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賢いはたらき方のススメ
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「やりたいことよりもやらないことを決めて実行」したら、11年間で売り上げが600%も上がったという、東京・浅草にある飲食店用品問屋街、かっぱ橋道具街に店を構える「飯田屋」。廃業に向かっていると言われた老舗店を最も有名な人気料理道具専門店へと変えた6代目店主の飯田結太さんの経営ポリシーは「売るな」。そのユニークな考え方をうかがってみると、会社も社員もイキイキとよみがえらせるコツが見えてきた。

学生IT起業家から、実家の老舗料理道具専門店へ。

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―大学生の時に起業したと伺っています。どのようなことをやっていたのですか。

飯田:僕の大学時代は、ちょうど、堀江貴文さんやサイバーエージェントの藤田晋さんがメディアに登場していた時代で、学生ビジネスコンテストがいたるところで開催されていました。僕も大学2年生の時に友人と参加し、優秀賞を頂いたことをきっかけに、友人とホームページを制作する会社を起業しました。

―学生起業家として活躍されていた時にご実家を継ごうと思われたのはなぜですか。

飯田:実家は、大正元年(1912年)から続く、業務用料理道具専門店で、祖父から母が受け継いでいました。僕は小さい頃から実家を継いでほしいと言われたことがなく、僕にとっても実家はかっこいいイメージがなかったので、“継ぐ”という意識はありませんでした。自分の好きなことをやろうと思っていたのです。たまたま実家に帰った時に、母の背中が丸くなっていて、とても疲れて見えたんです。「会社はどう?大丈夫なの?」と聞いても、決して弱音を吐かず、「大丈夫だよ」というんですが、この時はとても大丈夫には見えなかった。このままではいけないという直感で、起業した会社は友人に譲渡し、母に「飯田屋に入社させてください」とお願いして入社しました。

経営悪化と廃業の危機。起死回生のきっかけは「試すこと」

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―入社してどのようなことがわかりましたか。

飯田:新入社員として掃除やレジ打ちからはじめ、その後仕入れを任せてもらえるようになってはじめて、経営が悪化していることを知りました。その後、企業再生コンサルタントに「このままだとゆっくり廃業にむかっていく。今すぐに何かしなければ危ない」と言われ、ようやく経営状況を理解しました。

―どのように改革していこうと思われたのですか。

飯田:当時、店舗に来るお客さんはほとんどが飲食業の関係者でした。お客さんの行動を観察してみると、みんなメモを取って出ていくんです。かっぱ橋は、同業者が軒を連ねる問屋街です。だから価格を書き込んで他店と比較しているんですね。それはまあいいと。問題は、メモを取ったお客さんが戻ってこないことでした。他店よりも価格が高かったんですね。それじゃあ、誰も飯田屋で購入してくれるわけがないと思い、かっぱ橋のすべての店舗の価格を調べたんです。これは、かっぱ橋で店を営む者の間でタブーでした。社員にも反対されていたのに、僕は突っ走り、「この街で一番安くします」と社員に向かって宣言したんです。すべての店舗をリサーチして、当時は一番安い店になったと思います。

―売り上げは上がりましたか?

飯田:当然売り上げは上がり、飯田屋の反撃が始まるんだとワクワクして待っていました。しかし、一向に良くなりません。売り上げは変わらなかったんです。

―それはなぜでしょう。

飯田:小売業は、1個、10個、100個単位の仕入れで、原価が変わってきます。100個仕入れたほうが安くなる。そこをはき違えて、1個の仕入れでも100個仕入れた時と同じ単価を付けていました。小売業の平均的な粗利率は30%と言われています。しかし、飯田屋は僕の無理なやり方のせいで、粗利率は半分以下になってしまいました。ここまで利益率を低くしているのにお客さんは増えません。それは当たり前のことでした。かっぱ橋で一番安いということを広く知らせていないんです。たまたま来てくれたお客さんが「安かった」と購入していくだけです。
それでもどこよりも安く売るということを続けていったら、徐々に売り上げは上がりました。そうなると、今度は少しでも売り上げが下がるのが怖くなります。社員に対してもノルマを課せ、「効率よくお客さんをさばいていこう」と、数字のことしか話さなくなりました。
さらに「もっと安くすれば」と思い、質の良い国産の商品から、単価が安い、海外の質の良くないものへと商品内容を変えていきました。お客さんはプロの料理人です。安くても質の悪い、すぐに壊れてしまうようなものは購入しません。料理の味にもかかわってきます。そのことに気付かずに突っ走り、常連のお客さんの信頼も失ったんです。

―思い描いていたことと反対の方向にむかってしまったんですね。

飯田:そうですね。安売り競争に参戦してから、少しずつ売り上げが上がったことをきっかけに、僕は正しいことをしているんだとおごった気持ちがあったのだと思います。

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―何かきっかけがあって、ご自身の行ったことに気がついたのですか?

飯田:神様と思えるお客さんとの出会いでした。ある日、割烹着を来た大将が来店し、おろし金を見ながら「どれが一番柔らかい食感になるの?」と聞かれ、暇を持て余していた僕は「よかったらすりおろしてみますか」と提案し、一緒に大根をおろして試しました。
現在でこそ、おろし金は飯田屋にとって代表的な商品で、260種類以上取り揃えていますが、当時は、サイズの違う大中小の3種類しか扱っていませんでした。だから、試してみても違いがわからない。「なんだこれ、どれも柔らかくない」と言われたんです。
そもそも、商品を仕入れてはいるものの、使ったことがありませんでした。だから使用感などわかるはずがないのです。大将に「使ったことないのか、急いでいないから、見つかったら連絡をください」と宿題をもらったのです。そこから、カタログを作っている代理店やメーカーに連絡し、「どれが柔らかくおろせますか」と聞いたのですが、反対に「飯田屋さんは、いろいろなメーカーの商品を仕入れているのだから、それを比べて、お客さんに伝えるのがあなたたちの仕事でしょう」と言われたのです。

