NTTコムウェア アスリートインタビュー2021
ボッチャ
蛯沢文子選手
新型コロナ感染症が広まって2年目。スポーツ界はいまも以前の姿を取り戻していない。パラスポーツは、とりわけ厳しい状況に置かれている。それでも選手は懸命の努力によって道を切り拓こうとしている。
text by 熊崎敬/photo by NTTコムウェア
写真はすべて2019年12月、第21回日本ボッチャ選手権大会本大会(スカイホール豊田)で撮影したものです。本取材はコロナ禍の接触自粛に配慮し、メールインタビューで行われました。
「競技をできることは幸せだと感じるように」コロナ禍とボッチャ
国内で感染が拡大した2020年4月1日、日本ボッチャ協会は重大な決断を下す。
国際ボッチャ競技連盟による、12月までのすべての大会を中止というアナウンスを受けて、第22回日本ボッチャ選手権大会並びに関連大会の中止を発表したのだ。これには多くの選手がショックを受けた。
国内最高峰の日本選手権に毎年参加し、2020年も強化指定選手としてBC2クラス※で戦ってきた蛯沢文子選手も同じようにショックを受けた一人だ。しかし同時に、この決定にも理解を示していた。
「ボッチャの選手は、障がいが重く、呼吸器系の疾患などがあることが多いので、医学的に重症化リスクが高いとされています。協会はそうしたリスクを考慮して、早い段階での大会中止の判断をしたのだと思います」
しかし目標とする大会がなくなり、練習もままならない日常が始まると、さすがに苦しくなった。
「いままでの選手生活の中で大会がない日々は経験したことがなく、目標がまったく見えなくなって正直落ち込みました」
世間では“新しい日常”という言葉が聞かれるようになったが、ボッチャのない日常にはなかなか慣れるものではない。対戦相手とも会えない日々。だが、うつむいていた蛯沢は徐々に視線を前に向ける。
「いまは目標が見えなくても、いつか競技が再開されたときに大会に勝ちたい。そのためにいまできることをやろう、そして焦ることなく、いまできることを精一杯やろう!そう自分に言い聞かせて、前に進むことにしたのです」
気持ちを前に向けると、それだけで、少しずつながらでもできることが見えてきた。
「オンラインを活用したミーティングやトレーニング、それに試合形式の練習をやるようになりました。選手同士が離れていても、同じマス目を準備すれば(模擬的であっても)オンラインで対戦ができる。 実際に会えなくても、工夫をすれば一緒に競技をしてボッチャの試合戦略を共有することができるわけです。むしろ、いままで以上に絆が強くなった気がしますね」
基本は体育館などでボッチャの練習は行われてきた。12.5m×6mの公式試合用コートを自宅に用意するのは簡単なことではない、施設の閉鎖も多く、多くの選手の練習拠点が使えなくなった。しかし、自粛の状況に応じた形で、練習環境も少しずつ改善されてきた。
「いまでは体育館での練習もできるようになっています。体育館ではマスク着用、検温、手洗い、手指のアルコール消毒、さらには車いすや練習コートの消毒は欠かせません。同時にボールの革が消毒液で傷むのも防がなければいけない。困難な課題も多く、なるべく人と接触しないように、個人練習をメインにやっていますが、距離を保ちながらほかの選手と試合形式の練習をすることもできるようになってきました」
冒頭に挙げた選手個々のリスクをふまえた上で、最大限の注意を払って、それでも必死に競技生活を取り戻そうとする選手の姿が見えてきた。
コロナ禍の難しい時期を過ごす中で、1年間の競技生活のルーティンが変わるだけでなく、学校への訪問や自治体行事への参加など、いままで取り組んできたボッチャの普及活動も大きく制限された。そこで、競技への意識も変わったという。
「いままで私は、競技をすることを当たり前だと思っていました。でも、コロナ禍を経験して、競技をできることは幸せだと感じるようになりました。競技を続けられるのも、多くの方々のサポートがあってこそ。皆さんに、とても感謝しています」
だからこそ、蛯沢は強く思う。
「いまはだれもが人と接する機会が減って、イベントやスポーツ観戦をすることが難しい状況です。でも、こんなときだからこそ、ひとりでも多くの人を笑顔にしたり、勇気を与えたりできるような選手になりたいと思います」
そのときが来たとき、勝てる自分でいられるように――。
蛯沢は前だけを向いて、いまできることを精一杯やっている。彼女は確実に強くなっているのだ。
■ボッチャってどんなスポーツ?
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