根っからの歌手でおられることと、民謡歌手としてのプロ意識がうかがえます。

古謝:プロ意識とは思っていないけれど、大好きな歌でも、去年と今年が変わり映えしないのはよくないと思うんです。ある人に「美佐子、お前の歌は50からだよ」と言われたことがあります。沖縄の歌は人生の積み重ね、年輪が大事なんです。だから、30歳のときに、40歳に向けての階段を一年ずつ登っていこう、体作りと歌作りをしていこうと決めました。私は一桁の年齢から歌っていますが、その時と10代、20代、そして今の歌が同じだったらおかしいじゃないですか。歌い手ならば、その年齢相応の歌が歌えないといけないと思っています。今は70歳に向けての階段を一段ずつ登っているところです。

取材後記

取材後、撮影した写真を見ていて気付いた。三線を手にしている古謝さんの表情は特に生き生きとしている。「歌が好き」「音楽が好き」という言葉では言い尽くせないような強く優しいオーラを放っている。自分らしく、好きなことを追い求められる場所がここ沖縄の地なのだ。こんな風に仕事と自分の居場所が密接に結びついた暮らしは憧れでもあるが、もしかしたらいよいよ本格的になるテレワークによって、私たちにもそんな働き方が模索できるかもしれない。

プロフィール

古謝美佐子(こじゃ・みさこ)
1954年沖縄県嘉手納町生まれ。沖縄民謡女性歌手。9才でレコードデビュー。86年より坂本龍一のユニットに参加。90年より「ネーネーズ」に参加。95年末脱退後ソロ活動再開。アルバム「天架ける橋」「廻る命」は高く評価され、代表曲「童神」は、夏川りみなど多くの歌手がカバー。アイルランドのバンド「チーフタンズ」の国内やアジアツアーにも参加。2014年から4人グループ「うないぐみ」の活動も始め、アルバム「うない島」や坂本龍一と共作シングル「弥勒世果報 - undercooled」発表。作家・五木寛之が「いま最も凄い歌手」と絶賛する。

取材協力

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ザ・ナハテラス

https://www.terrace.co.jp/naha/
沖縄県那覇市おもろまち2-14-1
Tel:098-844-1111

2018/8/27

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