―きついですが、いいアドバイスですね。

飯田:そうですね。僕はどの商品も大差ないだろうと思っていました。しかし、宿題もあるのでサンプルを取り寄せ、あらためて大根をおろして比べました。実際に食べ比べてみたら、驚くほどにすべて違うんです。じゃりじゃりとした食感やしゃきしゃき食感、ある商品は口に入れたとたん溶けるような感覚があるなど、すべて性格が違うんですよね。比べた中にひとつだけ、とてもふわふわに仕上がるおろし金がありました。これだ!と思い、大将に連絡をしたんです。でも心配事もありました。

―それはどうしてですか。

飯田:当時の飯田屋で扱っているおろし金は、高いもので1,980円。しかし、ふわふわに仕上がるおろし金は5,250円。いくら良くても高すぎます。でも、大将は「うん、これだ」と満足してくれて。値切り交渉もせず、「ありがとうね。もらうよ」とニコニコしながら購入してくれたんです。
僕はそれまで、商品を安く提供することがサービスだと勘違いしていたことに気づきました。「お客さんが求めている最適な商品を紹介できれば、喜んで購入してもらえる」ということを学びました。

―そこから仕事に対する考え方が変わったのですか。

飯田:料理道具をどんどん調べていくようになりました。試すだけではなく、原産地、どんな工場でどんな職人がどうやって作っているのか、どんな素材を使っているのか、その素材はどんなメリットがあるのかなど、一つ一つ調べていったのです。

社員の半数が辞職。気づいたことは「指さし」。相手ではなく、自分に向けて考える

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―売り上げ以外に取り組んだことはありますか。

飯田:いい会社の条件といわれることを実行しました。それは、「給料に満足できる」「休みがとれる」「福利厚生がしっかりしている」。これらを実行していけば、社員の信頼も得られるだろうと思っていました。
いい会社と思われる条件には実は4つ目があるんです。それが、「そこで働いていることを誇りに思えること」。僕は社員がこう思ってくれているだろうと勝手に考えていたんです。でも、この時期に、社員の半数が集団辞職しました。

―大変なことになりましたね。理由はなんだったのですか。

飯田:1人の社員が、もう辞めるから本当の理由を話してくれて、聞くと「あなたと一緒に働きたくないから」と言われてしまったんです。相当ショックでした。当時は料理道具の紹介などでメディアにも出るようになっていて、飯田屋の名前も知られるようになっていたんです。周囲の人からは「飯田さん最近がんばっているね」と言われるようになっていた。でも、自分の考えだけを押し付けて、社員を見ていなかったんだと思います。
社員の辞職が続いて、ショックから立ち直れずにいたところ、ある勉強会に参加しました。そこで、講師に「君は自分に指を向けていないですね」と言われたんです。

―それはどういうことですか。

飯田:まるで意味がわからないまま会社に戻りました。そして、会社では「なんでこんなことができないんだ」と社員に正論でこんこんと詰めていくことをしていました。この時、相手に指をさしていたんですね。そこで「はっ」と気づいたんです。「ミスを犯したくてミスする大人はいない」と。ミスを犯したくないのにミスをするのは、そういう環境がそこにあるんだと気づいたんです。「自分に指を向ける」ということは、その環境をつくっている責任者、つまり僕が原因なんだと。
そこからは、環境を変えていこうと考えました。当時、社内は険悪なムードで、不平不満があふれていました。それを「ありがとう」が飛び交う場所に変えたいと思ったんです。そこで、ある企業が行っていた「サンクスレター」を始めました。小さなことでもありがとうと言えることを見つけて、みんなでシェアするという取り組みです。まずは、朝礼で60秒間ありがとうと思ったことを考える時間を作りました。現在は「誰の何に対して、感謝しています」という事柄を朝礼と終礼で手紙ではなく、言葉を使って発表しています。

―現在も続けられているんですね。

飯田:続けていくことで、この人はこの部分を大切に考えているんだ、こういう風にとらえているんだという社員一人一人の考え方がわかるようになりました。そのあと、辞職する人が減少しました。

「大切なことを大切にする」。シンプルな考え方が道を拓く

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―社員との関係性も上向きになってきたということですね。

飯田:勉強会で教わったことに、「大切なことを大切にする」という言葉があります。しかし、大切ということは誰でもわかるけれども、その大切なことをきちんと行動に落としている人は少ない。行動に落とし込むには、どうすればいいのか。小売業にとってお客さんは大切です。でも、お客さんを大切にするって何だろうと考えました。割烹着を来た大将のように喜んでもらえることだと。そう考えると、社員が恐怖に思っている売り上げ目標や売り上げノルマなどの目標数字はいらないのではないかと思ったんです。

―“数字ファースト”ではないと考えられたのですね。

飯田:数字は、曇りガラスのようなものだと思います。ノルマにあと1万円不足していたら、1万円分を売ろうと考えます。お客さんが、自分に合う鍋を探しているといっても、価格の方を優先してしまう。その人に合っている商品なのかどうかが、クリアに見えないんです。数字で管理すると、そこに相手のことを考える余白がなくなってしまうと思いました。
「大切なことを大切にする」には何をするべきなのかと考えた時、“喜ばせる”ことをしていきたいと思いました。お客さんも社員もです。そこで、飯田屋の定義を「喜ばせ業」と決めました。

―具体的にはどのようなことですか。

飯田:常に飯田屋は「喜ばせ業」だと考えると、お客さんにどう接するか、どんな仕入れをするかと考えて行動するようになりました。そうすると、数字が気にならなくなったんです。

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